第197話
【原作ルート】
その人物と遭遇した時、ナクルは思わず全身が硬直してしまっていた。
何故ならここはダンジョン内であり、ダンジョンに入れるのは勇者やその候補生だ。加えてそのほとんどは女性であって、ナクルもこれまで女性としか会わなかった。だからまるで英国紳士然とした男性がいることに強烈な違和感を覚えたのである。
それと同時に、柔和な表情とは逆に、その者から発せられる嫌なオーラを感じ、ナクルは最大限の警戒をすることになった。敵か味方か、それすらも分からないのだから。
そんなナクルの思惑をよそに、その者は落ち着き払った様子で言葉を投げかけてきた。
「これはこれは、初めまして。よもやこのようなところで、かの期待のルーキーと会うとは何とも面白いですね」
「き、期待のルーキー?」
「ええ、現行の勇者の中で、私が一番興味を惹かれているのが日ノ部ナクル、君なのですよ」
「……おじさんは……何者なんスか?」
「ククク、そう警戒せずとも、今は何もしません。まだ君は熟していませんし、刈り取るには些かもったいない」
ナクルは彼が言った言葉の真意を掴めず思考が定まらない。そもそも直感的行動を得意としているナクルにとって、こうした人物解析というのは不得手なのである。
ただその直感に従うならば、目の前の人物に対して気を抜いてはいけないと感じていた。
「ふむ、そういえば名乗っておりませんでしたな。私は――ユンダ。妖魔人ユンダと申します」
「よ、ようま……じん?」
「おやおや、どうやら君が身を置く組織は、必要な知識すら与えていない様子。もっとも子供を利用するためには正しい手ではありますがね」
一体彼が何を言っているのかナクルには分からない。それでもどこか哀れな目で見られていることだけは伝わってきた。
「さて……そろそろお暇したいところですが、ここでこうして会ったのも一つの運命。私が見出した蕾を超えたその力、少し試させて頂きましょうか」
直後、彼の背後から地面を突き破るようにして巨大なナニカが出現した。
そこから現れたるはダンジョン主。
全身を青黒い鱗で覆われた巨大な蛇のような存在。しかし細長い体躯の先、頭部は二股に分かれており、それらがそれぞれ顔の体裁を整えていた。
「この程度で死なないでくださいね。では……戦闘開始」
ユンダと名乗った人物の言葉と同時に、二股の蛇がナクルへと襲い掛かってきた。
すぐにブレイヴクロスを纏って対抗し、素早い動きで相手の突進攻撃を回避していくナクル。ただ、相手の動きも速くて、少しでも速度を緩めば的になってしまいかねない。
隙を見て殴打を繰り出すナクルの攻撃も、固い鱗に阻まれ大したダメージにはならない。
「動きは機敏。攻撃の威力もまあ、初期段階としては及第点……ですが、戦士としては決定的に欠けているものがありますね」
必死で戦うナクルを見ながら、ユンダは物静かに分析していた。
「やはりまだまだ小物。将来性に期待ですね」
その時、ナクルはブレイブオーラを拳に込めて、一点集中して二股の蛇の腹部目掛けて繰り出した。その威力はそれまでの攻撃と比較して強力なものであり、鱗は砕かれ蛇が後方へと吹き飛ぶ。
「おぉ、なるほど。どうやら彼女はスロースターターのようですね。力も速度も、戦いの中でどんどん上がっていくタイプですか」
事実、ナクルの動きは格段に良くなっていた。これはナクルが戦闘に集中し始めたことが大きい要因だ。ナクルの意識は、当然目の前の蛇に向けられていたが、それは同時にユンダにも同じだった。
しかしユンダの存在は怪しいものの、どうも手を出してこないことを知り、意識のそのすべてを二股の蛇へと向けたのである。こうして一つのことだけに集中することができたナクルの動きは良くなり、戦闘力も増したというわけだ。
加えてユンダの見立て通り、ナクルの性質からいって、いきなりトップギアに入るタイプではない。どちらかというと戦闘力が尻上がりに上がっていくタイプなのである。
段々と二股の蛇を攻略しつつあるナクルを見て、ユンダは愉快気に笑みを浮かべた。
「これは愉快な素材ですね。ただこれでは彼女の真価を見る前に、妖魔の方が倒れますね。……仕方ありません」
ユンダが手に持っていた杖で、トンッと地面を叩いた。するとその直後、ナクルは全身が鉛のように重くなる感覚に陥ってしまう。
動きが突然緩慢になったナクルに対し、二股の蛇は勝機だと言わんばかりに尾で払うようにして攻撃してくる。防御することしかできずに弾き飛ばされ、さらに追撃とばかりに体当たりを繰り出してきた。
こちらも迎撃しようとするが、やはり身体が思うように動かない。逃げようにも動きが鈍い。そのまま体当たりを受けて、さらに吹き飛ばされてしまう。
(くっ……何で急に身体が……っ!?)
自分の身に何が起こっているのか分からず思考は混乱し、その答えを探そうにも敵は容赦なく攻撃をしてくる。
何度も攻撃にやられ、次第にボロボロになっていくナクル。それでも負けるわけにはいかずに立ち上がる。
「負け……ない……っ」
そう。ナクルは負けるわけにはいかない。ここで諦めてしまえば、自身が望むものを手にすることができない。それは同時に、せっかく得た友人を永遠に失う結果に繋がる。
「ぜぇ……ぜぇ…………水月……ちゃんを……取り戻すためにも…………絶対に……負けてやるもんかッス!」
ナクルの全身から溢れんばかりのオーラが噴出し、そのオーラが次第にバチバチバチッと放電現象を引き起こす。それを見たユンダがさらに楽しそうに口角を上げる。
そんなナクルの気迫に圧されたのか、一瞬身体を硬直させる二股の蛇。その隙を突いてナクルが真っ直ぐ全速力で駆け出す。その速度はそれまでのナクルとは一線を画すような鋭い動き。まるで一閃の槍のように突っ込むナクルは、その勢いのまま拳を突き出した。 そして二股の蛇の身体を見事に貫いてしまったのである。
「これは………………良い」
ナクルの力を感じ身体を震わせるユンダ。まさに感動の場面を目にしている様子。
二股の蛇はそのまま息絶え、ダンジョンは攻略されることになった。ただナクルは、力の使い過ぎが原因か、そのまま倒れ込んでしまっている。
そんなナクルへと、ユンダは静かに近づき手を伸ばす……が、すぐにその場から逃げるように跳躍して移動した。
彼が先ほどいた場所にはナイフが突き刺さっている。そしてその場に現れた存在を見たユンダは眉をピクリと動かした。
「ほほう、よもや君まで姿を見せるとは――――十鞍千疋」
彼の言葉通り、突如として姿を見せたのは十鞍千疋と呼ばれる少女だった。
「また好き勝手し始めたようじゃのう。どれ、今度はワシと遊ぶかや?」
互いの視線が火花を散らし緊張感が張りつめるが、先に空気を割ったのはユンダだった。
「相手が君ならば申し分はないが、今はまだその期ではないのでね。ここは大人しく身を引くとしよう」
ユンダはそう告げると、その場から姿を消した。
そして残された千疋は、横たわるナクルに視線を向ける。
「…………また宿命は繰り返される、か。勇者というのは……ほんに悲劇の体現者じゃのう。それでも……抗うしかないんじゃが。この子は果たして……。できることなら壊れてくれなければ良いがな」
千疋の含みのある言葉を、一陣の風が寂しく攫って行った。
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