第118話

 ――【樹根殿・花の間】。


 簾の向こうには人影だけが見え、その対面する側には跪き頭を垂れている人物がいた。黒装束で身を包み、素顔すらハッキリとは確認できないほど。露出している部分は目元だけである。


「――そうですか。では問題なく侵入者を捉えることができたのですね」

「はっ……姫様の仰られた通りの場所にて発見し、敷地内に入り込んだ直後に意識を刈り取りました」


 簾の向こう側にいる存在こそ、この【樹根殿】に住まう主――国家占術師としてその任に就いている天徒咲絵である。


「さすがは黒月です。それでこそ古くから続く〝護衛忍〟ですね」

「ありがたきお言葉。しかしよもや侵入者がまだ十歳とは驚きでしたが」


 黒月と呼ばれた者が捉えたのは金剛寺銀河その人。何故銀河の侵入に対し瞬時に対応できたのかというと、事前に咲絵から伝えられていたからだ。


『今日この日、この時間帯に侵入者あり』


 そう告げられた黒月は、咲絵に害を成す恐れありと判断し対処に向かったというわけだ。

 しかしさすがは未来を見通すことのできる咲絵の力だと黒月は感嘆している。

 彼女の稀有な能力と自分の護衛力があれば守り通せないものなどないとさえ感じてしまうだろう。


 実際今回だけではなく、二人の力によって事件を未然を防いだ事例も少なくはないのである。


「ご指示の通り、まだ奴のことは内密にしておりますが、いかが致しましょうか?」

「相手はまだ子供です。いくらこの場に侵入をしたからといって酷いことは望みません。ただ気になるのは……」

「あの者が半蔵門をどうやって開けたか、ですね?」


 黒月の言葉に「ええ」と短く答える。


「観察はしておりましたが、特別なことはしておりませんでした。ただ門に触れていた……いや、何度もなぞるようにしてました」

「なぞる……もしかしたらとてつもない剛力の持ち主とか?」

「それでは錠や門そのものにも破壊跡が残るはずです。しかし門はまるで招くようにひとりでに開いた様子でした」

「開け、ゴマとか言いました?」

「……姫様、真面目に考えてください」

「むぅ……黒月はノリが悪いです」

「そう仰られても……」

「こういう時はノリツッコミというのを期待します!」

「私にお笑いを求められても……というか、また芸人のラジオを夜遅くまで聴いていましたね?」

「だ、だって面白いですし! それに芸人さんというのは話術に長けた方たちですよ! 人々を時に笑わせ、時には感動すらさせる。私にもあのような話術があれば良いと心の底から思います」

「政治的な話術とはまた別のような気もしますが……」

「話術は話術です! だから聴いていて物凄く勉強になります!」

「ただ単に暇潰しで聴いてるわけではないと?」

「…………」

「姫様……」


 二人の親し気なやり取りから、主従関係なのは間違いないが、それでもその間には確かな絆のようなものがあるのが理解できるだろう。

 黒月が咳払いをして話を戻しにかかる。

「とりあえず少年をそのまま解放するということでよろしいですか? 私としては尋問するべきだと思いますが」

「そこまで危険視するべき存在ですか?」

「少年自身に悪意はなくとも、誰かに操作されている可能性だってありますから」

「なるほど……けれど少年にも家族がいるでしょうから、できれば穏便に対応してあげたいのですが。それに……」

「それに?」

「……近い未来、少年は無力となりますから」

「? ……なるほど」

「ですからそう危険視することはありませんよ」

「…………はぁ、了承しました。では軽く質問をした後に解放することに致しましょう」

「ありがとうございます、黒月」

「いえ、私はただあなた様をお守りする存在ですから」

 黒月がそう言うと、その場から一瞬にして消えた。



     ※



 銀河が意識を取り戻した直後、自分の身体が縛られていることに気づく。皇居内へ侵入したはずが、何故か今は茂みの傍で拘束されてしまっている。幸い雨は止んでいるようだ。


 ただ、どうしてこんなことになっているのかと困惑していると、そこへ黒いスーツを着用した男性が近づいてきた。

 銀河には見覚えのない人物であり、そのいかつい表情を見て反射的に身体が強張る。


「起きたか、小僧」


 野太い声音。その眼光は鋭く、そこに在るだけで銀河にとって脅威的な威圧を感じる。


(んだよコイツ! 殺し屋じゃねえよな!? てか何でこんなことになってんだよ!?)


 恐怖と絶望に苛まれて涙目になっていると……。


「おい小僧、ここが皇居だってことは知ってんだろ?」


 顎を持ち上げられ、男の顔と間近で対面することになる。下手なことを言おうものなら、このまま処理されるかもとさらに恐怖が増す。


「ま、待ってく……ださい! 俺……僕はその……ま、間違って入ってしまって……」

「間違って……だと? こんな真夜中で、たった一人で? 嘘吐くんじゃねえ。言え、誰かの指示で来たんだろ?」

「ち、違う! 違いますっ! 俺はただその…………天皇様っていうのを一目見たくて」


 必死に思考を巡らせて出した誤魔化しがその言葉だった。


「あぁ? だったら別に夜中じゃなくてもいいだろうが。お前のやったことは立派な犯罪だぜ、ああ?」

「ご、ごごごごめんなさいっ! も、もうしませんから許してぇっ!」


 形振り構わず優先するべきは自分の命だと考えた銀河はとにかく謝罪することにした。


「…………本当にバックには誰もいない?」

これだけ近くにいても聞き取りづらいほどの小声で男が呟き、銀河は思わず「……え?」と眉をひそめた。

「いや……おほん! ……それとどうやって門を開けた?」

「え、えっとそれは…………分かりません」

「分からないだと?」

「ほ、本当なんです! どうやって開けようかって思って触ってたら急に開いて!」


 当然銀河は自分の能力である『究極のナデポ』は教えたくなかった。故に何とかこの場を乗り切ろうと知らぬ存ぜぬを貫くことにした。


「…………まあいい」


 すると突然男が懐からナイフを取り出した。その瞬間、殺されると思った銀河は悲鳴を上げようとしたが、口を閉じられ抵抗できなくされる。

 だが次の瞬間、感じたのは痛みではなく身体の自由感だった。手足を拘束していたロープがいつの間にか切れていたのである。どうやら男がナイフで拘束から解いてくれたらしい。


「いいか、小僧。今回は許してやるが、次に同じことをした時は……分かるな?」

「は、はいぃぃぃぃっ!」


 直立不動で返事をするしかなかった。

 そのあと銀河は男と一緒に皇居内から出ると、そのまま家まで案内させられた。一人で帰れると言ったが、さすがに子供一人で放置は大人として問題だと言われて仕方なく家バレすることになった。


 そうして実家で解放された銀河だったが、玄関の扉を開けた瞬間に痛烈な痛みが頭部に走った。

 見るとそこにはこの家に住んでいる金剛寺家の連中が立っている。


 特に父親は怒り心頭といった様子で、先ほど銀河に振り下ろしたであろう拳骨を作ったままだ。

 母親も、そして姉という立場である夜風もまた目を吊り上げている。


「え、えっと…………た、ただいま?」

「「「ふざっけんなぁぁぁっ!」」」


 そこから三人揃っての説教が始まった。

 そんな様子を遠くで見守っていた男性の姿が、一瞬にして黒装束を纏った人物へと変化し、どこか憐憫さを含んだ眼差しで一瞥した後に、その場から静かに立ち去っていった。



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