第19話 閑話 冬の足音届く日に
北では初雪が降ったらしい。
それに比べればまだまだだろうが、今日のハルコは一段と冷え込んでいた。
客の中にも、マフラーやコートといった装備が目立つようになってきた。オーダーの傾向も、ホットの飲み物に切り替わりつつある。
メニューブックの入れ替えはとうに終わらせた。今年は寒波が押し寄せるのが早かったので、早めに手を打ったのだ。
紅茶ももちろん好きではあるが、冬は断然ココア派の桃花。今朝マスターに作ってもらったカフェモカも、美味しかった。近頃コーヒーにも目覚めそうな彼女である。
寒いのは苦手だ。なかなか外に出たくなくなるのはもちろんだが、なんといっても、もの悲しい気持ちになってしまうのが嫌なのだ。自分だけがぽつりと取り残されたような、そんな気分になってしまうのが。
それに。
次の春が来れば、しばらく、いや、次にいつ会えるか分からないような人もいる。
バイトは続けるつもりだが、桃花も実家に帰ることにはなるだろう。両親が、主には母だが、やはり一緒に暮らすことを望んでいるからだ。
時間は平等に、無情に過ぎていく。
「一番テーブル、お願いします」
「はい」
将弥に綺麗に飾り付けてもらったケーキを二つ持ちして、桃花が二人がけの席に掛けている男女の元へと運ぶ。皿の三つ持ちまでなら、もうお安い御用だ。ちょっと前までは重さに腕が耐えられずプルプルと震えていたが、今はそんなこともない。ひとえに瑠衣の特訓のお陰である。
カップル……でもなければ、親子でも無さそうな二人だった。お互いにスーツ姿がよく決まっている。仕事仲間だろうか。
ひょろりとした体型の男性の方が幾分か年上で、女性はやや若め。落ち着いた雰囲気の彼らは「旧友」とも呼べそうな空気の暖かさを持っていた。
「失礼致します。オレンジチョコパウンドでございます」
向きに気を付けながらそっとケーキを机に載せた。
「うわあ、美味しそう」
「ここのはこれが一番美味しいんですよ。どうぞどうぞ」
「ケーキまでごちそうになっちゃって……すみません」
「とんでもない。わざわざ遠くから来ていただいたのはこちらですから」
どうやら男性が会計を持つらしい。気にするな、というように軽く手を振っている。いい人だなあ、と思いつつ、それはおくびにも出さずに軽く会釈をして下がった。
「遠くから」ということは、同じ職場ではなさそう……いやいや、詮索はこのくらいにして。
「しかし、腰を痛めるというのはまた……先生も大変でしたね」
「ええ、座っているのも寝ているのも辛くて。仕事をするのも一苦労ですよ。今は多少良くなりましたけど」
雑談がさざ波のように静かに店内を満たしていく。
穏やかなハルコの、何でもない一コマ。
「あ、れ……?」
ちょうどその時、新しい客が入ってきて、近くのカウンター席を瑠衣に案内された。桃花と同い年くらいだろうか、まだ学生のような雰囲気の少女だった。
彼女はぴたりと歩みを止めて、席につく前に先の男性客の顔を伺う。
「やっぱり。お久しぶりです」
「……あれ?! 奇遇ですね、どうしてこちらに?!」
どうやら顔見知りだったようだ。
どこにでも転がっていそうなちょっとした奇跡を目にすると、なんとなくこちらも嬉しくなる。
「よく来られるんですか?」
「たまにですが、ここのオレンジチョコパウンドが好きで」
「そうなんですか。私は夏にここのジンジャーティーソーダにハマってしまって。以来リピーターなんです」
そしてメニューのお気に入りで話が弾んでくれるなら、こんなに嬉しいことは無い。
男性は共通の知人と言ったところだろう。一見なんの関わりもなさそうなこの三人にどのようなつながりがあるのか聞いてみたい衝動にかられたが、流石に不躾な真似はしない。
「瑠衣さん、相席お勧めしますか?」
レジを合わせていた彼女に状況を軽く説明してお伺いを立てると、瑠衣はそちらを一瞥してにこりと笑った。
「その方がいいかもね。聞くだけ聞いてみようか」
幸い、彼らが座っているのは奥の方の席だった。一台椅子を持ってきても、ほかの客の邪魔にはならない。
「差し出がましいかも知れませんが……よろしければ、こちらにもう一脚椅子をお出ししましょうか?」
いつになっても、お客様に声をかけるのは緊張してしまう。恐る恐る尋ねてみると、少女の方がぱっと顔を輝かせた。
「いいんですか?!」
「はい。今お持ちしますね」
良かった。全身から力が抜ける。出来る限り音を立てないようにパーテーションの向こうから椅子を持ち出した。
「すみません、お気遣い頂いて」
「とんでもございません。ごゆっくりどうぞ」
カウンターの中に帰ると、将弥がさりげなくこちらに目配せをして手でマルを作った。合格、ということらしい。桃花の顔も綻んだ。
また雑談のさざ波が戻ってくる。その中に浸りながら、桃花は深く息をつく。
今はまだ、考えなくてもいいか。
先送りしてしまおう。未だに名前のつけられないこの胸の痛みも、穴が空いてしまいそうなくらいの寂しさに駆られることも。
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