第191話

 今年も暑い……いや、暑過ぎる季節がやってきた。

 年々温暖化が増しているせいか、日本では六月中旬ですでに三十度を軽く超える日も珍しくなくなってきている。

 故に当然夏本番ともなると、さらに暑さは増すということで……。


「あっぢぃぃぃぃ……」


 空から汗だくの沖長を見下ろす太陽。そこから降り注ぐ陽光は、生卵がゆで卵になるのではないかと思われるくらいの熱気がありそうだ。

 本日は一学期最後の登校日。つまり明日からは夏休みに突入するということ。

 学生の時分としては嬉しい限りだが、まだ午前中だというのに、この暑さだけは本当にどうにかならないものかと辟易せざるを得ない。


「おっはよーッス、オキくぅん!」


 学校の正門前で半ば現実逃避していると、沖長に向かって手を上げながら駆け寄ってくるナクルの姿があった。


「……おう、ナクル。朝から元気だな」

「えへへ! だって明日は夏休みッスよ!」


 相変わらずの元気印の主人公である。暑さなど微塵も……いや、よく見ると額に汗が滲んているので体感的には沖長と同じはず。彼女が意気揚々としているのは、やはり子供らしい気持ちからくるものだろう。


 その証拠に周りにいる生徒たちも、暑さを感じながらもどことなく嬉しそうに見える。やはり今日で一学期が終了するというのは彼らにとって喜ばしいことなのだ。

 ナクルと一緒に教室へ向かって扉を開けると、目の前に金剛寺銀河が立っていた。どうやら彼は教室から出て行こうとしていたところだったようだが、沖長を見て気まずそうに視線を逸らし、そそくさと去って行った。


 彼から能力を返せと言われてから今日まで、それまでが嘘のように突っかかってくるのを止めて、あんな感じでよそよそしい態度を見せている。

 こちらとしては暑苦しいやり取りがなくなって嬉しい限りだが、どこか拍子抜けな感は否めない。本当にもう諦めたのか。だとしたら気楽ではあるが。

 自分の席に座ると机に突っ伏する。


「今日もホントに暑いッスね、オキくん。テレビじゃ今年一番の暑さって言ってたッスよ」

「みたいだなぁ…………あぁ、クーラーの効いた部屋でゴロゴロしたい」

「オキくんはいつも以上にぐで~ってしてるッスね。そういえばオキくん、夏休みの予定は立てたッスか?」

「予定?」


 原作の第二期の舞台は夏休みに入ってからだと聞いている。故に予定が入っているといえば入っているが、ナクルが聞きたいのはそういうことではないだろう。


「決まってないなら、またキャンプ行こうッス!」

「キャンプ……ねぇ」


 日ノ部家恒例の夏キャンプ。沖長が門下生になってからは、そこに家族ともどもお世話になっているのだ。

 恐らく今年も家族同士で、避暑地でのキャンプへと出かけることだろう。実際にそういう話は、春ごろにもあったし。


「あとは、プールとかも行ってみたいし~、あ、そうそう! 今度ゾンビーバーの映画もやるんスよ! だから一緒に行くッスよ!」


 夏休みが本当に待ち遠しいようで、ナクルの中ですでにいろいろ予定が決まっているようだ。まあ、子供としてはこれが普通なのだろう。

 精神的に大人である沖長は、どこかへ出かけるというよりも、冷房の効いた部屋で日がな一日ネットやらゲームで時間を費やす方が良いのだが。


 期待を膨らませ語るナクルは笑顔だが、沖長としては複雑な気持ちが込み上げてくる。何せ先述した通りもうすぐ第二期が始まるのだ。これまでのように楽しいだけの夏休みを過ごせるとは思えない。


 ダンジョン発生もどんどん活発化しているらしいし、それに向けて沖長たちも修練に費やす時間が増えてきている。ここで本格的に妖魔人たちが動くことになると、子供らしい夏休みなど到底満喫できない。

 実際師匠である籠屋大悟からはこう言われている。


『夏休みか。なら毎日存分に鍛えることができるってことだな! 楽しみにしておけ、沖長!』


 などと物凄い笑顔で言われたことを思い出し頭を抱えてしまう。修練はこちらも望むところなので否はないが、それでも大悟の常軌を逸した課題を毎日こなすことになるのかと思うと、さすがに腰が引けてしまうのも当然。しかもこの暑さだ。やる気が起きないのも無理からぬこと。


「あ、ナクル~! 札月く~ん!」


 その時、入口から声がかけられ、見ると水月が手を振っている姿が捉えられた。彼女はそのまま教室内へ入ってきて近づいてくる。


「おはようッス、水月ちゃん!」

「うん、おはよ……って、ありゃ? どったの札月くん? 死んでる感じ?」

「オキくんってば、さっきからこの調子ッス」

「この暑さだしねぇ。しかもこれからもっと暑くなるみたいだし気持ちは分かるかも。でも明日から夏休みだし頑張ろうよ。ね、ナクル!」

「はいッス! ほらほら、元気出すッスよ、オキくん」


 大人の精神を持つ立場として、子供に気遣われるとは情けない。とはいってもこの場合は大人だから将来を憂いていると言えるが。


「そういえば九馬さん、修練の方はどう? 上手くいってる?」

「あーうん。何とか? あはは……はぁ」


 十鞍千疋に師事している水月だが、千疋もまた修練バカというか、主である沖長の期待に応えようと、水月を立派な勇者にするべく鍛えているようで、その時のことを思い出して遠い目をする水月。きっと言葉にしたくない程度には厳しいのだろう。

 とはいっても、さすがに大悟みたいな熱血スポコンみたいな修練ばかりをしているわけではなさそうだが。


「修練って言えば聞いたッスよ! 水月ちゃんってば、クロスを纏うことができるようになったとか!」


 千疋からの報告を受け、それを沖長がナクルにも伝えたのだ。


「あはは、でもまだダンジョン内に限るけどね。それにクロスを纏っても、千姉には手も足も出ないし……ははは」


 水月の空笑いに沖長は苦笑を浮かべてしまう。高いポテンシャルを水月が持っていたとしても、クロスを纏っただけでは千疋には遠く及ばないだろう。何せ向こうには何世代もの勇者の知識と経験が備わっているのだから。

 実際に熟練者であろう勇者の火鈴やヨルでさえ子供扱いされている。覚醒したばかりの水月では一撃すら入れられないのも当然だ。


「ボクも、お父さんや本気になった蔦絵ちゃんにはまったく歯が立たないんスよ。いつになったらあの二人に追いつけるんスかね……はは」


 何だかしんみりした空気になってしまった。


「で、でもいつかは追いつけるし! だから一緒にがんばろ、ナクル!」

「そ、そうッスね! よーし、頑張るッスよ! おー!」


 水月も揃って「おー!」という二人の姿は微笑ましい。そんな彼女らを見ていると、自分も頑張ろうと思えてくるのは不思議だ。


(まあ、頑張るのは明日からにしよう)


 今日だけはこの暑さに戦略的撤退を心に誓った沖長だった。


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