第19話 兄との確執

「ももさん、その……」


 隣を歩く秋仁が、言いずらそうに視線を落とす。

 

「なんですか?」

「やー、その、服」


 これの事か。桃花はワンピースの裾をつまんでみせた。


「似合わない、ですよね。私、こんな格好するの初めてで、ちょっと浮かれ――」

「違います! その」


 食い気味に否定される。驚いて彼を見つめると、眉根を寄せて何か考え込むような顔つきの彼と目が合った。


「可愛いな、と」

「……へっ」

「よく似合ってます! 可愛いなと思って!!」


 先日同様、真っ赤になる秋仁と、つられた桃花。いつにもまして忙しい心臓だ、苦しくなったり早くなったり、あったかくなったり途端に冷えたり。理由は分からないが、どうもそれは秋仁に関係することだとなるようだ。


「それ、瑠衣さんとひかるさんが選んだんですよね」

「そうですが……なぜそれを?」


 会ってからの短い時間に話してはいないはず。秋仁は一瞬目を見開いたが「スカート、ももさんは自分で選ばなさそうかなと思って」と言われて納得した。確かに自分では選ばない。


「合格祝いで、買っていただいて」

「良かったですね。というか、いつも私服でそういうの着たらいいのに」


 似合うのに、と言ってくれる彼の言葉に、とくりと心臓が音を立てる。


「特別だからいいんですよ、たぶん」

「それってももさんの場合、『めんどくさい』を言い換えただけですよね」

「ああ……バレました?」


 いつものテンポが戻ってきて、桃花はどこかほっとした。


「今日は学校だったんですよね」

「はい。文化祭の準備で忙しくて。ももさんたちも誘いたいんですけど……うちの学校、関係者だけなので、すみません」

「それは全然構いませんけど……何をやるんですか?」

「うちは模擬店で。あ、そうだ、メニュー将弥さんたちに相談してみようかな」

「それはいいですね。楽しんで協力してくれますよ、きっと」

「ももさんは去年どんなことしたんですか?」

「何をしたかな……ちょうど今くらいの時期だったんですけど」


 たわいもない会話が楽しかった。あっという間にハルコへ到着する。


「ただいま帰りました」


 桃花はいつものように扉を開けた。

 と、パン、と乾いた音がいくつも炸裂した。


「わっ……」


 デジャヴ。

 こんな事が前にもあった。まだここへ来て間もない頃、落ち込んで泣きはらした顔をした自分。初めてお客さんの怒りをかってしまった、あの日である。

 あの日と違うのは、もう店に足を踏み入れるのが怖くないことだ。


「モモちゃん合格おめでとう、そして秋仁くんお誕生日おめでとう!!!」


 瑠衣が、将弥が、マスターが。ひかるが、敦が。

 手に手にクラッカーを持って笑っていた。


「頑張ってみんなで作ったから残さず食べてね。はいこれあたしが作ったやつー」

「わわ、ちょっと、瑠衣さん! 盛りすぎです、そんなにグラタンばっかり食べられませんって!!」

「アキくんポテトは? ほらポテトポテト、ポテトだよ」

「だから将弥さん、俺をからかって遊ぶのはやめてください! まだ他のものも食べたいんですから、山盛りにしないで……」


 豪華な料理の数々。とにかく目の前のお皿に盛られた分を消費しようと、桃花はあつあつのグラタンを口に運ぶ。手作りのホワイトソースが舌の上で蕩ける。

 火傷しそう。だけど、美味しい。


「カレーもあるよ?」

「えっ、ほんとですか!」

「あと俺が手作りしたケーキ」


 どうやら昼間に感じた匂いは、間違っていなかったようだ。桃花からのリクエストを遂行してくれたのは嬉しいが、この贅沢ごはんの後で豪華なケーキが入るのだろうか。冷蔵庫からチラ見せされたケーキの大きさを見て、桃花も秋仁もその立派さに絶句した。


 ひかるも敦も食べなきゃ損、とばかりに勢いよく食べている。「家のご飯も美味しいし好きだけど、ハルコのはべつだよねー」とは、以前ひかるがハルコで食事をしていた時の談である。


「あ、そうだ、忘れるところでした。俺からも、ももさんに合格祝いがあるんですけど」

「え、何でしょう」


 ごそごそとカバンを探る秋仁。


「喜んでもらえるかは分からないんですけど」


 そう言って取り出したのは、一枚の絵だった。


 

