第23話 別々の日々

 医術を学ぶために遠い異国の地に来ているノアは毎日忙しい日々を過ごしていた。

 この国では魔力を持つものがいないため魔法は使われていない。

 そのためノアや共に来た魔術師団員は留学中人前で魔法を使う事は禁止されていた。


 その日もノアは受け入れ先の病院での研修を終えると、すぐに留学中滞在している宿へ戻った。


「疲れた……」


 部屋へ入るとそのまま仰向けにベッドへ倒れ込む。

 普段魔法が使えず持て余している魔力で幻影を映し出す魔法を使い、無意識にソフィアを映し出し眺める。


「ソフィア……」


 天井に映るソフィアの幻影に手を伸ばし愛しい名前を呟く。


「さすがにそれは気持ち悪いと思うよ、ノア」


 するとどこからともなく現れたルイスに憐れんだ目を向けられた。


「叔父上……この距離を何でもないように転移してくるの止めて下さいよ」


「だって何でもないんだから楽な方法をとるよね。ノアから報告書を預かるという仕事の名目もあるんだから問題ないよ」


 涼しい顔をしたルイスは手を差し出してくる。

 ノアは黙って立ち上がると部屋に備え付けられている机の引き出しから昨日までにまとめておいた報告書を差し出された手の上へ置く。


「そういえばソフィア君、最近患者で来ている騎士に言い寄られているそうだよ」


 揶揄するように言ったルイスにノアは顔をしかめた。


「でも、断っていたようだけどね」


 その言葉にわかりやすく肩を撫で下ろしたノアにルイスは呆れたように盛大にため息を吐く。


「そんなに気になるなら待っていて欲しいって言えば良かったじゃない」


「ソフィアには約束に縛られることなく何事にも自由でいて欲しいのです。たとえ、それが他の男性を選ぶ事であっても」


 ノアは自分に言い聞かせるように呟く。


「本当、強がるんだから……まぁノアはここで自分のやるべき事をしないとね」


 そう言って報告書をひらひらさせるとルイスは一瞬で消えていった。


 ルイスの居なくなった部屋でノアは髪をかき上げ頭をかくと勢いよくベッドに腰を落とす。


「自分のやるべき事をしないと」


 ルイスに言われた事を胸に留め、早く医術に関する技術と知識を習得しようと自分を鼓舞した。


 次の日は急遽、緊急の外傷患者の手術の見学をする事になった。

 運ばれて来た患者は右の大腿部に大きな裂傷があり大量に出血している。

 医師はまず大量出血の原因である切断された大腿部の主要の血管を見つけ、それを縫合すると言い、細い糸で血管を縫い合わせていく。


(切断された血管を見つける事ができれば縫合は一般魔法の結合術で応用出来そうだな……)


 ノアは集中して手術をみていたが一緒に見ていた魔術師団員が途中で顔色を悪くし始める。


「ノア様、すみません。もう……」


 そして口元を押さえ手術室を出ていった。


 ノアも医術書で人の体の構造を勉強してきていたものの、実際に見ると想像以上のおぞましさに暫くは精神的に落ち込んでいた。

 だが、これではいけないと奮い立たせ積極的に手術を見学し、医術に関する見識を深めていった。


 癒しの治療で全てをすぐに治してしまうのとは違い、手術によって外傷部を修復できても、その後の経過も油断してはならず、完治するまでには時間がかかる。


「本当、聖女の偉大さを思い知らされるな」


 手術後、入院病棟へと運ばれていった患者を見送り、今晩もルイスに渡す報告書を書こうと気合いをいれる。

 留学先では魔法は使えないため、国に残っている魔術師が報告書を元に医術と魔法を使った治療を試みるようになっている。


 ノアも早く国に帰り自分の力で治療をしたいと思っていた。

 

 その頃、国立病院ではメアリーがソフィアとマリアに頭を下げ、懇願するように目を潤ませていた。


「どうか、お願いします。二人では緊張してなにも話せなくなるのです……」


 メアリーは以前、気になっていた騎士に誘われ食事に行ったが、緊張し過ぎて何も話せず、食事にもほとんど手をつけられないままの状態で帰ってきてしまっていた。


「あんな失態をしてしまったのに、もう一度デートに誘って頂いたのです。ですが、また同じようになってしまっては今度こそ愛想を尽かされてしまいます。ですので、どうか一緒に来ていただけませんか?」


 ソフィアもマリアも正直、行きたいと思えなかった。


「でも、相手の方はメアリーさんと二人で出掛けたいのではないですか?」


 ソフィアの言葉に同意するようにマリアも大きく頷く。


「相手の方にはダブルデートでも良いと許可を貰ってありますので……」


 マリアは困ったように眉を下げるとソフィアの方を見る。


「私、幼い頃からの婚約者がいるんです。ソフィアさん、メアリーさんと一緒に行ってあげて貰えませんか?」


 マリアに婚約者がいるのは初耳だった。

 だが、婚約者のいるマリアにデートに行ってもらう訳にはいかない。

 ソフィアはしぶしぶ了承する事にした。


「わかりました……」


 メアリーはパァっと表情が明るくなり、ソフィアの手を両手で握った。


「ありがとうございます! 相手の方にはベンソンさん以外の方を連れてきて貰いますから!」


 ソフィアが気にしていた事をメアリーはちゃんとわかっている。


「そうして貰えるとありがたいです。あと、私はあくまで付き添いだとお伝え下さいね」


「わかりました! よろしくお願いします」


 メアリーは嬉しそうにソフィアの手をぶんぶん振った。


 後日、マリアと騎士二人と王都の街へ出掛ける事になったが、ソフィアは着ていく服が無いことに気が付く。

 ノアに貰ったドレスは全て屋敷に置いてきており、今は自分で持ってきていた服を以前と同じように着回している。

 病院で仕事をして病院の寮で過ごすしかしていなかったため特に不便はなかったが、王都の街へ出掛けるにはあまりにも場違いな装いだ。


「ノア様からいただいたドレスは……」


 勝手に屋敷を出ていき、頂いた物も全て置いてきたのにやっぱりドレスを持っていきたいなんて言ったら図々しすぎるだろうか。

 だが今着ている服で行くわけにもいかないと、恥を忍んでハンナにお願いしに行こうと決めた。


 処分されていることも視野に入れながら、その日の仕事終わりに屋敷にドレスを取りに行った。


 屋敷についたものの数ヶ月振りの屋敷は暗く、窓もカーテンも全て閉められ人が暮らしている様子ではない。


 生活感のない屋敷に使用人の皆ももうここにはないのだと気付く。


 「それもそうね。主人の居ない屋敷に居続ける訳ないわよね」


 ソフィアはノアが帰ってくればちゃんと返事をして、そうしてまたここで以前と同じように皆で一緒に生活するものと思っていた。

 閑散とした屋敷に寂しくなりながらも仕方ないと帰ろうと踵を返そうとした時後ろから名前を呼ばれる。


「ソフィア様?」


 そこにはカイルが居た。


「カイルさん……」


 カイルはソフィアがいることに驚いていたが、すぐに優しく微笑む。


「ソフィア様、どうかされたのですか?」


「実は、今度街へ出掛ける事になったのです。それで、ノア様が買って下さったドレスを貸して頂きたくて……」


「貸すだなんて。あれは今でも全てソフィア様のものですよ。好きなように着てください」


 カイルは屋敷の鍵を開けると、窓を開けながら中へ進んで行く。


「ノア様が帰ってくるまで私たちは以前のように王宮で働いているのですよ。時々こうして換気と掃除をしに来ているのです」


 ノアが帰ってくればまた皆でここへ戻って来る事にソフィアは安心した。


「そうなのですね。知りませんでした。急に来てしまってすみません」


「ちょうど私が来たタイミングで良かったです。普段は王宮に居ますので何かありましたらいつでもいらしてください」


「はい、ありがとうございます」


 話しているうちにソフィアが使っていた部屋の前に着く。

 ソフィアはゆっくり部屋のドアを開けると部屋は住んでいた頃と何も変わらないままの状態だった。


「そのままにしていてくれているのですね」


「ノア様にそうしておくように申し付かっておりますので」


 埃すらたまっていないその部屋は今でもそこに住んでいるかのような気持ちにさせた。


「ありがとうございます」


 何も言わないまま勝手に出ていったにもかかわらず変わらず接してくれるカイルにとても嬉しく感じる。


「ソフィア様、クローゼットの中もそのままですよ」


 カイルに促されクローゼットを開けるとノアから貰ったドレスも全て丁寧に吊るされていた。 


「これを持って行きたいと思います」


 その中から以前ピクニックへ行った時に着た淡いピンクのドレスを手に取った。


 ソフィアがクローゼットを閉じようとするとカイルがモスグリーンのワンピースを取る。


「ソフィア様、こちらも」


「これ……」


「ノア様はソフィア様がこれを着てお仕事に行くのを嬉しそうにしていました。良かったらこちらもお仕事用にお持ち下さい」


「はい、ありがとうございます」


 出掛ける用に一着だけ持って帰るつもりだったが、カイルの好意に甘えモスグリーンのワンピースも持って帰る事にした。


 ソフィアは今から軽く掃除をすると言うカイルにお礼を言い、屋敷を後にした。

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