第136話

 沖長は急いで水月に会うために、彼女がいるであろうクラスへと駆け出していた。

 何故そんなにも焦っているのかというと、長門から話を聞いた直後にどういうわけか嫌な予感が過ぎったからだ。


 こういう虫の知らせみたいなものは前世の頃からよく当たる。バスジャックの時も、朝起きた時に、別に体調は悪くないのに猛烈に仕事に行きたくないという気持ちがあった。


 それでもサボるわけにはいかずに出かけた結果、最悪の日になってしまったのである。

 今までもそんな感じで悪いことが起きていたが、さすがに殺されることになるなんて思わなかったため、何とか乗り切れるだろうという程度の考えだったのだ。


 故に今世はこの予感を最優先に考慮して行動しようと思っている。だから今感じている気持ちが、どういう結果をもたらすのかを知っているために急いでいるわけだ。

 もうすぐ昼休みが終わるので、どこかへ出かけていても教室へ戻っていることを推察して、水月のクラスへと到着すると同時に、勢いよく扉を開ける。 


 当然激しく開いた扉の向こう側に見知らぬ男子がいることで、そのクラスの生徒たちは一様にキョトンとした様子をしているが、沖長は気にせずに教室内を見回す。


(……どこだ? どこにいるんだ九馬さんは!?)


 目まぐるしく視線を動かすが、端から端まで彼女の姿を見つけることはできなかった。

 まだ戻っていないのかと一瞬思いつつ、近くにいる生徒に声をかける。


「あの! 九馬さんはどこ行ったか知らない?」


 急いでいるからか、少し威圧的になった声音にビクッとするものの、声を掛けられた生徒はおずおずと質問に答えてくれた。


「え、えっと……九馬さんなら今日はお休みだけど……」


 その言葉を聞くと同時に「教えてくれてありがとう!」とだけ言うと、すぐにその場を後にする沖長。

 すると廊下で屋上から降りてきたであろう長門とすれ違う。


「ねえ札月、いきなり飛び出すなんて一体何が――」

「羽竹! 九馬さんが休んでる!」

「……何だって?」

「もしかして今日が、その日なんじゃないのか!」


 沖長の言葉に対し、長門は顎に手を当てて考え込む。


「……確証はないけど、その可能性は高いな。時期的にはもうイベントが起こってもおかしくないし」

「やっぱり……! なら急がないと!」


 踵を返して走ろうとする沖長の腕を長門が掴んで止めた。


「ちょっと待ちなよ! まさか今から九馬水月に会いに行くつもりかい?」

「もちろんだ! だって急がないと!」

「いいから落ち着きなよ! そもそもダンジョンの亀裂が生まれる場所を君は知っているのかい?」

「っ……それは……知らない。けど九馬さんを家から出さなければ大丈夫なんじゃないのか? それとも亀裂は彼女の家に起こるのか?」

「いいや、原作では確か風邪で寝込んでる弟がアイスを食べたいって言って、コンビニに買いに行ってその後に亀裂と遭遇したはずだよ」

「詳しい場所は分からないのか?」

「えっと……アイスを買って、確か近道をしようと公園を抜けようとした時だったかな? そこにダンジョンの亀裂が生まれて……って、おい!」


 そこまで聞けば十分だった。幸い先日水月の家の玄関まで行くというイベントがあった。だから彼女の自宅近くまで行けば公園だって見つかるはず。

 そうして沖長は最低限の情報だけを手にしたまま全速力でその公園に向かって走り出したのであった。



     ※



 本日は月曜日であり、いつもなら学校で授業を受けている頃だ。

 しかし今、水月は自宅で家事をこなしていた。その理由は弟の一人が高熱を出して寝込んでおり、その看病をするためである。


 最初は母親がその任を務めると言っていたが、母子家庭でありあまり裕福でもないため、できることなら仕事を休みたくないであろう母親の心情を慮って、水月が看病に名乗り出たのである。

 特に勉強が苦手というわけでもないし、成績も悪くはないので、数日授業を休んでも別にどうってことはない。そういうわけで母親を仕事に送り出し、残った水月が看病と家事を引き受けることになった。


 ちなみに弟は三つ子であり、残り二人は幼稚園に行っている。残りたいと言っていたが風邪が移っても大変なので、直接水月が幼稚園まで送って行ったのだ。

 水月が住んでいるのはアパートの一室であり、五人家族が住むには少し手狭な部屋ではあるけれど、それでも平和に慎ましく過ごせている。


 現在床に敷かれた布団の上で弟――陸丸は、顔を赤らめさせながら寝入っていた。少し前までは呼吸が荒く辛そうだったが、今は薬も飲んで穏やかな様子。

 水月はその傍で洗濯物を畳みながら昼食としてサンドイッチを摘まんでいる。これは朝起きて、母のために弁当作りをしたその残りだ。


「…………ねえ……ちゃ」


 不意に陸丸から声が漏れ、「どうしたの?」と声をかけてやる。同時に彼の額に手を当て、少し下がってきた熱にホッと息を吐く。


「ねえちゃ…………いる?」

「ここにいるって。だから安心して寝てなさい」


 大人だって体調を崩せば不安に陥る。それが一人なら猶更だ。加えて陸丸はまだ幼く、痛みや辛さに耐性だってない。だから余計に不安が押し寄せてしまうのも無理はない。


「まったく、いつもは三人揃ってうるさいのに」


 今は有り得ないほど静かなものだ。だからか思わずクスっと笑みが零れてしまう。

 面倒ばかりかけるといっても、やはり可愛い弟たちであり、そのまま真っ直ぐ育ってほしいと姉として願っている。


 だからどれだけ自分の時間が削られようが、この子たちが笑っていられるならそれで満足だ。

 微笑みながら陸丸の頭を優しく撫でていると、彼が微かに瞼を開けてこちらを見た。


「……どうしたの? 何かしてほしいの?」

「……あまくてつめたいの……たべたい」

「えぇ……氷じゃダメ?」

「あまいのが……いい」


 そうは言ってもと立ち上がり、冷蔵庫の中を確かめる。野菜や肉などはあるが、陸丸が欲するようなデザート系は欠片もない。


「ええ、陸? どうしても食べたいの?」


 その問いに、陸丸はウンウンと頷く。


(どうしよう……じゃあ買いに行かないといけないけど)


 幸い母からは、少しだけだがお金をもらっている。


(ここからコンビニまでは近いっていっても歩いて五分くらいはかかるし)


 それまでこの子を一人にしてしまう。けれどどうにかしてこの子の望みを叶えても上げたい。


「……ねえ陸、じゃあコンビニ行ってくるけど、大人しく待っててくれる?」

「アイス……かってきてくれる?」

「もう、しょうがないなぁ。待っててくれるなら買ってきてあげるけど?」

「…………まってる」


 とりあえず陸丸の同意を得ることはできた。しかしそれでもできるだけ一人にしておきたくないため、水月は急いで準備をして外へと出たのであった。



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