「私……?」

「すみません、俺に出来ることって、それくらいしか思いつかなくて……気の利いたプレゼントとか出来ないし、好きなマンガぐらいしか、ももさんの事知らないし。だから、あの」


 そのまま秋仁は口ごもってしまった。


 ハルコの黒いエプロンをして、ブラウスを来て、片手にケーキを持った自分の姿。

 

「私……こんなに可愛くないですけど」

「可愛いです」


 勢い込んで即答した秋仁に目を見開く。


「って、うわ、ごめんなさい引きますよねそんな……いや、えっと、でも俺は……ももさん、十分可愛いです、から……」


 続いた秋仁の言葉はもう耳に入っていなかった。体が熱い。破裂しそうなくらい苦しい。なのに、何が原因でどこが悪いのか分からない。静まらない心拍に、今日だけは冷水をかけて冷ましたい。


「ありがとう。大事にしますね」


 耐えきれずに目を逸らす。絵の入ったファイルをぎゅっと抱きしめて、桃花は小さく呟いた。


 考え込んだ末、自分の為に時間を割いてくれた。それだけでも涙が出そうなくらい嬉しいのに。

 だけじゃない、と心の奥が叫んでいる。だが頭が追いつかない。

 こんな気持ちは、初めてだ。


「あ、そ、そうだ、私も、アキくんに誕生日プレゼントがあるんでした」

「え?!」


 逃げ出すようにして自室へとんで帰る。バタン、と派手に扉をしめて、桃花は肩で息をした。


 なんだこれ。

 知らない。知らない。知りたくない。


 少し呼吸を整えて精神の異常事態を回復した後、桃花は先ほど書き終えた手紙の束たちとプレゼントを持って降りてきた。

 もう大丈夫。不意打ちに面食らっただけ。免疫はついた。


「これは、アキくんに。おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 感触からノートだと察しただろうか。秋仁の頬が緩む。


「それからこれは……皆さんからはもらってばかりなので、何かお返し出来たらと思ったのですが、すぐ出来るものが思いつかなかったのでとりあえずお手紙を書いてみました。後で読んでいただけると」


 しん、とハルコが静まりかえった。

 ……あれ?


「あの……何か、変なことを言いましたでしょうか?」

「いや、えっ……と、私たちに?」


 瑠衣が遠慮がちに尋ねた。

 それ以外に誰がいるというのだろう。頷いた桃花に一拍遅れてどよめきが伝わる。「モモちゃんから手紙とか貰える日が来るなんて思わなかった!」という将弥に、失礼なと思いつつも、仕方が無いかと諦める。なにせ桃花自身が、人生において感謝の手紙を書くことなど、初めてなのだから。


「うわ、ちょっと。今はダメです! わわわ、ダメですってば!!」


 開けようとした面々を慌てて止めて回る。目の前で読まれるなんて、とてもじゃないが身がもたない。晒し首同然だ。

 本気で嫌がり動揺する桃花に、一同はにやけながらも我慢して大事にそれをしまったのだった。


「ねえ、そういえばもう一人来るんだっけ?」

「そうだね、そろそろ来てもおかしくないんだけど」


 将弥と瑠衣が顔を見合わせる。と、見計らったかのようなタイミングで控えめなチャイムの音がした。


「お、来たきた」


 将弥が走り寄って扉を開ける。その向こうに浮かび上がった人影を見つけて、桃花が素っ頓狂な声を上げる。


「兄さん!?」


 紺のスーツを着た、その姿は見るからに会社帰りの格好だ。本条拓梅が、そこに立っていた。

 不機嫌極まりなく見える眉間のしわ、ネクタイをほんの少し緩める仕草、どれもが桃花の見たことのない姿で、とても新鮮に映る。


「うん、俺が呼んじゃいました。モモちゃんのせっかくのお祝い、ハブられるの悲しいもんね」

「……別に」

「素直じゃないな。まあいいや、もうひとりの妹ちゃんは?」

「来ない。学校の文化祭の打ち上げだ」

「あ、そう。桜ちゃんの行ってる高校って俺らの学区の隣の女子校だったよね。あそこ打ち上げこそ本命みたいなとこあるからなあ。舞踏会用のドレスは選んであげたの?」

「誰が選ぶか。あんなくっそ派手なバラのドレスなんか」

「はあなるほど、可愛かったんだ」


 いいようにあしらわれる兄を見るのは新鮮だ。思わず目をぱちくりさせていると、兄がつかつかと自分の方にやってきた。そのまま、割り込むようにして隣に座っていた秋仁との間に座られる。


