第137話

 本当は風邪で寝込んでいる弟を一人残して外出などしたくないが、弟たっての望みを叶えたいという気持ちも強い。

 幸いコンビニまでは歩いて五分ほどのところにあり、走ればもっと早く着く。だからさっさと買って、寂しい思いをしているであろう弟のもとへ駆けつけてあげたい。


「そうだ、公園を突っ切って行こ!」


 本来なら迂回するのだが、少しでも時短になればと普段弟たちを連れてきて遊ばせている公園へと足を踏み入れる。

 昼時ということもあって、公園には誰もいない。たまにサラリーマンのおじさんがベンチに座ってぼ~っとしていたりするが、今日はまったくといっていいほど閑散としていた。


 この公園は水月が生まれた前からあるらしく、木々や草花などの花壇もあり住民たちの憩いの場所として存在しているのだ。

 そしてそのまま公園を突っ切って少し先を行ったところに交差点があって、そこにある道路沿いにコンビニが建っている。


 何事もなく辿り着いたものの、明らかに小学生としか見えない水月に気づいた店員が若干眉をひそめるが、すぐに笑顔で「いらっしゃいませー」と歓迎してくれた。恐らくこの時間帯に小学生が一人で来ることは珍しいのだろう。


 それもそのはずで、今日は平日であり今頃は学校にいるはずなのだから。

 水月はそんな店員の気持ちをよそに、アイスとスポーツドリンクを手早く買うと、すぐに店から出て行く。


 そしてまた公園が視界に入り、そのまま突っ切って自宅へと急いでいたのだが……。


「……?」


 不意に空気が冷えたような感覚を覚えた。すると周辺から音が消えたような……いや、時が凍り付いたような静寂が訪れる。

 先ほど通った時はこんな違和感はなかった。いつも通り、ここからでてもいろいろな音があちこちから聞こえてきたはず。風によってざわめく木々や草花もそうだが、鳥や昆虫の鳴き声もあり、少し遠くからは交通の音だって耳に届いていた。


 それがまるで音という音が一切断絶したような世界に迷い込んだような錯覚さえ感じる。

 それがどうにも恐ろしくなり身震いしてしまい、思わず逃げ出しそうになってしまう。


 だが直後、ソレは目の前に現れた。


 水月の進む先の空間が歪んだと思ったら、まるでガラスが割れるような小気味の良い音が響き、空間にヒビが入っていく。


「え……え?」


 何が起きているのか困惑し、自然と足を止めてしまっていた――が、



「――――――九馬さんっ!」



 その声が水月に正気を取り戻させた。

 それと同時に自分へと駆け寄ってきた人物を見て唖然とする。


「……ふ、札月くん?」


 そこにいるはずのない男の子がいたのであった。



     ※



 沖長は学校から真っ直ぐ全速力で水月の自宅へとやってきていた。

 だがここでどうしようか悩む。まだ水月が自宅にいるとして、それをどう確かめればいいのか。


 普通は訪問して顔を見るだけで事足りるが、今は授業中でありここに沖長がいるはずがないのだ。もしいるなら相応の理由が必要になる。

 勢いのままに突っ走ってきたものの、今後の動きに対し頭を抱え込んでいると、突然妙な気配を感じた。そしてそれは以前にも何度か察したもの。

 間違いなくダンジョンが発生したであろう気配そのものだった。


「この感じ……くそっ!」


 遅かったのかと舌打ちをしつつも、気配に従って駆け出す。

 そして公園らしきものを発見し、長門からの情報と照らし合わせて間違いなくあそこが現場だと確信し乗り込む。


 するとすぐに水月を視界に捉えることに成功した……が、同時に彼女の傍にダンジョンが生まれそうになっている姿も目にした。

 沖長が水月の名を呼んで駆け寄り、そのまま困惑状態の彼女の腕を掴み、その場から逃げ出すように走る。


「えっ、ちょ、札月くん!?」

「いいから今は走って!」

「えぇっ!? 何かいろいろあってパニックなんですけど!?」


 それはそうだろうと思いつつも、沖長としてはあの場から一刻も早く去りたかった。


(どうなんだ? 間に合ったのか?)


 走りながらも思考は、〝ある存在〟についてだった。

 水月を見つけた時は、ダンジョンが生まれる直後だったが、〝ある存在〟がどの時期からそこにいたのかは分からない。


 完全に亀裂が生まれる時に現れたのなら間に合ったわけだが果たしてどうなのか……。


 そうして水月の自宅前までやってきて、沖長は警戒して周囲を見回す。変わったところはないし、誰かが追ってきている気配もない。


(これは……ギリギリ間に合った?)


 そう願いたいものだが、まずは――。


「ちょっと札月くん! ものすっごく説明してほしいんだけど!」


 当然ながら水月に対するフォローが必要になる。今後のことを考える時間もなかったため、何をどう誤魔化せばいいか整理できていない。


「えっと……とりあえず落ち着いて、九馬さん」

「あたしは落ち着いてるし! ていうか何でいるの? それにいきなり腕掴んで走るし!」

「あー……何かあそこにいたら危険な気がした……から?」

「はぁ? 何なんそれ?」


 怪訝な眼差し。それも無理もない話だ。傍から見れば沖長のした行動は不審そのものなのだから。


「そ、それよりもほら、何か用事でもあったんじゃない?」

「え? ……あっ、そうだ! 早く家に帰らないと!」


 そう言うと、水月は足早に自宅へと向かおうとするのでホッとしていると、彼女がピタリと足を止めて、ゆっくりと振り返った。


「何してんの? 早く来て」

「へ?」

「へ? じゃないし。さっきのこと、ちゃ~んと説明してもらうかんね!」

「あ、はい」


 有無を言わさない迫力に頷くことしかできなかった。



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