第70話

 空間の歪みを通過し視界が開けると、そこは旅館から少し離れた場所の山の中だった。

 泊まっていた部屋に出現した亀裂から侵入したので、てっきりあそこへ戻るかと思いきや、結構なズレが生じていたのである。


「……あ、そういやあの赤髪は大丈夫なのか? 置いてきたけど」


 今の今まで忘れていたが、それはナクルも同じだったようで「あ!」と口をポカンと開けたままになっている。


「恐らく大丈夫よ。あのダンジョンは主がいるからこそ成立しているの。主であるナクルがいなくなれば、異物でしかない存在は外へと弾かれるらしいわ」


 なるほど。蔦絵の言う通りならば心配することはなさそうだ。


「それよりもまずは師範たちのところへ戻りましょう。きっと首を長くして待っているでしょうから」


 蔦絵に従い、旅館へと戻ることになった。

 すると玄関前に辿り着いた時、少し前にはなかった車が停止しているのを目にする。


(おぉ、しかもリムジンじゃん。こんな山奥に似合わねえ)


 全体が黒光りしていて細長い。イメージとしては大物しか利用しないものという感じだ。誰も乗っていないのであれば、回収してどこかで乗り回すのも良いが、さすがにこんな場所で放置はしないだろう。

 事実、運転席に目をやればビシッとスーツを着込んだ人物が鎮座している。


 そしてその車の向こう。玄関口付近にいた修一郎やユキナがこちらに気づく。その傍にはトキナや大悟の姿もある。同時にナクルは駆け出しており、そのままユキナへと飛び込んだ。

 ユキナもホッとした様子でナクルを抱きしめ合い、互いに存在を確かめるように温もりを味わっている。


「……そうか、君の姿も無いと思ったらやはり……」


 修一郎が沖長を見て神妙な顔つきを浮かべている。


「すみません、いきなりいなくなってしまって。何だか不思議な体験をしてしまって」

「ああ、あとで聞くとするよ。それよりも沖長くんも、そして蔦絵も無事で良かった」


 そんな修一郎の言葉に対し、蔦絵はどこか申し訳なさそうではあるがペコリと一礼をして「ご心配をおかけしました」と口にした。


「ま、無事だったんだからいいじゃねえか」

「もう、大ちゃん! 適当過ぎない? もしかしたらってこともあったかもしれないのに!」


 大悟とトキナも沖長たちを心配してくれていたようだ。しかしその発言から、何となくこちらの事情が分かっているような印象を受ける。

 するとその時だ。


「――――そろそろよろしいか?」


 親子の感動の再会、そして身内の無事に喜びを満喫している最中、突然声をかけてきた人物がいた。

 その人物を見て一番反応をしたのは蔦絵である。そして驚く言葉を口にする。


「………………お父様」


 思わず「え?」と沖長は目を見張って蔦絵と、目の前にいる人物を見比べる。 


 和装に身を包み、傍らに秘書らしきスーツ姿の女性を控えさせている男性。四十代ほどに思えるが、厳格そうな顔つきのせいかそこにいるだけで圧倒されるような風格が伝わってくる。


(この人が蔦絵さんの親父さん?)


 見た目はあまり似通っていない。男性の方は、まるで極道に足を踏み入れているような風貌に見えるし、蔦絵は真逆で……いや、どことなく現実離れした凛々しさと自他ともに厳しい彼女の佇まいを鑑みるに、その風格さには近しいものを感じるかもしれない。

 するとその男性の鋭い視線が蔦絵に向く。


「やはり引き込まれたか。どうやら無事に攻略できたようだが、これで分かっただろう。かつて私が口にしたことが真実だったと」

「っ……」

「理解したな? ならさっさと戻ってこい、蔦絵」

「お父様……私は……」


 明らかに動揺している蔦絵。いつも堂々としていて揺るがない彼女が珍しい。それほどまでに父の威厳には逆らえないということか。

 しかしそこで黙っていられない人物がいる。


「けっ、いきなりやってきて一方的だな、おい」


 前に出て男性を睨みつけるのは大悟だった。


「……貴様には関係ない。これは家族の問題だ」

「はんっ、じゃあ別に口出しても問題はねえよ。だってそうだろ? 蔦絵は修一郎の愛弟子だ。立派な身内だ。っつーことはだ、修一郎と家族の繋がりがある俺も身内ってこった」

「詭弁だな。貴様は七宮の何を知っているというのだね?」

「くだらねえ掟にがんじがらめになっちまってる可哀そうな一族だってことなら知ってらぁ」


 明らかな挑発に対し、男性の眼力にも力が入る。先ほど蔦絵と千疋の火花散らす睨み合いよりも遥かに息が詰まるような緊張感が漂う。


 だがそこへ――パンッ!


 どこから取り出したのか、トキナが手に持っていたハリセンで大悟の頭を叩いたのである。


「ってぇーな! いきなり何しやがんだよ、トキナ! てかそれどっから出しやがった!?」

「ちょっと黙ってて、さもないともっかいぶつよ?」

「うっ……ちきしょう」


 愛する妻には弱いようで、不貞腐れたようにそっぽを向く大悟。

 そしてその妻――トキナが、男性に対して頭を下げる。


「私どもの従業員が不躾な振る舞いを致しました。申し訳ございません」

「……別に構わん。しかし君ほどの者が何故そのような乱暴なものと所帯を持ったのか、いまだに疑問は尽きぬがな」


 今度は向こう側の挑発が繰り出されるが、トキナは怒気を膨らませることなく綺麗な笑みを浮かべてこう言う。


「私は彼のすべてを知り、そして感じ、彼を愛しているからともに生きています。あなたもお立場のあるお方。これ以上は互いを不利にするだけかと存じますが?」


 しらばく二人で視線を交わし合っていたが、男性の方が先に視線を切り、また蔦絵に向けた。


「とにかく事が起きたということはこちらとしても静観などできぬ。蔦絵はすぐに帰宅の準備を整えよ。そして……日ノ部ナクルもまたこちらで預かる」


 今度は沖長が黙っていられないことを男性が口にしてきた。






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