第119話

 ピリピリとひりつく緊張感の中、畳の上に立っている人物は三人。 その内の二人である沖長とナクルは、最後の一人である蔦絵を挟んだまま身構えている。

 対して蔦絵は構えることなく自然体で立ち尽くしたまま。一見すれば隙だらけに見えるだろうが、少し腕に覚えがある者ならば分かる。


 あの立ち姿こそが、武芸者として理想の一つであると。

 変な力など一切込められていない無理のない体勢は、どんな攻撃にも即座に対処できる。実際にこれまで十数手の間、ナクルと一緒に攻撃を繰り出したが、その度に軽やからにいなされていた。


「行くッス!」


 ナクルが意を決したように表情を引き締めた直後に駆け出す。その速度は凡そ小学生いや、大人でも出せないほどの俊敏さ。瞬く間に蔦絵の背後に迫る。

 ナクルが繰り出す右拳は、身動き一つしていない蔦絵に吸い込まれていく――が、触れるか触れないかの寸でのところで、蔦絵が僅かに上半身を捻って拳を回避した。


 ナクルもかわされることを想定していたようで、驚きはほとんどなく、そのまま今度は鋭い蹴りを放つ。しかしそれも空を切り、さらにナクルは歯を食いしばりながら拳や蹴りの連撃を続ける。


 それでも蔦絵に掠ることなく回避され、次第にナクルの攻撃が大振りになってくる。あまりにも当たらないストレスで余計な力が入ってしまっている証拠だ。

 蔦絵はそんなナクルの未熟な動きを咎めるように、放たれた拳に向かってカウンターとして掌底を放ち、まともに腹部に受けたナクルは顔を歪めながら吹き飛んでいく。


 だがその直後、蔦絵に向かって幾つもの細長い物体が迫ってきた。

 蔦絵の意識はナクルへと向いており、完全に死角をついていた……はずだった。


 しかし油断も隙もないとはこのことか、蔦絵が振り向き様に飛んできた物体を片手であっさりと掴みとってしまったのである。

 そのまま細長い物体――千本を投げつけた沖長に向かって不敵な笑みを浮かべた。


(くそぉ……マジで人間かよ、この人は)


 最早その動きは漫画に出てくるようなキャラクターだ。いやまあこの世界そのものがファンタジーだから納得せざるを得ないのだが。

 それにしてもこの手順でも一本取れないとは脱帽するしかない。


 ナクルだって毎回ではないが、何十手に一度くらいは一本を取れるような成長を遂げているのだ。実際に少し前の組手では、ナクル一人で蔦絵に攻撃を当てている。

 しかしある時から、こうして二人がかりでも圧倒されるようになった。


(……あれって……オーラだよな?)


 それまで組手では感じたことのない、いや正確にいえば視ることができなかった蔦絵の全身を覆っている淡い輝き。

 それはナクルが纏うものとはまた別だが、確かにオーラであることは理解できていた。

 ある時から、彼女はそれを目に見えて放つようになった。


 それは――。


(最初のダンジョンを攻略した時から……だよなぁ)


 あの場で蔦絵は一度死を経験している。そこから沖長の手により蘇生し、こうして今も五体満足で生活することができているのだが、あれからというもの彼女が一段と強くなった気がした。それは間違いなく彼女が放つオーラのせいであろう。

 蔦絵曰く、それまでオーラの存在こそ知っていたものの、あまりコントロールを得手としておらず、言うなれば今までは生身のまま鍛錬をしていたらしい。


 しかしあの死を経験して以降、どういうわけかコントロールの術を獲得したようで、今では自在に身体能力を強化することもできるようになったとのこと。


(死んで蘇って強くなるってか。どっかの漫画にある設定だよなそれ……)


 だが実際に蔦絵は一つ上のステージに立っている。そしてそれはあの事件があったからこそ。


(対してこっちはオーラを十全に扱えるわけでもないし……)


 沖長は自分のオーラを扱えない。まだその域に達していないと修一郎からは聞いていた。

 確かに回収したオーラを行使することはできるが、この場で扱うのは問題になるので控えている。


 それにもう一つ問題がある。チラリとナクルを見ると、彼女は痛みを堪えながらも立ち上がっていた。

 その小さな身体からは僅かながら勇者としての資質を意味するブレイヴオーラが滲み出ているが、それでも途切れ途切れというか、出ている時と出ていない時が度々あって、明らかに自分の意思で扱えていないことが分かる。


 そう、これがナクルにとって問題なのだ。


 ダンジョン内では、ブレイヴオーラを扱いクロスまで身に着けるに至っている。その力は、今の蔦絵でさえ圧倒できるかもしれないほど。

 しかし外では何故かオーラを制御できていないのだ。これはどういうことかと同じ勇者である千疋に尋ねると、ただ単に鍛錬不足という言葉が返ってきた。 


 オーラというのは武器そのものであり、ただ持っているだけでは使いこなせない。扱うためには心、技、体がそれぞれ整っていないと難しい。とりわけ勇者が持つオーラは扱いが難しいらしい。

 ダンジョン内で行使できていたのは、ダンジョン内はオーラが扱いやすい環境になっているようで、無意識でもそれに応えてくれるのだという。


 しかし外では何のサポートもないために、自力で扱うには相応の鍛錬を要するのだろう。


「はぁぁぁぁっ!」


 ナクルが声を上げながら突っ込み、またも蔦絵にいなされて、今度は投げ飛ばされてしまう。しかも向かってきたのは沖長の方で、逃げずに彼女を受け止めてやった。

 だがその直後、首に生温かい感触を覚える。気づけば、いつの間にか背後に立っていた蔦絵が、沖長の細い首を掴んでいた。


「っ……参りました」


 この状況で抜け出すことはできない。完全に詰まれてしまった。

 大きな溜息とともに座り込む沖長と、そのまま横たわるナクル。


「はぁ……蔦絵さん、めっちゃ強くなってますよね?」

「ふふ、そうね。以前よりも身体が軽いし、これもオーラのお蔭よ」


 しかもこれでまだオーラを行使しての戦士としては初心者マークをつけているのだ。つまりこれからもっと伸びていくということ。もうこの人が勇者でいいのではと思ってしまうくらいだ。ただ実際に候補生止まりなので、ダンジョン主は倒せないのだが。


「それにしても沖長くん、さっきの千本のタイミングは良かったわよ」

「きっちり掴んどいて言いますか?」

「本当よ。ちゃんと成長してくれているようでお姉さんは嬉しいわ」

「は、はあ……」


 その色気ある笑顔にちょっとドキッとしたのは沖長だけの秘密だ。



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