第177話

 ――【横浜中華街】。


 日本に在りながらも中華色に染まった場所で、どこか異界感もあって自然と気持ちが高揚する日本人は多い。またあちらこちらから腹の虫を刺激するような香りが漂ってくる。連日大勢の人たちで賑わい、中には歩きながら中華まんやゴマ団子などを美味そうに頬張っている様子が見て取れた。

 そんな中、一際高級感漂う店構えを持つ建物がある。


 まだ準備中と書かれた札がかけられており、その前を通る者たちが足と止めては腕時計やスマホを見て通り過ぎていく。

 そんな店内だが、実はすでに客が入っていた。VIPルームとして宛がわれてる豪華絢爛なテーブル席にて、二組の者たちが顔を突き合わせている。


「――ふむ。やはりここの白酒は最高だ」


 そう言いつつ白酒を、微笑を浮かべながらまた一口飲み生温かい息を吐く人物。彼の名は――七宮恭介。この国の防衛大臣を務める立場にある者だ。


「ここの酒は何でも美味いが、特にこの貴州で作られたものは絶品だ。おや、君は飲まないのかね?」


 酒で気分良くなっている恭介の視線が、対面に座る人物へと向けられる。


「いえ、勤務中ですので」


 目前に置かれた酒を一瞥することもなく即答するのは、国家秘密組織である【異界対策局】の局長――國滝織乃である。酒ではなく他の料理にも一切手を付けることなく、ただただ凛とした姿勢を保ちつつ恭介を静かに見つめていた。


「相変わらず固いな、君は。昔と少しも変わっていない」

「そういうあなたは随分と変わったように見受けられますね……恭介さん」


 織乃の咎めるような語気がこもった言葉に対し、恭介はどこ吹く風のごとく平静を保っている。


「この度は時間を取って頂いて恐縮ではありますが、さっそく本題に入らせて頂きたいのですが」


 そう言う織乃の少し後ろにはもう一人、局を代表する勇者として活躍する戸隠火鈴が控えている。ただしその眼差しは織乃が手を付けていない料理へと注がれている。どうやら腹の虫が騒いでいる様子。

 それでも一応織乃が護衛のために連れてきたこともあり、火鈴も頭を振ってすぐに厳しい視線を恭介へと向け直す。


「本題……か。わざわざこうして場を設けるくらいだ。余程の案件なのだろうなぁ」

「要件は先日、そちらが握られている勇者が起こした騒ぎに関してです」

「勇者? 騒ぎ? さて、何のことか分からんな」


 惚けるように肩を竦めると、今度はシュウマイを口に頬張る恭介。


「あくまでも白を切ると言うことですか?」

「白を切るも何も、仮にその騒ぎがあったとして、何故私と関わりがあると?」

「その勇者が例の施設――【ブレイヴファーム】出身だからです」


 その言葉に恭介はピクリと眉を僅かに動かした。


「ご存じですよね? いいえ、知らないわけがない。何せあなた自身がその施設のトップなのだから」

「…………」

「調査して驚きました。私たちが経験した過去のダンジョンブレイク以前にも存在した勇者育成施設。魔王討伐、あるいはダンジョン攻略を目的とした人材を育成する施設です。ですがそれは過去、ある失敗により結果的に頓挫され、施設は解体することになりました」


 静かに語る織乃に対し、恭介は黙して耳を傾けているだけだ。


「しかしその解体されたはずの施設がいつの間にか再度運営されていた。およそ十年ほど前から。そしてそのトップに立つ存在を知った時に愕然としましたよ。まさかあなただったとは、七宮恭介防衛大臣」


 確信しているということは、それなりの理由があるということ。もっとも焦りを一つも見せていない恭介の視線がチラリと火鈴へと向く。


「そこにいる戸隠火鈴から聞いたか」


 そう、他でもない彼女は【ブレイヴファーム】出身なのだ。彼女を保護した時に、施設の存在とそのトップである恭介の名を聞いていた。


「天涯孤独の身から救い、衣食住に生きるための術を教えてやったにもかかわらず裏切るとは、やはり勇者というのは信頼に値せんな」

「っ! んだよコラ! 喧嘩売ってんなら勝手やんぜ!」


 一瞬にして怒りが頂点に達し敵意を露わにする火鈴に向かって、織乃がその前で手をかざして制止させる。


「落ち着け、火鈴」

「で、でもよ! コイツは――!」

「お前の怒りももっともだ。しかしここで手を出せばこの人のことだ。それを逆手にとってこちらを不利にするような手段を講じてくる可能性が高い」

「っ…………わーったよ」


 釈然としない様子ながらも、織乃の言うことに従って一歩退く。


「クク……大人になったではないか、織乃。昔のお前なら、そこの勇者と同じように即座に噛みついてきたものを」

「私だっていつまでもあの頃のままではいられません。これでも組織を預かる身ですから」

「【異界対策局】……か。ずいぶんとまあ出世したものだな。もっとも……国家の犬とも言えるが」

「……あなたのやり口は熟知しております。そうやって相手の火種を刺激して燃え上がらせ油断や隙を作る。そうして常に主導権を握り、自身が有利になる流れへと持っていく」

「まるで責めるような口調だ。それのどこが悪いというのかね? 政治家なら誰もが有する、いや、持ち合わせておかなければならない技術だよ」


 確かに魑魅魍魎とも呼ばれる政治の世界でのし上がっていくためには、純粋なだけではいられない。それだけでは対抗し切れずに潰されるか取り込まれてしまう。

 だからこそ清濁併せ吞むような技術が必要になるのだ。どす黒く濁った世界で生き抜いていくためには。


「ということは、認めるのですね? あなたが【ブレイヴファーム】の施設長であると」

「さあ、それはそちらが勝手に判断すれば良いことだ。それともここで拘束し、無理矢理連行でもするか? 秘密組織とやらの権力を使って?」


 すると何かを察したかのように、警戒を強めた火鈴が織乃に耳打ちをする。


「おい、やっぱ結構な人数を潜ませてやがるぜ」


 その言葉に対し、「……そうか」と短く答えると、さらに剣呑な眼差しを恭介へと向けた。



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