「本条拓梅です。妹がいつもお世話になっています」

「初めまして……榛名秋仁です」


 突然挨拶をされた秋仁はびっくりして、椅子からずれ落ちそうになっていた。

 言葉は将弥とのやりとりより打って変わって丁寧なくせに、目が冷たい。全員が寒気を覚えるほど冷たい。

 はらはらしている周りをよそに、桃花は違う意味で背筋が凍っていた。

 兄とまともに顔を合わせるのは、秋の実家訪問以来である。そして、その時ももきちんとした会話ができた記憶がない。つまり半年以上、まともに会話をしていないのだ。


「えっと……兄さん、久しぶり」

「ひと月ぶりだ。その前を思えば大して久しくもないだろう」


 桃花は息を詰まらせた。

 会話を続けさせる気は無いんですか、そうですか。


 前回帰った時は殆ど話せなかったから、と思って勇気を持って自分から声をかけたのに、あんまりである。

 不貞腐れそうになったが、めげてはいけない。今までハルコの人々へ取ってきた、自分の冷たい対応を思えば……。


「あの、将弥さんに呼ばれてたなら、教えてくれれば」

「口止めされていた」

「えっと、桜は」

「言っただろう。学園の打ち上げだ」

「あー、楽しんでる、かな」

「さあ」


 ダメだ、話題を変えよう。

 折れそうになる心を励まし、次の話を探す。



「あ、と、お世話になっている皆さんを紹介するね。将弥さん、は知り合いだったんだよね、えっと、奥にいらっしゃるのがマスター」

「ああ……ご挨拶もせず失礼致しました。いつも妹がお世話になっております」

「いえいえこちらこそ」


 拓梅は立ち上がってお辞儀した。やはり社会人、挨拶の仕方だけは礼儀をわきまえているようである。先程まで完全に空気と化していたマスターは、鷹揚に頷いた。


「それで、いつも面倒を見てもらってる瑠衣さん、そっちのお二人が下の雑貨屋の及川敦さんとひかるさん」


 同じ高校だったということもあり、それぞれとだいたいの面識はあるらしかった。「久しぶり」と瑠衣は言ったが、おそらくずっと連絡を取り合っていたのは将弥だけなのだろう。お互いに緊張の壁がまだ見える。


