第190話
沖長がいる場所から少し離れた路地に三人の人物がいた。
一人はヨル。もう一人は、そのヨルの仲間として沖長と大悟の前に立ちはだかった男。だがこの男は大悟の足止めを買って出たものの、その目的を果たすことができなかった。その見た目も顔が真っ赤に腫れており、敗北者然とした様相を呈している。
そんな男が今、ヨルに向かって頭を下げていた。
「申し訳ございませんでした、ヨル様」
己の任を全うできなかったことに対しての謝罪を受け、ヨルは「気にするな」と口にした。
「し、しかし……」
「お前が相手をしたのは仮にも英雄と呼ばれた男なのだろう?」
「それはそうですが……」
「負けて悔しいなら強くなるしかない。少なくとも私はそうしてきた」
「っ……」
ヨルの正論に男は悔し気に拳を震わせている。大悟相手にほとんど何もできなかったことが心底不甲斐ないのだろう。
「次は……次こそはあの男に勝ってみせます!」
「うむ、精進しろ――獅子吹」
ヨルの淡々とした言葉に「はっ!」と返事をする獅子吹と呼ばれた男。そしてヨルは今まで自分のたちのやり取りを黙ってみていた最後の一人に顔を向ける。
「ところで、まだ邪魔をした理由を聞いていなかったな」
ヨルは先ほど大悟との衝突を邪魔した理由に対し問い質した。
そう、他でもない。あの時、煙玉を投擲してヨルをここへ引き連れてきたのは、今目の前にいる男だった。
とても手入れをしているとは思えないボサボサの髪に適当に伸ばされた無精髭。小さな丸眼鏡の奥には細い糸目が覗いている。さらにアロハシャツと短パンというラフ過ぎる恰好。そんな男は胡散臭そうな笑みを浮かべながら「よ、ほ、ほい」とけん玉に夢中だった。
「……聞いているのか?」
「うんうん、聞いとる聞いとる」
若干語気が強めのヨルの言葉に対し、アロハシャツの男はけん玉を止める素振りを見せずに気軽に返答した。
「あの、差し出がましいですが、ヨル様のご質問にちゃんと答えて欲しいのですが?」
獅子吹が男の態度にムッとした様子で注意を促した。どうやら獅子吹にとっての序列は、ヨルの方が上らしい。
しかし男が質問に答えず、楽し気にけん玉をしていることに苛立ちを覚えたのか、獅子吹はキッと怒りの表情を見せる。
「聞いてるんですかっ!」
「わわっ!? あちゃあ……失敗してもうたぁ。いきなり大声はかなんで、獅子吹くん?」
「大声を出させたのはあなたです――管月さん!」
「いやぁ、ちょいと夢中になってもうて。すまんすまん」
言葉とは裏腹にその態度はまったく悪びれてる様子はない。それが益々獅子吹の怒りのボルテージを上げるが、ヨルがその間に入ったことで獅子吹は一歩退くことになる。
「それで? 何故邪魔をした?」
「てかこっちとしては感謝してほしいところなんやけどなぁ」
「感謝?」
「いくらヨルの嬢ちゃんが勇者いうても、アレは相手が悪いで?」
「私が負ける……と?」
「可能性は高いわな」
「私は誰にも負けない」
「ヨルの嬢ちゃんが強いことは知っとるよ。せやけど、この前かて十鞍千疋に遅れを取ったって聞いたで?」
「…………」
沖長たちもいた公園での一幕だ。そこに居合わせた戸隠火鈴と戦っている最中、二人同時に制圧したのが千疋だった。
「もっとも嬢ちゃんかて全力ではなかったやろうけど、そんでも世の中にゃあ嬢ちゃんが思うとる以上に強者は多いで?」
「それでも私は勝つ。それが私の価値なのだから」
「…………そんな生き方、ホンマに楽しいんか?」
「人生を楽しいと思ったことなどない」
「せっかくの人生なんやで? 楽しんだもん勝ちって言葉知らんのかいな」
「楽しまなくても私は勝つ」
「…………はぁぁぁ~。へいへい、さっきは邪魔してもうて悪うございましたぁ」
「管月さん、謝罪するならもっと誠意を込めて――」
「獅子吹くんは黙っといてんか。つか、倒れとったところを介抱してやったん誰やったっけ?」
「ぐっ……それについては感謝していますが」
どうやら大悟にやられた地に伏していた時に、管月に拾われたようだ。
「というより、管月さん。あなたは確か別の任務を言い渡されてたはずです。まさか任務をほっぽり出して……」
「任務ぅ? ああ、それな。気に食わんから断ったで」
「気に食わなかったって……組織に身を置く者としてその判断はいかがなものでしょうか?」
「いやせやかて、皇居に侵入してかの占い姫を拉致やで? んな横暴な真似できっかいな。バレたら人生の破滅やがな」
「それが任務なら感情を押し殺してでも遂行するべきでは?」
「それではい人生終了~になってもええのん?」
「その覚悟して大義は成せませんから」
「かぁ~獅子吹くんは真面目というか単純というか、最早アホやな」
「ケンカ売ってんなら買いますけど?」
「ウハハ! 冗談や冗談! せやからそんな怖い顔せんとってえなぁ。おじさんチビるやんか。あ……ちょっとチビったかも」
「汚なっ!?」
「冗談に決まっとるやろ。やっぱ君はからかい甲斐があるやっちゃのう」
愉快気に腹を抱えて笑う管月を見て、獅子吹は顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。
すると活気づく二人に対し、ヨルは憮然としたまま踵を返す。
「ん? どこ行くん嬢ちゃん?」
「……お前には関係ない」
「さよか。けど、戻ってももうターゲットはおらへんと思うで?」
しかしヨルはその言葉に耳を傾けることなく去って行く。その後を獅子吹もついて行こうとするが、「ちょいとちょいと、獅子吹くん」と彼を止める。
「何ですか? もうこっちはあなたなんかに用事なんてないんですけど?」
「つれへんなぁ。ま、一言だけ言うとこって思ただけや」
「……何です?」
「…………ヨルの嬢ちゃんからあんま目ぇ離すなや」
「へ?」
「失いたないんやらのう」
「……そんなことあなたに言われなくても分かっています」
それだけ言うと、獅子吹は全速力でヨルの後を追っていった。
残された管月は、大きな溜息とともに天を仰ぐ。
「楽しまんと損やで……人生っつうんは」
それは誰に向けての言葉なのか。静かに路地の中に消えて行った。
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