第148話

「……………ふぅ」


 生温かい息を吐きながら椅子の背にどっぷり身体を預ける國滝織乃。

 その肩書は【内閣府・特別事例庁・異界対策局】の若き局長であり、現在いる場所も一人に与えられる部屋としては大き過ぎるほどに静寂が支配している。


 先ほどまでパソコンで事務作業を行っていたが、ふと時計を見て、すでに五時間以上休憩なしにぶっ続けで仕事をしていたことに気づき疲れを感じた。

 目元を軽くマッサージしつつ、コーヒーでも飲むかと自費で購入して持ち込んでいる最新式のコーヒーメーカーが置かれた棚へと向かう。


 軽い眠気を飛ばす理由もあったが、ただ単純にコーヒー好きを超えたマニアとして、できるなら毎日七杯は飲みたいと考えているので、ふとした時にはいつもこうしてコーヒーを求めてしまうのだ。


 若い頃は、よく友人と一緒にカフェや喫茶店巡りをして、自分好みのコーヒーを探すのを楽しみにしていたが、それも今ではできないほど多忙になっていた。

 だからこそこうして性能の良いコーヒーメーカーを購入して自分で入れるようになったのだが。


「……ん。ふぅ……やはりコーヒーは良いな」


 淹れたコーヒーを立ちながら堪能しつつ、その思考は最近のダンジョン情勢へと向けられていた。

 この頃、日本各地でダンジョンが確認されているという報告が上がってきている。その度に調査へと向かい、局に所属している勇者を派遣し攻略に勤しむ。


 今はまだ発生間隔に開きがあるからいいものの、過去の事例からすると、これから先その感覚は短くなっていく。そうなれば対応に間に合わなくなる危険性も高まる。


「……やはり今のままでは追いつかんか」


 織乃が懸念するのは勇者の数である。元々稀少な存在である勇者は、その資質を持つ者を見つけることが困難極まりない。もちろん勇者候補生もまた同様に、だ。

 ただダンジョン主を討伐することができるのは勇者だけ。故に覚醒した者がいれば、局としては喉から手が出るほど欲しいのだ。


 織乃はテーブルへと向かい、椅子に腰かけるとパソコンのファイルを開く。

 そこには様々な人物のパーソナルデータが書かれていた。


「日ノ部ナクル……まさか修一郎さんとユキナさんの子供が勇者とは」


 ナクルの写真つきデータを見つめながらコーヒーで喉を潤す。しかしその表情はどこか険しいものへとなっている。


「蛙の子は蛙とはよくいったものだな」


 織乃もまた、修一郎たちとともに前回のダンジョンブレイク時に活躍した一人だった。彼らは勇者ではなかったものの、特に修一郎の活躍は英雄と呼んでも遜色ないほどのものであり、織乃を含めた周りの者たちが全員彼を頼っていたと思う。

 修一郎は皆の期待に応え、時の勇者を支える最強の剣として日本を守った。そしてそんな修一郎の傍でずっと支え続けたのがユキナである。


 あの二人の英雄の血を引く子もまた英雄の道を歩める力を持っていた。そのことに納得できるものを感じつつも、あの恐ろしい戦いにまだ子供であるナクルを投じていいものかと複雑な思いもまた持っている。


 だが自分たちもまた日本を守るために必要な手段は講じないといけない立場だ。だからこそ申し訳ないと感じつつも修一郎たちのもとへ向かい、ナクルを預けてもらうことを提案した。


 結果は完全な拒絶であったが、報告によるとナクルやその周辺の子供らが、ダンジョンに挑んでいることは掴んでいた。それを上手く利用できないかと自然に考えてしまうようになったのも、自分が局の人間として固められてきた特徴かもしれない。


「昔は子供を巻き込むなと息巻いていた私が……な」


 自分たちが活躍した時期にも、子供を戦わせようとする大人はいた。そんな者たちに嫌悪を示し拒絶していた織乃だったが、まさか自分が大人になって同じことをしているなんて笑い話にもならない。


「だが…………このまま放置はできない」


 そんなことをすればいずれ妖魔たちに日本が滅ぼされる危険がある。そうでなくとも他国がダンジョンの資源を独占し強国化する中で、こちらが何もしなければ力で捻じ伏せられることも十分有り得る。


 それがきっかけで世界戦争が勃発してしまうと、日本は間違いなく取り残されるか潰されてしまいかねない。そうならないためにも、ダンジョンの資源は必要だし、それに比例して最大戦力としての勇者やその候補生が必要になってくるのだ。


 故に現在も全国に社員を派遣して勇者捜索を行っているが、何とも芳しくない報告しか上がってきていない。

 まだ時間はあるといえど、できる限り戦力は確保しておきたい。


「……それに敵は外だけではないしな」


 別のファイルを開く。それはマル秘データであり、パスワードを要求される。素早くパスワードを入力すると、新たなファイルが目の前に現れる。

 そこには様々な文書、動画データなどが収められており、その一つの動画データを確認した。


 一人の人物が要人と会っている映像が流れている。


「やはりあなたも動いているんだな――七宮恭介」


 その人物こそ現在の防衛大臣。本来ならともに総理大臣を支える柱であるはずだが、織乃の視線は味方に向けられるようなものではなかった。

 動画は恭介が皇居内へ向かう姿が映し出されている。その理由は明白だった。


 彼が皇族を味方にしようとしていることは分かっている。いや、皇族というよりも彼の目的は現代の占術師である天徒咲絵を意のままに操ろうとしているのだろう。

 彼女の未来視を利用することができれば、今後の展開を自分の手でコントロールすることも可能なはず。そうなれば誰よりも先んじてダンジョンに眠る秘宝を手にできる確率が高くなる。


 幸いなのは、恭介の娘でもある咲絵には、おいそれと接触できないことか。謁見できたとしても恐らく長くても数分程度に制限されているはず。そんな短期間では、咲絵を自在に操作するなどできないだろう。


「彼女が我々の側についてくれると嬉しいのだがな」


 いくら総理大臣直轄の組織とはいえ、政治干渉しない皇族側に立場を置く咲絵を一方的に利用することは難しい。総理も何度も足を運んでいるようだが、上手く流れに乗せることができないでいるようだ。

 こればかりは今の織乃ではどうにもならない。立場の差があり過ぎて謁見すらままならないのだから。


「七宮恭介が総理と手を組んでくれるのが一番なんだが……」


 しかしそれぞれの目的が異なっている以上、それは難しいとしか言えない。表面上では手を取り合っているように見えても、裏ではどちらが先に目的を達成するかの競争だ。

 だからこちらも先取れるように恭介の行動を逐一調査しているというわけである。

 織乃はまたも深々と溜息を吐きながら椅子に身体を預けた。


「やれやれだ……」


 疲弊を感じさせる表情のまま、再び勇者やその候補生たちの資料を眺める。そしてある人物のデータに注目した。


「そういえば……この子も候補生だったな」


 視線の先にあるのは札月沖長のパーソナルデータ。


「彼の周りには日ノ部ナクルもいる。それにあの十鞍千疋が親し気にしているという情報もあるな。ダンジョンも数回挑んで無事に戻ってきている……か。血筋は……特に変わったところはない。いや、札月……その名をどこかで……」


 するとそこへ扉がノックされ、入室を許可すると秘書が入ってきて、そろそろ会議だという報せを持ってきた。

 織乃は再度沖長のデータを一瞥した後、パソコンの電源を切ってから部屋を出て行った。



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