第7話 隠した想い

 その日の夜、ソフィアは癒しの治療をするために書斎ではなく、ノアの部屋へ来ていた。


「ごめんね、部屋に来てもらって。治療をしてもらってすぐに眠りたいなと思って。嫌だった?」


「いえ、嫌だなんて。ノア様の良いようにして下さい」


「ありがとう」


 ノアはソフィアの手を引くと並んでベッドに腰掛ける。


 椅子ではなくベッドに座ったノアに本当にすぐに眠りたいほど疲れているのかと心配になる。


「ソフィア、これ見て」


 ノアはシャツを脱ぐと鎖骨辺りを指で擦った。


「アザが……」


 鎖骨から胸元にかけてあるアザが薄くなっている。


「お昼にソフィアが淹れてくれたお茶を飲んで、話を聞いてもらってから気分が良くなって、ふと見てみたらアザが薄くなっていたんだ」


「本当ですか? 良かったです! やはり、精神状態が安定している時がアザも薄くなるようですね。それがわかっただけで大進歩です!」


 嬉しそうに話すソフィアだったが、ノアは大事なことを言っていない。


 昼間ソフィアが書斎を出た後にアザを確認すると鎖骨から胸元までのアザはなくなっていた。このままいけば呪いが解けるかもしれないと期待する反面、呪いが解けてしまえばソフィアとは離縁することになる。そう思った瞬間、アザが薄く浮かび上がってきたのだ。


 自分勝手な醜い感情をソフィアに知られたくない。


 そう思ったノアは本当は鎖骨のアザは消えていたと言えなかった。


「アザが薄くなったのはソフィアのおかげだよ。ありがとう」


 あまり嬉しそうにはしていないノアにソフィアはまだアザの濃い上腹部辺りにそっと手を当てた。


「今日はお仕事も根を詰めていたようですしお疲れですよね。治療をしてもう休みましょう」


 暖かい光がノアの体の中に入っていく。


「……ありがとう。もういいよ」


 昨日よりもずいぶん短い時間でノアはソフィアの手を取り、そっと離した。


「ノア様、私まだ充分魔力が残っていると思います。今日は頭痛とめまいもあるって言っていましたよね」


 ソフィアは両手でノアの頭を優しく包むように触れた。

 ノアは頭が軽くなっていくのを感じたが、すぐにソフィアの腕を離すと自身の腰にそっと回す。

 そしてノアもソフィアの体に腕を回しふわりと抱きしめる。


「ノ、ノア様?」


「ごめん、でもこうしたいんだ。だめかな?」


「いえ……」


 ソフィアはノアの背中に腕を回し、ゆっくりと手を添えた。


 治療をしている訳でもなく、ただ抱きしめあっているその時間は少し速くなった互いの鼓動を感じながら穏やかに流れた。


 どれくらいそうしていただろうか、ノアがそっと体を離すとソフィアの顔をじっと見つめる。


「ソフィア、あのね……」


「はい、何でしょう」


 ノアは何か言いかけたが、少し悲しそうな顔をして首を振る。


「いや……なんでもない。急にごめんね、ありがとう」


「いえ、これくらいのことならいくらでも」


「いくらでも……本当に? それじゃ、これから毎晩治療の後にこうしてもいいかな?」


「毎晩……」


 自分でいくらでも、と言っておいて後から恥ずかしくなったが、やっぱり出来ませんとは言えない。


「わかりました」


 ソフィアは目線を反らしながら小さく返事をした。


「ありがとう。ソフィアといるととても心が落ち着くんだ」


「私もノア様と過ごす時間は穏やかでどこか安心します」


「それなら良かった」


 少し眉を下げ柔らかく笑ったノアは脱いでいたシャツを羽織る。


「今日は本当にありがとう。よく眠れそうだよ」


「いえ、それが私の役目ですから。それではお休みなさい」


「うん。お休み」


 ソフィアは自室へと戻って行った。


 ソフィアはベッドで横になると先ほどのノアの事を思い出していた。


「ノア様、なんだか様子がおかしかったような……悲しそうな、寂しそうな、そんな表情だったな。でもアザは確かに薄くなっていたし……」


 ソフィアは祖母が生前言っていた『他人の心の内を不用意に覗こうとしてはいけない』

という言葉を思い出す。


 もしノアが何か抱えているとしても無理に聞き出してはだめだ。それよりも自分に出来る事をしなければ。

 ソフィアはできるだけノアが楽しいと思う事、幸せだと感じる事を何か出来ないか考えた。


「体調は少し良くなったみたいだし、外でピクニックでもしてみようかな」


 次の日、ソフィアはノアの仕事が忙しくない日に、ピクニックに行こうと提案した。


「ピクニック? 外で食事はしたことがないな。とても楽しみだよ。だけど、今の仕事が少し立て込んでてちょっと先になるかもしれない」


「行くのはいつでも大丈夫です。ノア様の良い日に行きましょう。その日は私がお弁当を作りますので」


 ノアのために食べやすくて薬膳効果のあるものを作ろうと思っている。


「ソフィアが作ってくれるの?」


「はい。欲しい食材もあるのでダニエルさんと相談して、前日に仕入れたいと思っているのですが、よろしいですか?」


「もちろんだよ。いくらでも頼んで良いからね」


「ありがとうございます」


 二人は約束をして待ち遠しいね、と笑い合った。


 だが、なかなかその日はやって来なかった。


 ノアは仕事が忙しく、日中は書斎に籠り夜はソフィアの癒しの治療を受けて眠る、というだけの日が何日か続いている。


 その日もいつものようにノアの部屋で治療をした後、どちらからともなくそっと互いの背に腕を回す。

 はじめは緊張していたソフィアも少しずつ慣れてきていた。


「私、ノア様に癒しの治療をすることが仕事なのに、自分がこんなに癒されてしまって良いのでしようか」


 腕の中でそんな可愛い事を言うソフィアにノアは抱きしめる力が強くなる。


「ソフィアには治療以外にもたくさんのものをもらっているよ。それと同じだけ、いや、それ以上に何か返したいと思ってる」


「私はここで贅沢なくらい何不自由のない暮らしをさせていただいています。それだけてもう充分ですよ」


「君は仕事としてここに居るかもしれないけど、僕はそれだけじゃなく、ソフィアの事を大切にしたいと思っているんだ」


 それがノアが伝えられる精一杯の言葉だった。


 二人はゆっくり離れると、互いに見つめ合う。


「ノア様、ありがとうございます。私はここでこうしてノア様と過ごす事ができて、少しでもお役に立つことができている今の生活がとても幸せです」


「僕も、すごく幸せだよ」


 ノアのアザは少しずつ薄く、狭くなっていた。

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