「そして、お友達の榛名秋仁くん」


 軽く全員分紹介を終えると、また話のネタに困ってしまった。桃花はちらりと兄を盗み見て、何か褒められそうなところはないかと探す。

 お喋り好きなお客さんには、まずは褒め言葉から。

 ひかるが教えてくれた接客術を、今こそ生かすときでは? と思ったからである。


「あー、兄さん、スーツ似合うね」

「見慣れないだけだろ」


 桃花は段々とイライラし始めている自分を自覚した。この兄、会話をぶっち切る天才と呼んでもいいでしょうか。

 でかかった悪態をなんとか飲み込んで深呼吸した。


 次の話題、次の話題。

 そうだ、まだちゃんと兄には報告していなかった。メールは送ったけれども、自分の口からは報告していない。


「あのー、兄さん、私、専門学校」

「合格したんだろ、良かったな」


 ぷちん。

 とうとう桃花の中で理性が切れる音がした。


「あのさあ」


 ドスの効いた声で桃花が兄を牽制する。彼が少しだけ驚いて、今日初めて桃花の目を捉えた。兄の瞳の奥に、に自分の苛立つ顔が見えた。


「いつもそうやって、会話を全部シャットアウトしないでよ。高校の時も大学受験の時も馬鹿にしたように人の話も聞かないで。昔から」


 言葉を切る。それ以上は強い言葉を言うなと脳が告げている。必要以上の言葉を言って仮に彼を傷つけてしまったら、きっと後悔してしまう。


 本当は、もっと私は。

 兄さんと話がしたかった。


 大好きな兄に否定されるのが辛かった。


 桃花は息を吸って、一回止めて。

 ため息をつくように吐き出した。


「尊敬してたんです、兄さんのこと。憧れてたし、好きだった」


 深呼吸。細心の注意を払い、口から想いを紡いでいく。家族に対して握りつぶしてきた言葉や気持ちを、きちんと形にすべきなのだ、きっと。


「だから、これからは……たくさん、会話をしてほしい。先回りをするんじゃなくて、キャッチボールを。私も兄さんの話を聞くから、私の話も聞いて欲しい」


 桃花は彼の目を見て言った。偽りのない桃花の気持ちだった。

 兄ははっとしたように目を見開いて、それから少し俯いた。


「悪かった」


 しばらくして、ぽつりと謝罪の言葉が落ちた。それは他ならぬ、拓梅のものだった。


「少々、いや、かなり、か。俺は、話すのが苦手だから。どうしても先に言葉を取ってしまうんだ。聞き方が悪くて、済まない。なかなか治らないかもしれないが、気をつける」

「うん」


 もちろん、兄の不器用さや、そこに悪気がないことは、桃花が一番分かっている。本人の口からきちんとそれが聞ければ、十分だ。

 本当はちゃんと知っているから。


「じゃあ、兄さんも美味しいうちに食べましょう。せっかくみなさんが用意してくださったのが勿体ないから」

「そうだな」


 くだらないことも大事なことも、話したいことがたくさんある。もう、全て嫌いだなんて言わない。背中を向ける前に、やれる事を見つけたから。

 もう一度目をしっかり合わせると同時に、桃花は笑った。

 拓梅もぎこちなく、だがはっきりとその口元に笑みを浮かべた。


「何だあの、仏頂面兄弟のダブル笑顔の破壊力。持ってかれるわ」

「え、将弥さんやめて。俺、あなたには本当に勝てる気がしないからやめて」

「どうしよう瑠衣ちゃん、あたしもやられちゃったかも……」

「止めとけ、とだけ言っとくわ。あいつ、高校の時から百人斬りで有名よ」


 敦もニコニコとその会話を聞いている。


 そんな喧騒をよそに、マスターはやはり一人で食事を楽しんでいた。

 だから誰も、おそらく本人でさえ気づいてはいなかった。マスターのその横顔が誰よりも幸せそうで、満ち足りた表情を浮かべていることに。










# # #








「兄さんは……家の跡を継ぐこと、嫌だと思わないの?」


 それは、いつか聞いてみようと思っていた問いだった。

 夏の残暑がすっかり影を潜める夜道。明日も仕事の彼が一足先に帰るとあって、桃花は駅までの見送りを申し出た。気を利かせてくれたのか、他のメンバーは部屋に入ったままである。


 都会の空に星は少ない。数えるほどしか見えない煌めきを数えながら、桃花は兄の答えを待つ。


「そう、だな。面倒だなと思ったことは、何回かあるけど」

「あるんだ」


 ちょっとおかしかった。

 几帳面な兄から、面倒臭いというセリフを生まれてこのかた聞いたことがなかったからだ。

 

「桃花も良く分かると思うけど、長男への期待値ってやっぱり半端ないからさ。とくにうちの両親は。でも、嫌だとは思わなかったかな」

「なんで?」

「なんで……? そういえば、どうしてだろうな」


 眉根を寄せて難しい顔をする。その表情を見ると、父と顔の造りがそっくりだ。

 しばらくそうして顔をしかめていたが、振り絞った言葉を繋ぎ合わせて、たどたどしく彼は説明をし始めた。


「俺にとっては、父さんが誇りだから」

「うん」

「やっぱり、父さんみたいになりたいと思うし……父さんが未来に残すために、一生懸命体を張って残してくれた会社、継ぎたいと思うのは、おかしい事じゃないだろ」


 桃花は頷いた。


「後世に自分のやってきた軌跡を残すっていうのも、大事な務めだと思うんだよ。だから、自分の仕事に誇りもある。父さんの仕事を継ぐのが、俺の役目だ」


 静かだった。だがその言葉には、決意がこもっていた。



「良かった」

「何が」


 思わず口をついて出た言葉に、拓梅が怪訝そうな顔をする。桃花は笑って首を振った。


「なんでもない。私も、そうやって頑張ってる兄さんやお父さんは、すごいと思います」

「……そう、か。ありがとう」


 それは今まで聞いた中で、一番素直な兄の返事だった。

 桃花の心にまたひとつ、消えない明かりが灯った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る