第43話

「はっ、くっ、たぁっ、やぁっ!」


 甲高い声音が、静謐な道場の中で響き渡る。

 その音を紡ぎ出している小さき存在は、目まぐるしく動きながら対峙している人物に向かって烈火のような攻撃を繰り出していた。


 動く度に汗が飛び散り、徐々に速度も上がっていく。最早それは小学一年生と思えるような動きではない。ともすれば大人すらついていけないほどの加速力。


 しかしその少女――ナクルの高速連撃を、いとも簡単に捌いているのが師範代という地位に立つ七宮蔦絵である。涼しい顔で微笑を浮かべながら、無駄のない動きでもってナクルを翻弄していた。


(相変わらずどっちもすげぇや)


 そんな二人の攻防を、正座をしながら道場の端で見ていた沖長は、毎度のことながらその光景を見て舌を巻く。

 あれだけの動きをし続けるナクルもそうだが、一撃たりともくらうことのない完璧な防御をこなす蔦絵は今の沖長にとっては異次元でしかない。


 するとナクルの攻撃をかわした蔦絵が、まだ体勢を整えていないナクルの襟首を掴んで足払いをして背中から落とす。

 普通ならこの対応の仕方を、子供相手にするなんて非難されるだろうが、もう沖長とっては見慣れたものだった。


「もう終わりかしら、ナクル?」

「ぐっ……まだ……まだッス!」


 痛みに顔を歪めながらも、必死で立ち上がりまた攻撃を続ける。


(あの根性が一体どっから来るのやら……)


 恐らく同年代の女子、いや、男子でも泣きじゃくってもおかしくない痛みだろうに。そしてそれがトラウマとなり逃げだす。それがまあ一般的だろう。 

 しかしナクルは、いくら倒されようが起き上がり前へと踏み込んでいく。

 そんな姿を改めて見ていると思い知らされる。


(なるほどなぁ。やっぱ主人公っぽいわ、ナクルっていう存在は)


 物語の主人公という存在は、どこか普通とはかけ離れたものを所持している場合が多い。そうでないと主人公足り得ないからだ。

 そんな異常な性質を持つ存在だからこそ、物語の中で輝き、人の目を惹きつける。


 ナクルを見ていると、確かにその異常性を持ち合わせているようい思えた。少し泥臭いド根性にベクトルが大きく振れているものの、それは外野にとって応援してやりたいと思わせる。それは主人公としての魅力と言えよう。


(……にしても、ナクルが勇者ねぇ)


 学校の屋上で長門と色々話し、そのあとも何度か会合して情報の共有を行っている。

 その中で、いろいろ疑問も解消することができた。


 最初の頃は、まだ長門に対し警戒心を持っていたが、何度も接している間に、彼は本当にリリミアという子が好きで、彼女のために生きていることが痛いほど伝わってきた。

 彼に今のところナクルを害するような気持ちがないのも理解できたし、同盟を組んで互いに力を合わせる気があるのも本当だと分かった。


 しかしながら、彼の力についてはいまだに分からない。聞けば自ずとこちらも明かす必要があるし、あっちもそれが分かっているからか追及してはこない。 

 まだそこまでの信頼関係ができていないということなのだろう。いつか本当に信を預けられるようになったら、その壁は自然と崩れるような気がする。


 ただ、銀河が学校を休んでいるのは、長門の力による反動だということは分かった。それも今では治って、毎日ナクルに絡んでくるが。


(それにしても今後、どうすっかねぇ)


 この世界がファンタジーな物語に沿ったものだと聞き衝撃を受けたが、それでも何の因果か主人公らしきナクルと出会い、こうして繋がりを得ることになった。

 もし危険から遠ざかりたければ、原作には関わらずのほほんと過ごせばいい。しかしそれはナクルとの別離を意味するだろう。


 彼女に会う前ならともかく、今更沖長にそれはできそうもない。沖長の中で、ナクルは可愛い妹分という位置にいる。彼女が今後危険な目に遭うというなら、手助けしたいと思ってしまっている。


