第69話

「わわ、コアさんが吸い込まれたッス!?」

「ナクル、身体は何ともないのか?」

「え? あー……うっ!」

「ど、どうした!? もしかしてどこか痛いのか!?」


 まさかここでも皆が予想だにしないイレギュラーが、と思った直後、


「うぅ、お腹空いたっすぅ……」


 思わずガクッとなるようなことをナクルが腹を押さえながら言いやがった。


「クッハハハハハ! 中々愉快な小娘じゃのう!」

「むぅ、小娘じゃなくて、ナクルッス! というかまだあなたのお名前知らないんスけど!」

「おっと、そういえば名乗ってなかったかのう」


 すると腕を組み、薄い胸を張りながら少女は威風堂々と名乗りを上げる。


天神地祇てんしんちぎすら畏れ伏せる下界不滅げかいふめつとはワシのこと! 世々に響きしその名を――十鞍千疋とくらせんびき! よく見知りおくがよい!」


 まるで歌舞伎に見られる見得きりみたいだと感じた。ともすれば黒歴史に名を残すことになる痛々しい名乗りでしかないが、どこか堂に入った様子が少しカッコ良いと思った。


 ナクルも「おぉ~」とパチパチと拍手を送っている。ただ蔦絵はというと、少女の名を耳にして険しい顔つきをしているが。

 もしかしたら彼女のことを知っているのかもしれない。しかしとりあえずはナクルに吸い込まれたコアについてだ。


「えっと、コアがナクルの中に吸収されたけど、これで掌握できたってこと?」

「その通りじゃ。これ、愉快な小娘……いや、ナクルというたな。元の世界に戻りたいと願ってみよ」

「え? わ、分かったッス。むむむ……」


 目を閉じる必要があるかは分からないが、ナクルは両目を強く瞑りながら唸る。すると彼女の目前の空間が渦を巻くように歪み始めた。


 その空間はここに来る時に見たような亀裂に似ていたこともあり、ここから元の世界に戻れるのだろうと話の流れから察する。


 それを証明するかのように、千疋もまたここを潜れば戻れると口にした。

 何とか全員が無事に帰還できると沖長がホッとしていると、蔦絵が千疋に向かって問う。


「本当にあなたが……あの十鞍千疋なの?」


 いつも沖長たちに向ける厳しくも穏やかな身内に対する眼差しではなく、相手をただ射抜くような鋭い目つき。まるで嘘を吐くとどうなるか分かっているかとでも言っているかのような雰囲気に、思わず沖長は喉を鳴らしてしまう。


「クク、威勢がいいのう。さすがは七宮の小娘じゃ。ワシのことを知り、なお堂々としておるとは。一度死したことで怖いモノなどなくなったか?」

「御託はいいわ。あなたがココへ来た本当の目的は何?」


 ジロリと敵意に膨らんだ睨みが生む気迫に、ナクルも明らかに委縮している。


「ふむ。仮にワシに別の目的があったとて、それを馬鹿正直に答える必要はないじゃろ?」

「この二人に害を成すというのなら、ここで……」


 蔦絵が身構えた刹那、十鞍が初めてそこで笑みを崩し真剣な表情を見せる。そして軽く溜息を吐き、「やれやれじゃな」と肩を竦めた。そしてそのまま剣呑な雰囲気を醸し出す蔦絵を見つめながら口を開く。


「短気は損気じゃぞ、七宮の小娘よ。それにワシはそやつらを害する任務など背負っておらぬわ」


 任務……と聞いて、沖長も少し訝しむ。

 そのような言葉を口にするということは、別の任務を背負ってココに来たと言っているようなものだ。つまり何かしらの組織に所属しているのか、誰かの依頼を請け負うような仕事をしている立場なのか。


 そもそも名前は分かったが、この少女が一体どこの何者なのかはいまだ分かっていない。もっとも蔦絵が警戒するような人物であることは確かのようだが。

 それと同時に、彼女が転生者であるという考えは否定された。転生者だったら蔦絵が熟知している人物であるはずがない。


(いや、それを決めつけるのも早いかもな。子供にしては風格とかいろいろおかしいところが多過ぎるしな)


 この世に転生し、沖長とは接触しなかったが、その間に蔦絵とは繋がりがあってその結果、蔦絵が敵意を向ける値するような関係になったという可能性もまたある。

 もし原作キャラだったとしても、この老齢さを感じさせる振る舞いはどういうことか謎だ。長門なら何か知っているだろうか。


「もっともお主がワシに向けて牙を突きつけるというのであれば話は別じゃが、な」


 二人が睨み合い火花が散る。いや、蔦絵の方が不利なのか。それは彼女がうっすら汗を流していることからも分かる。つまりは目の前にいる十歳程度の少女は、蔦絵と同等以上に強いということだろうか。


(蔦絵さんが危険視しているということは、俺やナクルじゃ勝てないだろうな。それにこの子も勇者っぽい鎧を着てるし)


 だったらナクルならともかく、悔しいが今の沖長では相手にもならないだろう。

 すると張りつめていた緊張が、千疋の「やめやめ~」という間延びした声音で解かれた。


「こんなところで益もない争いなどしとうないわい。ではワシは先に帰るでな」

「ちょ、まだ話が聞きたいんだけど」


 沖長が一人で先に行こうとする千疋を引き留めようとしたが、当の本人は微笑を浮かべながら「それはまた今度じゃ」と言い残すと、蔦絵を一瞥した直後、そのまま空間の歪みに飛び込んで消えてしまった。


「……えっと、どうしましょうか?」


 とりあえず一番の年長者である蔦絵に判断を仰ぐ。


「……ふぅ。そうね、とりあえず戻りましょうか。向こうで落ち着いてからいろいろ説明しなければならないと思うし」


 どうやら誤魔化すつもりはないようだ。ナクルの件についても何となく察している様子の蔦絵だから、向こうに戻って家族と一緒に話し合う必要があるのだろう。

 そうして沖長たちは、いまだ謎に包まれたダンジョンという空間から脱することになった。



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