第140話

「……できればこんな事実なんて知らないで過ごしてほしかったんだけどな」

「え……」

「ハッキリ言って、ダンジョンやら妖魔やらとは関わらない方が良いんだよ。けれど……一度関わってしまった以上は、相応の知識がないと危険だから」


 それにやはり〝ある存在〟の懸念が拭えないから。


「札月くん……」


 何だか気まずい沈黙がその場を支配し、どう言葉を発したものか悩んでいたその時だ。


「………………ねえちゃ?」


 不意に聞こえてきたか細い声に視線を向けると、そこには小さな枕をギュッと抱えた小さな男の子が立っていた。

 恐らく先ほどから騒がしいことに気づいて様子を見にきたのだろう。


「り、陸! 起きてきちゃダメじゃんか!」


 慌てて水月が男の子に駆けつけ、反射的にその額に手を当てた。


「熱は……大分下がってるけど……まだしんどいでしょ?」

「んぅ…………だれぇ?」


 当然男の子の視線はジッと沖長へと向けられている。水月は少し気恥ずかし気にオロオロしているので、ここは沖長が自己紹介することにした。


「こんにちは。俺は水月お姉ちゃんと同じ学校に通ってる札月沖長っていうんだよ」

「ねえちゃの……おともだち?」

「ん……そう。いつもお姉ちゃんには世話になっててね」

「ちょっと世話をした覚えなんてないというか、さっき助けてもらったばっかなんだけど!」


 それは言うなという意味を込めてジッと水月を見ると、彼女も慌てて口を噤んだ。


「ところで君の名前を教えてくれるかな?」

「ぼく? ぼくは……りくまりゅ」


 まだ熱が影響しているのか、どこかぼ~っとしていて舌も上手く回っていない様子。けれどそこがとても愛らしさをかき立てる。


「そっか、陸丸くんか。はは、可愛い子だね、九馬さん」

「そ、そう? ありがと。けどいつもはもっとやんちゃでうるさいけどね」

「この年頃の子供はどこも似たようなもんだよ。元気があるならそれが一番」


 きっと三つ子が揃えばもっと賑やかなのだろう。それこそ姉である水月が辟易するほどに。


「ねえちゃ…………アイスは?」

「ちゃんと買ってきたってば。あんたが寝てたから後でって思って。今食べたいの?」


 その問いにコクンと小さく頷く陸丸に対し、「じゃあちょっと待ってて」と冷凍庫を開いてカップアイスを取り出すと、スプーンと一緒に陸丸に渡した。

 しかし渡されたものの、それをジッと眺めているだけの陸丸に水月が首を傾げる。


「……! もしかして九馬さんに食べさせてほしいんじゃない?」

「え? そ、そうなん、陸?」

「…………うん」


 どうやら沖長の予想が当たっていたようだ。


「もう、今お客さん来てるからまた後でね」

「……いまたべたい」

「ワガママ言わないの!」

「だって……」


 叱られたことでシュンとなる陸丸を見て、沖長は何だか微笑ましく思った。


「食べさせてあげなよ、九馬さん。俺のことは気にしないでいいしさ」

「え、でも……」

「いいからいいから。体調が悪い時くらいはお願い事を聞いてあげないとさ」


 そういう時、得てして誰もが優しさに甘えたくなる。とりわけ子供ならば、親や兄姉に対しいつも以上に頼ってしまいがちだ。


「……はぁ。分かったけど、大人しくすること。いい?」

「うん、おとなしくする」


 素直な陸丸に苦笑を浮かべながらも、彼からアイスを受け取った水月が食べさせ始めた。


「やっぱ慣れてるなぁ」

「まあ、三人も弟がいれば自然と、さ。ははは」

「うん、九馬さんはきっと良いお母さんになると思うよ」

「おかっ……も、もう! いきなり何言ってんだし、この女たらしくんは!」


 酷い言い草だ。正直な感想を述べただけだというのに。

 これが大人の女性相手なら沖長も言葉を選ぶが、相手はまだまだ成熟には程遠い子供なのだ。ここは素直に喜んでくれた方がありがたいのに……。


 そうして若干顔を赤らめつつ、何でもないような日常的な会話をしていく。

 水月の母親や三つ子の性格や特徴や、普段休日でどう過ごしているかなど、沖長もまた自分の家族について話す。そしてナクルと一緒に彼女の父が開いている古武術を学んでいることも伝えた。


「なるほどなぁ。だからナクルも札月くんも運動神経抜群なんだ。毎回運動会で大活躍してるもんね」


 確かに自分とナクルが出た競技は、集団競技以外のものだとすべて一位を獲っていた。しかも圧倒的に。

 最後に行うリレーなんて、ナクルや沖長が出るだけで他クラスからブーイングと諦めの空気が流れるほどだ。しかもこちらには銀河もいることで、運動会ではほとんど負けないというわけである。


 アイスを食べ終わった陸丸だったが、そのまま再び寝ると思いきや、沖長に興味を示していろいろ質問を投げかけてきた。

 警戒されているかと思っていたが、どうやらその心配はなさそうで沖長もホッとする。

 特にアニメや漫画の話に付き合ってやると、嬉しそうな顔を浮かべている。


「ほらほら、もうその辺にして寝なさい」

「えぇ……もっとにいちゃとはなしたい」

「ダーメ」

「ぶぅ……」


 何て可愛らしく頬を膨らませることか。ナクルの小さかった時のことを思い出して心がホクホクだ。


「はは、陸丸くん、風邪が治ったらまた会いに来るから、その時に一緒に遊ぼっか」

「! ……ほんと?」

「ああ、約束な」

「うん、やくそく」


 懐かしい指切りをしたあと、陸丸は水月に連れられて満足そうに寝床へと戻っていった。

 不意にスマホを確認すると、そこには複数の人物からメッセージが入っていて驚く。急に学校から出てきたから当然といえば当然だが。

 特にナクルからはストーカーかな? と思うほどの量が注ぎ込まれていた。


(……ちゃんとフォローしとかねえとな)


 そう思いつつ、深い溜息が零れ出た沖長だった。




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