(けど、俺に何ができるんだろうなぁ)


 確かに神から与えられた能力(アイテムボックス)はある。しかし沖長の中で勇者といえば、人でありながら人を越えた存在で、その身に宿る力は絶大だ。

 剣を一振りで山を斬り裂いたり、巨大なモンスターを真っ二つにしたり、核兵器のような威力を持つ魔法を使ったりと、どれも人外じみた力を持つ。


 そんな存在を助けるなんてできるだろうか。それどころか近くにいれば足手纏いになりかねない。

 まだ長門に原作の詳しい流れは聞いていない。ただ、気になるのは少し前に言われたこと。


『本当にナクルを守りたければ、彼女を勇者になんかさせないことだね』


 それは原作を覆すようなものだが、ナクルを襲う悲劇を回避させたくば、原作を始まらせないことも一つの方法だと彼は言った。

 もちろんナクルの悲劇がどんなものなのか聞いたが、それはもう聞くだけで胸が痛くなるようなものばかり。果たしてそれを回避するために、自分に何ができるのか。それを今もずっと考えている。しかしどれも今の自分では覆すことができそうにない。


(やっぱ羽竹の言う通り、勇者にさせない方がいいのか……)


 しかしそうなれば、別の悲劇が別の登場キャラクターに襲い掛かるとも言われた。当然物語である以上は、主要人物はナクルだけではない。他にも長門が執心しているリリミアのような魅力的なキャラクターがたくさんいる。 


 ナクルが本来の道筋から離脱するとなると、そのツケとも呼べる悲劇を別の誰かが請け負うことになる可能性が高いと長門は言った。

 正直会ったこともない者たちのことを気にかけても仕方ないと思うが、それでも沖長の中では誰かを見捨てたという罪悪感は強くなる。


(まあ、俺は勇者でも聖者でもないし、割り切ろうと思えばできるけどさ)


 けれどもし、これから出会い親しくなった人物が対象になれば話は別になってくる。

 ナクルの傍にいれば、主要人物との接触は必然。とすれば沖長も親しくなる可能性は十分にある。果たしてナクルだけを優先し、その人物を切り捨てる覚悟があるかどうか。


「……はぁ、本当に世知辛い世の中だなぁ」

「何がッスか?」

「おわぁっ!?」

「はわわっ! きゅうにおっきなこえを出さないでほしいッスよぉ」


 思考の海に沈んでいたところ、突然ナクルの声がしたので驚いてしまった。


「あ、ああごめんごめん。それよりも……ボロボロだな、ナクル」

「うぅ……また一本も取れなかったッス……」

「はは、師範代相手なんだからしょうがないって。でもよく頑張ってるよ、ナクルは」


 落ち込むナクルの頭を撫でてやると、にへらと嬉しそうに笑う。この無邪気な笑顔を見ていると、とても将来世界を背負って立つような勇者になるとは到底思えない。

 この笑顔が曇るような姿は見たくない。


(俺に何ができるか分かんないけど、この《アイテムボックス》を最大限に活用してでもナクルを守ってやりたいな)


 それほどまでも彼女の存在は、沖長の中で大きなものになっていた。


「――さあ、それじゃ次は沖長くん来なさい」


 少し離れた場所から蔦絵の声が耳朶を打ち、思わず「え?」となった。


「え……っと、組手するんですか? 俺が?」

「ええ、そろそろいいと思ってね」

「で、でもまだ早いんじゃ……」


 前に聞いた時は、組手はもっと先の話だと。


「普通はね。けれどあなたなら大丈夫だと判断しました。だから……ね?」

「いや……ね? って言われても……」

「ガンバッスよ、オキくん!」


 どうやら味方はいないようだ。沖長は諦めて立ち上がり、蔦絵の前に立つ。


(ああもう、こうなったら見様見真似だ! なるようになれ!)


 それから沖長は、疲労で立ち上がれないほどしごかれることになった。

 そんな日々をナクルとともに過ごしていく。


 そして舞台は、原作が始まる四年後へと続く――。




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