第8話 そのメイド 『考察』
聖堂前でツバサと別れ、屋敷に戻った後も、ミカコは一階の廊下の掃き掃除や、未使用の
ツバサがフランスの英雄であり、聖人でもあるジャンヌ・ダルクとクリスティーヌ・ジュレスの像を祀る聖堂のことを知っていた。二人の像を祀るそこは、元の世界となる現世の日本に所在している。となれば、ツバサもミカコと同様、元の世界からこの幻影の世界へとやって来た可能性がある。本人はこの世界に迷い込んだと言っていたが、本当にそうなのだろうか。何か目的があって、この世界へやって来たのではなかろうか……そこはまだ、あやふやな点が多すぎて分からない。
それともうひとつ気になるのが、ミカコとツバサの共通点が多いことだ。元の世界にて謎の依頼人からの手紙を受け取り、この世界へとやって来たミカコがハウスメイドとしてビンセント邸で働き始めたのは、今から二十日ほど前のことである。時を同じくして、街を彷徨っていたツバサが、アロイス・アルフォード氏の目に留まり執事になった。これは単なる偶然か? それとも……
ツバサは何故、ミカコと知人関係にあるシスターが管理をする、二人の像を祀るあの聖堂を知っていたのだろう。
謎が謎を呼び、頭がこんがらがったミカコはふと手を止めて、深い溜息を吐いた。
「ミカコ、ちょっといいか?」
清掃が終わり、ゲストルームから出て来たミカコを、シェフのルシウスが真顔で呼び止める。赤いスカーフを巻いた、白色のコックコートではなく、ベージュのジャケットにパンツ姿の私服姿で。
「これから市場まで食材の買い出しに行くんだが、人手が足りなくてな。仕事中に申し訳ないが、俺の買い出しに付き合ってくれよ」
「分かったわ。でも、その前に……ロザンナさんのところに行かなきゃ」
「それなら、問題ない」
落ち着き払った口調で制したルシウスに、ミカコは怪訝な表情をする。
「ロザンナのところにはもう、話はつけてある。正面玄関の前で待っているから、掃除道具を片してこい」
そう、ルシウスに促されて、ミカコは怪訝に思いながらも指示に従い、掃除道具を片しにその場を後にした。
ルシウスの言動がどうも、引っかかる。
一階奥にある、掃除道具を納めたロッカーの中に、屋敷の外側に設けられている下流しにて汚れた水を捨てて綺麗にしたバケツや雑巾、箒ひとつを収納したミカコは、バタンと戸を閉めて鍵を掛けるといつもと少し、様子が違うルシウスを訝った。
私に対して、何かを疑っている……? なら、彼は私の何を疑っていると言うの?
まったく身に覚えのないミカコはただただ、そのことを疑問に思うのだった。
「お待たせ!」
屋敷の正面玄関前にて。ミカコは急ぎ足で階段を下ると扉を背に待っていたルシウスと合流。ミカコの服装を一目見るなり、ルシウスはぎょっとした。
「……メイド服はどうした」
「自室の、クローゼットの中よ? ルシウスが私服姿なら、私も服装を会わせた方がいいと思って!」
「それで、そんな格好を……?」
「そうよ! かっこいいでしょう?」
「……」
若干、引き気味のルシウスに、満面の笑顔で返事をしたミカコの服装とは……
襟付きの白シャツと、ネクタイ上に結わいた真っ赤なスカーフ、上下ブラウンのジャケットとパンツ姿でどこからどうみても、男装である。
背中まで伸びた長い茶髪をひとつに束ね、含み笑いの浮かぶ凜々しい表情はまさに、ヴィアトリカお嬢様よろしく、清楚な服をかっこよく着こなす美青年であった。
「お嬢様の趣味が、まさかここまで伝染するとはな……」
ぼそっと、呆れるように呟いたルシウスは、
「まぁ、いっか……奇抜な格好をして街を歩かれるよりかは、はるかにマシだ」
気を取り直したようにそう呟くと、男装をするミカコと一緒に屋敷を後にした。
街の中心部、新鮮な野菜や肉や魚などを扱った市場は今日も今日とて、活気に満ちあふれていた。
「らっしゃいらっしゃ~い! 新鮮な採りたて野菜や果物がお買い得だよ~!」
「よぅ、おやっさん。相変わらず元気だな」
「ルシウス! おまえさんも、相変わらず気取ってんな」
来店したルシウスに声をかけられ、にやりとした青果店の店主が冗談を言うと、
「いつものやつを、取りに来たんだろ? ほれ、この紙袋を受け取りな」
レジ横に置かれていた、大きな紙袋をルシウスに手渡した。
「いつもすまねーな」
「なぁに、ヴィアトリカお嬢様にはいつも、お世話になっているからな。これくらいのことしか出来ないけれど……少しでも、お嬢様の役に立てられるのなら光栄だ」
「ありがとう、おやっさん。その気持ちはきっと、ヴィアトリカお嬢様にも届いているよ。毎日、おやっさんのところの畑で採れる野菜を使った料理を食すのが、お嬢様の楽しみなんだ」
「そうかい……」
受け取った紙袋を、両手で抱えながら穏やかな顔でしみじみと告げたルシウスの、ヴィアトリカの気持ちを代弁したかのような感謝の言葉に胸を打たれ、思わず涙ぐんだおやっさんはそう、穏やかな顔で静かに返事をしたのだった。
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