第149話

 少し時は遡り、九馬水月の母――美波の仕事場で事故が発生してから十数分ほど後のこと。

 美波の仕事場から遠く離れた廃ビルの屋上で、ステッキを手にする紳士然とした男性が一人、その仕事場付近を眺めていた。


 仕事場ではトラックが突然爆発したことにより炎上し、空に黒い煙が上がっている。しかしそれもすぐに消防車が駆けつけて鎮静化した模様。

 死傷者はおらず、奇跡的にも怪我人も軽傷で収まっていた。かくいう美波がその中でも一番の被害者だが、重傷までは届いていない程度である。


「ふむ……失敗したようですね」


 その言葉でトラックの爆破が間違いなく関わっていることが分かる。事実、あの事故はこの男性によって引き起こされたものであった。

 その目的は美波を害することにあらず、その先に繋がる結果を求めてのこと。しかし思い通りに事が運ばなかったのである。 


 しかしそれにしてはあまり悔しそうな表情を見せていない。それどころか愉快そうな雰囲気こそ漂っている始末だ。


「よもや彼女が現れ、私の邪魔をするとは。いやはや……随分と懐かしい顔を見ました。約十三年ぶりでしょうかね――――――十鞍千疋」


 その名を口にして口元を綻ばせる。それは言葉通り懐かしさが含まれており、どこか楽しげでもあった。

 トラックを爆破させ美波を巻き込む予定だったが、その直後に千疋が出現して美波を窮地から救ったところを目にしている。


「もっとも〝カオスの呪い〟に蝕まれている以上は、こうして再会するのも必然ではありましたが……何故彼女が動いたのかは疑問ですね」


 男の中の千疋という人物評価は、孤高の戦士といったところ。それは十三年前のダンジョンブレイク時から、いや、もっと前からそうだった。

 他人と関わらず、常に冷静沈着で無口を貫き、淡々とダンジョン攻略に勤しむ。だがその強さに間違いはなく、文字通り勇者の中でも最強位にあったはず。


 そんな彼女が率先して誰かを守るために動くとは到底思っていなかったのである。確かに結果的に人類を守ったパターンは多いが、今回のように特定の人物を護衛するような形で動いたところを見たことがなかったのである。


「今代の十鞍千疋に変化が生じたということでしょうか……?」


 ふむ……と顎に手をやり思案顔をするが、すぐに溜息を吐き出す。


「考えても仕方ありませんか。それよりも今後の計画を練り直す方が建設的ですね。せっかく勇者の資質を持つ子供を確保できるかと思っていたのですが……あの千疋が護衛に在るのであれば今は下手に手を出さない方が良いかもしれませんね。だとしたら……」


 男の脳裏に浮かぶのは水月……ではなく一人の少年。


「……もう一人を当たることになりますか。しかしどう見ても少年……勇者は女のみだったはずですが。ただ彼がダンジョンに招かれていることもまた事実。それに彼だけでなく、どうやら数名の少年の存在も確認されている。……どうやら此度はイレギュラーが多い」


 普通思い通りに事が運ばなければ苛立ちを覚えるだろうが、男はやはり苦にするどころかまるで希望に満ち溢れているような表情を見せていた。


「フフフ、面白いですね。やはりハプニングは人生において最高のスパイス。有史以来初の少年勇者の誕生をこの目にできるかもしれませんね。実に……興味深い」


 ニヤリと口角を上げ、そのままゆっくりと踵を返す。


「これから楽しくなりそうですね」


 その直後、彼の目前の空間に亀裂が走り、その中へと消えて行った。



     ※



 ――【皇居・樹根殿・月の間】。


 この部屋で行われるのは、荘厳な和装で身を飾った女性――天徒咲絵による占術である。

 現在もいつものように〝水鏡〟と呼ばれる水を利用した占術を行っていた。

 水面に揺らぐ波紋や、ところどころに星のように光る粒をその目にして、その形から咲絵は未来を見通していく。


「…………! また一つ……未来が変化した」


 その言葉とともに、咲絵は小さく息を吐く。そして微かに目を細め遠くを見つめるような眼差しを見せる。


「私が最初に見た未来が、徐々に変化していっている。こんなこと……今まではなかったのに」


 ただその言葉とは裏腹に悲壮感は漂っていない。むしろその結果に頼もし気を感じているようだ。


「私が一番変えたかった未来――姉様の死。それが覆ったことは心から嬉しかった。けれど……それから次々と未来が変化している。そしてその中心にいるのは……この大きく瞬く一つの星」


 碧き双眸が見据えるのは水の中に煌めく強い輝きを放つ光の粒。

 それは以前、騒乱の相を感じた星のことでもあった。


「この星の持ち主が未来をよりよい方へ導いてくれている。……この星を持つ者なら、もしかしたら……」


 これまで決定した未来を変えたことは幾度とあった。それが自身の……国家占術師の役目であり、ひいては日本を守るためなのだから。 

 しかし正直にいえば、咲絵にとって国家の未来よりも家族の未来の方がより大切だ。


 とりわけ血を分けた双子の姉である七宮蔦絵の平和を何としてでも守りたいと思っている。そうして日々を生きてきたのだ。

 しかし先日、それが脅かされる未来が視えてしまった。


 ――蔦絵の死。


 その時は何かの間違いだと思って何度も何度も占ったが、結果が覆ることはなかった。

 そして自分の占いが外れることも今までなかった。


 故に何とかしてその悲劇的な未来だけは変えようと動きたかったが、ここから出られない自分ではどうにもならない。護衛役である黒月に頼んでも、彼女もまた皇居内を出ることは禁止されているので無理だった。 


 だから父であり防衛大臣でもある恭介に蔦絵を守るように伝えたが、「分かった」とだけ言うだけで、未来が変わることはなかった。それは彼が動いても覆ることがないことを示していた。


 大切な姉の死を知りながらも見捨てることしかできない自分に絶望した。だがある日、もう何度目かになるか分からない姉の死に関しての占いに変化が生じたのである。

 それが今視えている強烈な輝きを持つ星の存在だ。それが消えかかっていた蔦絵の星の輝きを元に戻した。


 そうしてその強い星は、これまで視た幾多の未来をも変化させていく。ある星の輝きを強くさせたり、黒く濁っていた星を清純な輝きに戻したり。そして今回もまた、消えかかっていた星の存在を強くした。


 それら救われた星々が、次々と力強い星に惹かれるように集まっていっている。

 そんな眩く暖かい輝きを放つ星を見ていると、咲絵は何故か心が落ち着くのを感じた。


「あなたなら…………もしかしたら私たちのことも……」


 それは切望にも似た呟きだった。



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