第173話
「ほれほれ、もう一往復行け!」
野太いがよく響く声音が鼓膜を痛いくらいに震わせる。その声には気が抜けないような圧力が備わっていて自然と身体に力が入ってしまう。
必死で身体全体を動かして、ただただ体力の限界まで絞り出す。
現在沖長が何をしているのかといえば、二十五メートルプールをクロールで泳いでいるだけ。とはいってももう何度目になるか分からないほどの往復を繰り返しているのだ。
しかも今は夕方であり、朝と昼と三度目になる水泳をこなしていた。
そしてそんな沖長の泳ぎに対し、いちいち喝を入れてくるのは先日修一郎のもとを訪れた大悟である。
海パン一丁で、優雅にプールサイドに設置された椅子に腰かけて怒鳴り声を上げていた。
何故こんなことになっているのかというと、これが沖長に課せられた修練の一つだからである。
あの日、大悟から沖長を鍛えるために来たと言われ、一体どんなことを行うのかと期待半分不安半分でいたが、まさか一日中延々と泳がされるとは思わなかった。
しかもただ遠泳しているわけではない。それは――。
「――あぶなっ!?」
泳いでいる最中、嫌な気配を感じて身体を捻ると、すぐ傍で水が弾けた。見ると、大悟がまるで球を弾いたような手の形をこちらへと向けていたのである。
「ハハ、よく避けたじゃねえか、じゃあこれはどうだ?」
大悟が何度も指を弾くと、その度に小さな塊がこちらに向かって飛んでくる。
咄嗟に水の中へと潜りそれらを掻い潜るようにして回避してから再度水面に顔を出す……と、
「はぅっ!?」
見事に額に命中して水の中に沈んでしまう。痛みが強く額を押さえながらも、今度は当たらないように警戒して顔を水面から上げた。
「まだまだだな。ほれ、さっさと泳げ!」
大悟の要求に辟易しながらも、再び泳ぎを開始しようとした矢先にまた気配がして、今度はこめかみに直撃してしまい、そのまま悶絶することになった。
先程から大悟が飛ばしているのはオーラを圧縮させて作り上げた球体である。デコピンの強化版程度の威力しかないが、それでも当たれば痛いし、不意に受けると衝撃が大きくて体力だけでなく精神力も削られてしまう。
こんな感じで、プールを往復しながら時々放たれる攻撃を回避や防御するというのが大悟から出された課題である。
曰く、水の中は身体全体を鍛えるのに適しているし、延々と泳ぐことにより体力や精神力が強化される。さらに常に攻撃を警戒することで、危機管理能力をも養えるとのこと。
口では簡単に言えるが、実際にやってみるとこれがとんでもなく辛い。泳ぐだけでも体力は奪われるし、しかも休憩は許可されておらず、ひたすら同じ景色を眺めながら動き続けなければならないから精神的にもキツイ。
さらにいつどこから攻撃が来るか分からないのでアンテナを最大限に広げておく必要があり、同時にいろいろなことに気を配らないといけないということがこれほど難しいものだとは思わなかった。
ハッキリいって普段の修練よりも、この修練の一時間の方がが消耗的に上回っている。
(く、くっそぉ!)
好き放題されて怒りが込み上げてくるが、こちらとしても一度引き受けたこともあり文句は言えない。
(けどそれにしても容赦なさ過ぎじゃね? 俺まだ小学生なんだけど!?)
ハッキリ言って子供に課すような修練ではない。軍隊でもこれほどの厳しさはないのではなかろうか。
ちなみにココは父である悠二が経営しているスイミングスクールだ。今日は使わないとのことなので貸し切りで使用させてもらっているのである。
「おーら、あと三往復残ってんぞー!」
「ちょっ、さっき一往復って言って――」
「あぁ? 五往復にすっかぁ?」
「っ……三往復頑張りまっす!」
これ以上増やされてたまるかと思い、最後の力を振り絞って腕と足を動かす。しかしまたオーラの攻撃は飛んできてはダメージを受けそして……。
「……ありゃ? 失神しちまったか? しゃあねえな」
当たり所が悪かったせいか、意識を失った沖長を大悟がプールから引っ張り出す。
そして軽くビンタされて覚醒した沖長は、また最後までこなせなかった事実を知り歯噛みしてしまう。
「うぅ……もう身体が動かないんですけどぉ……」
「なっさけねえなぁ。それでも男かぁ?」
「男以前にまだ子供ですってば」
「ハンッ、俺がお前くれえのガキん時は、アマゾンで一人サバイバルやらされてたぜ?」
前にいろいろ雑談の最中で大悟の子供の頃の話を聞かされたが、彼もまた師匠と呼ぶような人物に無茶な修練を課せられていたらしい。
しかしそのお蔭もあってか、今では修一郎と同格の強さを持ち英雄の一人でもある。
「まあでも、さすがの俺でも初日は朝だけでぶっ潰れたもんだが……まさか立て続けに三回目ができるとはな。なかなか根性あるじゃねえか、おい」
大悟の時は朝の一度目でぶっ倒れてしまい、そのまま翌日まで寝込む羽目になったのだという。しかしそれを沖長は初日にして三度目まで貫いていた。
「お前の体力はどうなってんだかなぁ」
実際に朝の時にも限界を迎えて途中でへばってしまった。昼の時も同様だ。そして結局三度目も最後までこなすことはできなかったが、そもそもそれが異常なのだと彼は言っている。
正直これに関しては神から与えられた丈夫な身体のお蔭だ。少し休めば大体回復するので、後に残るほどの強大なダメージでも負わない限りは、一時間も休息できればある程度は初期の状態へと体調を戻すことができるのだ。
(そう考えたら《アイテムボックス》よりも、こっちの方がバグってるかもしれないよなぁ)
何せ子供ながらにしてこれだけ動けるのだ。もっと身体が出来上がり、さらに修練を積めば一日中走ったり泳いだりしても平然としてられるようになるかもしれない。それはもう人間の枠を超えている気がする。
もっとも人間として普通の生活を望むなら必要のない体質ではあるが、幸か不幸か沖長にとって必要不可欠で、今ではとても頼りになる体質となっているのでありがたいとは思っているが。
「んじゃ、今日は終わるか」
ようやく劇的な一日が終了したかと思っていると、
「――オッキくぅぅぅ~ん!」
一声で誰だか分かる声が部屋中に響き渡った。
見るとそこには水着を着込んだナクルと蔦絵がいたのである。
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