第17話 気づく? 気づかない?
それから散々二人の市場調査、という名の買い物に付き合って、ハルコに帰ってきたのは二時を少しまわっていた。
「いやあ長旅だったわ」
「けど楽しかったねえ」
二人の言葉に、顔をしかめたのは桃花である。
「収穫って、人をいじり倒してそれは無いでしょう」
「まさかあんな顔のモモちゃんを見られるとは」
「いやあ眼福だった」
「今すぐ記憶を削除して下さい!」
結局、彼女の着せ替え人形はあれでは終わらず、買ったばかりのシャツワンピースに着替えさせられたにも関わらず、しばらく脱ぎ着を繰り返すことになったのだ。
「しっかしおかげで写真撮る側も楽しめたわ」
「そう、だいたいそれです!」
桃花が一番キレたのはそこである。
何故か全ての着せ替えにおいて、写真を撮られまくった。それも「誕プレの為じゃあああ」となにかに取り憑かれたようなひかるに気圧されて。
「誕プレ誕プレって、何ですか。私の誕生日は二月二十二日ですけど」
「あ、三月じゃないんだ! てっきり三月だと思ってたー、桃だから」
「名前に桃がつく人、全員桃の節句生まれだと思わないでください。生まれた日にたまたま桃の花が満開だっただけです」
「いい名前だと思うよ一、桃花って。響きも連想させる絵も綺麗だし、名は体を表すようにモモちゃんもとっても可愛いし」
「あ、りがとうございます……って話がそれた!」
騙されてはいけない。ひかるは人を調子に乗せるプロである。一体どれだけの人が、その口車に乗ってアクセサリーや小物を買ったのやら。
「はいはい、尖らない。疲れたでしょ、これ飲んだら上行って休みな」
瑠衣が手早くジンジャーティーソーダを三人分作って出してくれる。桃花考案の新作は、今年の夏の売上に随分貢献してくれた。
消耗した体にそれは染み渡っていき、思わずため息が漏れる。
「あー、潤ったあ」
ひかるがビールでも煽ったかのようにグラスを置いて、瑠衣に窘められていた。あまりにも幸せそうに飲むので、生みの親である桃花もなんとなく嬉しくなる。
「あ、モモちゃん、アキくんのメアド教えてくれない?」
――突然の申し出に頬が引きつった。
「え……?」
「あー、ほら、アキくんの誕生日そろそろじゃない?」
「そう、でしたっけ」
「さっきスケッチブック買ってたじゃん」
しらばっくれるのは苦しい嘘だった。二人に隠れて買い物をしたつもりだったが、しっかりバレていたらしい。
「折角だからあっちゃんの作ったストラップでちょっと参考になりそうなものの画像、送ってあげたいなーと思って」
「……それってメールじゃないとダメなんですか?」
別に、来た時に見せればいいだけの話だ。桃花と「友達」になって以降、秋仁がハルコに来る頻度は上がっているし、ということは必然的に下の雑貨屋にも寄っているだろう。
「あー、うん、えっと、そうなんだけどね?」
いつになく食い下がる桃花に、ひかるが苦笑を浮かべた。
「あ! そう、あっちゃんがどうしても、個人的に連絡取りたいことがあるって言ってて」
「……ああ、それなら…………本人に確認を取りますので、ちょっと待ってもらえますか」
不自然な気もしたが、無理に自分を納得させてメールを打つ。数分と立たずに了承メールが来たので、そのままひかるにケータイの画面を見せた。
「これです、どうぞ」
「ありがとー……へー、アキくんって絵文字派じゃなくて顔文字派なんだ?」
喉の奥が、焼き付くように締まった。
それはさきほどまで何となく感じていた心のざわめきよりも、一際大きなもの。心臓の奥からせり上がってくる、この感情は。
何だろう。
「モモちゃん?」
はっとしてひかるの顔を見た。不思議そうに首をかしげる彼女が、そこにいた。
「ごめん、まだ見終わってない……」
はっとして手元を見る。無意識にケータイを引っ込めていたようだ。
「ごめんなさい、どうぞ」
何だったんだ、さっきの。
お腹の底から熱くなるような。心臓がぎゅっと締め付けられるような。頭からつま先を駆け抜けた、あの気持ちは。
まさか。嫌悪?
即座に頭がそれを否定する。
ひかるに対してそのような感情を抱くはずがない。彼女は桃花にとっての良き姉だ。ことある事に気にかけてくれたり、励ましたり、合格祝いまでくれるような善人だ。それを自分が嫌うなんて、ありえない。
しかし同時に思い出す。先日秋仁がハルコで朝食を食べた時のことを。あの時も確かひかるに同じようなイライラを抱いて、気がついたら秋仁との会話を奪っていた。
だとしたら、自分が今心に沈めたざらつきは。
それ以上は考えたくなくて、慌てて思考回路に蓋をした。
頭をブンブンと振った桃花を見て、ひかるがにんまりと顔を歪めていたことにも気づかずに。
# # #
「んん……」
夕日が顔に当たって目が覚めた。桃花はゆっくりと体を起こす。
どうやらあの買い物の後、疲れきって寝てしまっていたらしい。先日篠田書店で買ってきた「初心者でも簡単! 基礎からはじめる和食の本」の卵焼きのページが、妙な形にズレて折れていた。
「うわあ……」
よだれを垂らして寝る主人公なんかを、漫画ではよく見かけるけれど、あれは漫画の中だけの話だと思っていた。慌ててティッシュを掴んで紙を擦る。写真がふんだんに載っている本でよかった。撥水加工のような紙質に救われた。
汚い、と呆れるが仕方が無い。
頭が痺れている。ぼうっとした目で時計を確認すると、五時に近いことが伺えた。
「一時間は寝てた、か」
寝起きも寝つきも悪くない桃花は、昼にうたた寝をしたとしても十分から三十分が基本である。それが一時間一度も目を覚まさなかったと考えると、よほど今日の買い物は消耗したのだろう。
買って数時間のシャツワンピースは、洗濯かごには突っ込まず部屋の壁にハンガーを引っ掛けて吊るしてあった。「今日はマスターと将弥も晩ごはん食べに来るらしいから、七時にハルコ集合ね。それより前には来なくていいよ。ていうか来ないで」との瑠衣の言葉があったので、彼らに見せがてら着ようかと思って置いてある。初めは短いと思った丈も、着ていればそこそこ気にならなくなった。なによりフリフリのスカートなどを試着させられた桃花としては断然これがマシに思えたのである。
実は、晩ごはんも合格祝いの一環だったりして。
思った理由は嘘がつけない瑠衣の不自然すぎる「七時以前に来るな」発言や下から漂ってくる甘いスポンジの香りなど多々あるが、ちょっと都合よく妄想し過ぎだろうか。
そんなことをされなくても、桃花は充分彼らから色々なものを貰いすぎている。こちらから何を返さなければいけないくらいだ。
「……何か、返す」
自分には、何を返せるだろう。
「ケーキを買ってくるとか」
多少は喜ばれるだろうが、ベストではない気がする。却下。甘いものは割といつでも美味しい手作りが食べられる。主に将弥のおかげで。
「料理を作る、とか?」
桃花は『和食の本』に目を落とした。
これは料理の出来る人へのお返しには少々ハードルが高いか。いやいや、彼らは手放しで喜んではくれるだろうが。
「一品じゃあ手伝いみたいでいつもと変わらないし、ここは夕飯とか全部を作らないと」
自分の実力では一体何時に用意を始めればいいのか。試算しただけで気が遠くなる。
でも、いつか。
いつか必ずやろう。
「じゃあ、カードを書く?」
段々、今すