第19話 魔法の代償
次の日、ソフィアはフローラと一緒に外来に来た患者の診療をする事になった。
外来は外傷患者を診る部屋と疾病患者を診る部屋がある。
「今日は私、疾病患者の部屋が担当なの。マリアさんは外傷患者の部屋を担当しているわ。外傷患者は討伐隊の時に経験しているからわかるでしょうけど、疾病患者はまた少し治療のコツがいるのよ」
はじめに来た男性患者は腹部を押さえ、酷く悶えながら部屋へ入って来た。
見るからに腹痛だ。
「お腹が痛いのですか?」
フローラが尋ねると男性は声も出ず無言で何度も頷く。
「失礼しますね」
フローラが男性の腹部に触れる。
透視魔法で腹部を見ているようだ。
「胃の中で何か蠢いているわ。腹痛が起こる前に何か食べましたか?」
「さ、魚を……」
男性はひどく苦しそうにしながらもなんとか答える。
「生の魚ですか?」
「は、い……」
フローラは顔をしかめるとそのまま腹部に魔力を込めていく。
「これは寄生虫ですね。魚を食べた時に一緒に食べてしまったのだと思います。寄生虫は死滅させ、荒れた胃は修復したのでもう大丈夫だと思いますよ」
フローラが手を離すとさっきまで悶えていたのが嘘だったかのように男性は真っ直ぐに立ちパアッと顔が明るくなる。
「本当に全く腹痛がなくなりました! ありがとうございます!」
フローラの手を握り、お礼を言うと嬉しそうに帰って行った。
「寄生虫……恐ろしいですね」
ソフィアは先ほどの男性の様子に怖じ気付いていた。
「体の不調は色々なものが要因になるの。初めて遭遇するものもたくさんあるわ。これは経験して慣れていくしかないわね」
「ですが、私には透視魔法はできません……」
ソフィアが自分にはできないだろうと落ち込んでいると、フローラはソフィアの肩を軽く叩く。
「私は透視魔法の方が早いから使っているけれどソフィアさんも自身の魔力を流し込むことで患者の不調を感じる事ができるでしょう? 討伐隊の治療の時にしていたじゃない」
確かにマリアから、流し込む魔力と自分の中の魔力を途切れさせないようにする事を教わり実践していたことを思い出す。
「後は本当に慣れるしかないわね」
「はい……」
次に部屋に入ってきた患者は中年の貴婦人の女性だった。フローラは貴婦人に椅子に座ってもらい向かい合う。
「今日はどうされましたか?」
尋ねられた貴婦人は前のめりになりフローラに詰めよってくる。
「聖女様! わたくし熱があるようですの! 喉も焼けるように痛くて! もうだめかしら」
貴婦人は切羽詰まったように言っていたが、フローラはいたって冷静だった。
「手を失礼しますね」
フローラは貴婦人の両手を取り、魔力を流し込んでいく。魔力が体全体を巡ると少し赤らんでいた貴婦人の顔色は良くなり落ち着いた様子になった。
その後、首元にそっと触れるとみるみる機嫌も良くなっていく。
「まぁ、先ほどまでの体調が嘘のようですわ! さすが聖女様、ありがとうございました」
貴婦人は忙しなく部屋を出ていった。
フローラは貴婦人を見送ると呆れたようにため息をつき横で見ていたソフィアの方を向く。
「ただの風邪よ」
「そうなのですね。スムーズな治療、見事でした」
「一目で風邪だとわかったから透視魔法は使ってないわ。流し込む魔力から体内の病原体を感じてそのまま消滅させるの。喉の炎症も癒しの治療ですぐに治まるものだったから」
簡単そうに説明してくれるフローラだったが、ソフィアはそんなに上手くいくだろうかと不安になる。
「風邪の治療でもちゃんと経験と知識が必要ですね」
「軽い風邪くらいでは聖女の治療を受けにくる必要はないと思うのだけどね。貴族は軽い症状でもすぐにお金を払って治療を受けにくるの。治療に来た患者は必ず受け入れないといけないから、暫くすれば治りますよ、なんて追い返せないのよ」
「フローラさんも自分で回復できる程度のものは聖女の治療は受けない方がいいと思いますか?」
フローラは少し驚いたようにソフィアを見る。
「ソフィアさんもそう思っているの?」
「私は聖女の魔力のせいで人本来の治癒能力が衰えていっているのではないかと考えているのです」
「ソフィアさんは思っていた以上に鋭いのね。こんなにすぐにその事に思い至るなんて。私も少し前から気になっていたの」
ソフィアはフローラの言葉にノアの母親の事を思い出していた。
裕福でお金に余裕のある貴族たちはすぐに聖女の治療を受けて自分の体の治癒能力が衰えていっている。けれど体の不調が心配なのもわかる。
「聖女の治療で完全に治してしまうのではなく、症状を和らげたり、一定の状態まで回復させて後は自身の治癒能力で治るのを待つようにする事は出来ないのでしょうか」
ソフィアの言葉にフローラは目を見開き固まった。
「……そんな事、考えた事もなかったわ。治療に来た患者は治してしまわないといけないと思っていたから」
フローラは顎に手を当て何かを思い出すようにぶつぶつと呟いている。
昔、聖女がたくさんいた頃はどんな人も聖女の治療を受ける事が出来た。だが、聖女の治療を受ける人が増えていくほどそれに比例するように聖女の数は減っていった。
「このまま無闇に聖女の治療を続けていけば聖女すら居なくなってしまうかもしれないわね」
「もし、そんなことになれば……」
「本当に聖女の力が必要になった時に聖女はもう居ないかもしれないわ」
二人は顔を見合せ得体の知れない不安を感じ合った。
「何か現状を変えていく方法があればいいのだけど」
「私は以前祖母と薬屋をしていた頃、怪我には塗り薬、病気には飲み薬を処方して後は自然に回復するのを待っていました。すぐには治らなくても時間が経てば治っていく、それが当たり前でした。もちろん、それだけではどうにもならない事もありますが……」
「治療をする前に薬を処方して様子をみてもらうのも一つの手かもしれないわね」
二人は後日、ルイスに相談しに行くことにした。
ルイスは魔法に関わるもの全てを統括している。国立病院での聖女の仕事もルイスが管理しているのだ。
その日の仕事が終わり、ソフィアはフローラにお礼を言われた。
「私、あなたがここに来なければ現状を見て見ぬふりをしていたわ。ありがとう」
「そんな、お礼を言われるような事ではありません」
「それでも、従来聖女はその力を誇示し、見失ってはいけないものを見失ってたと思う」
「聖女の力は偉大です。討伐隊の時のように自然に回復するのを待っていられない時だってあります。力の使い方を間違えないように本当に大切なものを守らなければなりませんね」
「そうね。これから一緒に頑張りましょう」
「はい! よろしくお願いします」
ソフィアはその日の夜、フローラとの話をノアに話した。
「君たちは本当に素晴らしい聖女だね」
ノアがソフィアの頭を撫でながら褒めてくれたがソフィアは真剣な表情だった。
「いえ、大変なのはこれからだと思います。今まで聖女の治療を受けていた貴族の方たちが納得してくれるかわかりませんし、薬やその他の知識も必要になってくると思います」
「実は僕も昨日の母の話を聞い色々と調べてみたんだ」
ノアは枕元に置いてあった本を手に取るとソフィアに差し出す。
「これは……?」
「医術書だよ」
「医術書……」
「遠い東の国では魔力を持つ人間はほとんど居ないんだ。だから医術がとても進歩していてね。もちろん薬学の研究も進んでいて、魔法の力なんて使わなくても人々は健やかに生活しているんだよ」
ソフィアは渡された医術書を開いてみるとそこには人体の中の構造が描かれていた。
「なんだか……思っていた様子と違っていました……」
ノアもソフィアが持つ本を覗き込むとページを捲る。
「うん。僕も同じ事を思ったよ。東の国の人たちは体の中の損傷も人の手で縫合し、悪いものを取り除き治療をするんだ」
「そんなことが出来るのですか? 今のこの国では難しいですね……」
「そうだね。だけど、ここまでは出来なくても医術を使えるようになれば光属性の魔力がない人でも治療ができるようになるし、医術を生かして人の治癒能力を守りながら聖女の負担も減らす事ができるようになるのかなって」
ソフィアは見ていた医術書からゆっくりと顔を上げるとノアの方を向く。
「昨日の話でそこまで考えてくれていたのですね」
「なかなか難しいだろうけどね」
「そうですね……」
ノアは本を閉じるとまた枕元に置いた。
「ソフィア、この話も踏まえて治療はもう止めようと思うんだ。アザはまだ少しだけ残っているけど体調が悪いわけではないから」
治療をしなくても良い状態になったことは喜ばしいはずなのにソフィアは無性に寂しい気持ちになる。
ノアにとって自分はもう必要なくなったのかもしれない。
そんなことを思った。
だが、そんな未練がましい思いは知られてはいけないとノアの言葉を精一杯肯定する。
「そうですね。その方が良いと思います」
ノアはソフィアの思いに気付くことはなく優しく微笑む。
「それにソフィアは聖女の仕事も始めたし、なるべく魔力は使わない方が良いと思うから」
「わかりました。ですが、体調が悪い時は遠慮せず言って下さいね」
「うん、ありがとう」
その日はソフィアの方からノアに腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。ノアは少し驚いていたが、すぐにソフィアに腕を回すと優しく抱きしめ返す。
ソフィアは抱きしめられた腕の中で次にルイスに会ったらこの婚姻関係を解消した方が良いと申し出る事を決めた。
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