第62話

 ほんの少しの間ではあったが、現実感が無かった。

 それもそうだろう。何せ、知り合いというよりは親密度が高い人物が、目の前で胸に風穴を開けられ鮮血を迸らせているのだから。


 その血の一滴が沖長の頬にピッと付着する。若干生温かい液体による頬の違和感さえ、今はどうでも良かった。それよりも沖長の思考は停止し、その身体までも硬直してしまっていた。


 しかし次の瞬間、同じように目の前に広がる光景に唖然としていたナクルが、誰よりも先に正気を取り戻し蔦絵の名前を叫んだ。

 そんな彼女の声のお蔭で、沖長もまたようやく停止していた時間が動き出す。


 最中、胸を貫いていた槍がひとりでに動き、蔦絵の身体から離れていった。その衝撃でさらに血が噴出し、蔦絵はそのままゆっくりと前のめりに倒れていく。


「「蔦絵さん(ちゃん)っ!?」」


 慌てて駆け寄り、倒れる前に沖長が支えた。ナクルも同時に蔦絵の肩を持っている。

 見るからに致命傷だった。妖魔力の槍によって貫かれた胸からは夥しいほどの血液が流れていき、彼女の全身を真っ赤に染め上げていく。


 即死していないということは、心臓は外れていたようだがそれも時間の問題だ。これだけの出血量は、すぐに病院で処置してもらわないと助からないだろう。


(どうする!? どうするどうするどうするっ!?)


 必死で彼女を助ける方法を模索する。全力で思考を回転させて現状における最善を追う。


 まずはとにかく止血をしなければならない。沖長の脳裏に浮かび上がるのは、様々な医療品である。これまで手にした医療品は、すべて《アイテムボックス》に入っているので、それらを駆使してこの場を何とか乗り切ろうと考えた。

 とりあえずガーゼや包帯など、胸を覆うことの布製のものを取り出す。


「!? オ、オキくん、それどうやって出したッスか?」


 当然沖長が引き起こしたことに対してナクルは疑問を持つ。


「後で説明する! ナクル、とにかく患部をこれで押さえるんだ!」


 とはいってもこんなことをしても焼け石に水のような気もしないでもないが、それでもやらないよりはマシだろう。

 しかしそんな沖長たちの行為を黙って見ているほどココは優しい世界ではない。


 宙に浮かぶ槍が徐々にその形態を変えていき、巨大な球体状になった。

 それに気づいた沖長は、キッとソイツを睨みつける。

 球体の真ん中に薄く切れ目が入ったと思ったら、そこからパックリと開いていき、中からギョロリとした不気味な瞳が姿を見せた。そしてその瞳は、沖長たちをジッと見つめてくる。


(黒い球体……巨大な瞳。そうか、コイツが――〝ダンジョン主〟だったんだな)


 事前に長門に聞かされた――〝この世界のボス〟。それが目の前にいる存在だ。


 ダンジョンといえばRPGなどをしたことがあれば分かるだろう。形こそ様々ではあるが、いわゆる迷宮などと呼ばれる不可思議な空間のこと。そこではモンスターが生息していたり、罠や宝箱などが設置されていたりする。

 本来の意味は地下牢ということらしいが、ゲームなどで扱われることにより、迷宮などの意味の方が有名になってしまった。


 ココはそのダンジョンと呼ばれる場所で、ダンジョンには〝主〟と呼ぶ存在がいるらしい。基本的には、その主を倒さなければダンジョンから離脱することができないとのこと。

 原作開始時、ナクルがこのダンジョンに引き込まれ、そこで黒い球体状のダンジョン主と戦うことになると長門から聞いていた。


 主もまた妖魔であり、その力は当然ながら普通のそれよりも強い。厄介なのは主それぞれが様々な特性を有していることだ。


(名前は確か……〝ミミック〟、だったか? コイツの特性は、身体を自在に変化させることと……憑依することだったな)


 蔦絵が操られていたのはコイツの能力だったのである。

 憑依することにより力が増すようで、妖魔は少なからずこの厄介な能力を所持しているらしい。目の前にいるコイツのように、人間に憑依するものもいれば、他の動物や植物などを乗っ取る連中もいるらしい。


「ワレ……ハ…………〝ミミック〟……」


 すると突然妖魔が不気味な声音を発し始めた。


(喋れるのか? そいつは聞いてなかったな)


 顔には出さないが、人語を話すということはそれなりに知恵も回ることを意味する。厄介さが一段階上がった。

 ただ名乗りを上げてくれたお蔭で、長門から聞いていた話に間違いがないことを確認することができた。


「イノチ……ササゲロ……ユウ……ノ……カガヤキ…………オワレ……」


 よく分からないことを片言で言うので思わず眉をひそめてしまう。だがこちらの命を要求していることだけは伝わってきた。


「っ……ふざけないでほしいッス!」

「……ナクル?」


 それまで黙って蔦絵の介抱をしていたナクルがミミックを睨みつけた。その表情はこれまで沖長すら見なかったものだ。怒りに染め上がり、今にも飛び出しそうな気迫。


「よくも……よくも蔦絵ちゃんをっ!」


 するとナクルの全身から蛍の光のようなものが、無数に拡散し始める。そしてその輝きは、先ほど蔦絵を吹き飛ばした時に見た、彼女の拳に宿っていたものと酷似していた。

 するとナクルが頭痛でも走ったかのように顔を歪める。思わず「ナクル、大丈夫か!」と声をかけた。


「大……丈夫ッス……」


 ナクルが心配をかけまいとそう口にした直後、


「? ……頭の中に何かが……クロ……ス?」


 原作を事細かく知っていたとしたら、ナクルの言葉にピンときただろう。そしてそれこそが覚醒の一歩だということを。

 続けてナクルが明確に、その言葉を紡ぐ。


「…………ブレイヴクロス?」


 刹那、ナクルから放たれていた蛍火が眩く発光し、それらがナクルの全身を覆うように集束していく。


「ウウ……コノ……カガヤキハ……」


 ナクルから放たれる光に対し、ミミックが鬱陶しげに、だが確実に気圧されるようにして後ずさりする。

 沖長もまた凄まじい発光現象によって思わず腕で目を覆う。そして光が徐々に収まっていき、沖長は目にしたナクルの姿に瞠目する。


 ナクルの身体には、白と赤を基調とした軽鎧……いわゆるライトアーマーのような防具で覆われていた。

 両拳には分厚いガントレットグローブが装着され、極めつけは何と言っても頭部に装備されたヘッドギアだろう。


 こちらも白銀のような輝きを放っているが、そんなことよりも天を衝くような勢いで生えている兎の耳を模した造形が目を引いた。



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