第192話
夏休みに入ると、沖長の父親である悠二の仕事も忙しさを増した。
その理由として、彼が経営しているスイミングスクールが挙げられる。スクールとして通う生徒たちの他に、市民プールのような位置付けとしても解放されており、生徒以外の者たちも遊びを目的として来訪してくる者もいるのだ。
当然スクールとしての時間帯以外ではあるが、夏休みの間は特に冷たい水遊びを求めて訪れる客が多く、そのお蔭で忙しくなり経営者としては嬉しい悲鳴を上げている。
特にこの時期、どうしても手が回らない場合は、母である葵や沖長もまた手伝いとして駆り出されるのだが、最近ではナクルや水月もちょくちょく助っ人として来てくれていた。
二人は仕事が終わったあとのプール遊びが主目的ではあるが、それでも悠二として看板娘のごとく振る舞ってくれている二人に感謝し、寿司やらピザなどを出前して、さらに二人のプールに対する依存性を高めていた。
今日もまた、プールの脇に設置されているベンチテーブルに着いて、今日の出前メニューであるハンバーガーとポテトを美味そうに食べている二人を、同じように椅子に腰かけて沖長は見ている。
(夏休み入って早一週間。一応ナクルが望んでた一緒にプールで遊ぶって予定はクリアしてるけど、まさか九馬さんまで一緒とはなぁ)
ちなみにプールの手伝いをナクルに話したのは沖長だが、水月を誘ったのはナクルである。どうせなら友達と一緒にお仕事をしたいと願い出て、それを水月も快く受け入れたのだ。それに水月もまた軽い打算もある。それは……。
もう一つのテーブル席へ視線を向けると、そこには顔立ちがそっくりな三人の男の子が、こちらもまた美味そうにハンバーガーを頬張っている。
彼らは水月の弟たちであり、せっかくだからプールで遊ばせたいという理由で連れてこられていた。まだ幼いこともあり、仕事という仕事は任せていないが、それでもゴミ拾いや掃除などを手伝ってくれたりしてこちらとしては助かっていた。悠二や葵も賑やかで楽しいと喜んでいる。
「んで? 一体どっちが本命なんだよ、沖長?」
突然隣から声が投げ込まれてきた。見るとそこには、海パン一丁でニヤニヤ笑いを浮かべる師匠こと籠屋大悟がいる。
「いきなり何ですか?」
「まあ俺としちゃあ、幼馴染のナクルの方が一歩リードって感じだけどよぉ、あの水月って言ったか? あっちの嬢ちゃんも将来は別嬪になると思うぜ?」
「……だから?」
「今の内に唾つけといた方が良いじゃねえかってこった」
「はぁ……あのですね、あの子たちはそういうんじゃないですってば。ナクルは家族同然の妹分ですし、九馬さんもただの友達なんですから」
「ふぅん、つまんねえなぁ」
沖長がからかい甲斐がないと理解したのか、大きな溜息を吐いてタバコに火を点けた……が、そこに水がぶっかけられてしまい、大悟は文字通り水も滴る何とやらになった。
「っ……何しやがんだよ、ナクル!」
水をかけた人物はナクルだった。当然怒りを露わにする大悟ではあるが……。
「ここは禁煙ッスよ!」
「ああ? んな固えこと言うなよ。別に他の客なんていねえんだからいいじゃねえか」
確かに現在は貸し切り状態ではあるが、ナクルは頬を膨らませながら大悟に詰め寄る。
「いいッスか! タバコが身体に悪いッス! それにボクたちにもあくえーきょーがあるってお父さんが言ってたッス!」
「いや、まあ……」
そこを突かれると何も言い返せないだろう。まだ自分だけが害を被るなら押し通すことはできたかもしれないが。
「それに大悟さんが悪さしないようにトキナさんに見張ってるように言われるッス! だからダメなもんはダメッスよ! 分かったッスか!」
「…………おう」
渋々といった感じで了承し、タバコを片付ける大悟。対してナクルは満足気に頷いた後、水月に名を呼ばれて駆けつけていく。
「ったく、どんどんユキナやトキナに似てきてやがる」
「血が繋がっているんだからしょうがないのでは?」
「けっ、タバコは俺の生きがいの一つ。好きなことができねえ人生なんてつまねえだろうがよ」
「それには賛同しますけど、師匠の場合は度が過ぎてるんですよ。ヘビースモーカーは命を縮めますからね」
「あーあーきーこーえーねーえー」
「そんな子供みたいに……」
本当にこの人に師事しても大丈夫なのかと懸念してしまうような姿を時折見せるが、この世界では間違いなく強者の位置に立つ存在なのも明らか。ただ修一郎のように他所様の子供だからと甘くなるようなことなどないので、強くなりたい沖長としては相性が良い人物だと思っている。
「ところで師匠、夏休みに入って一週間経ちましたよ? 休みに入ったら地獄の修行を課すみたいなことを言ってた気がするんですけど……」
なので休みに入る直前に大悟から連絡が来ると思って覚悟はしていた。しかし少し私用があるとか言って今日まで伸びていたのだ。その間は、修一郎の道場でノルマをこなす程度の修練しかしていない。
そして今日、こうして顔を会わせるのは久々なのである。
「おっと、そうだったそうだった。――ほれ」
大悟が思い出したかのようにポケットから取り出したものは――。
「…………赤い紐?」
よく見ると二つの紐が捻り合って一本になっている。だがどう見ても別段変わった様子のない紐のようだ。
「それを腕に嵌めときな」
「……どうしてですか?」
「いいからまず嵌めろ。説明はそれからだ。ほれ、取りに来い」
何故だか嫌な予感がしたので先に解明しておきたかったが、これ以上は答えてくれそうにないので、仕方なく椅子から立ち上がって大悟から紐を受け取ると、そのまま左腕に巻いて取れないように結んだ。
(ミサンガみたいだなぁ。まあミサンガよりも細いけど……でも何だろう。どこか不思議なオーラを放っているような……)
そう感じたのも束の間、大悟がニヤリと笑みを浮かべた直後、沖長は全身が重圧を感じて四つん這いになってしまった。
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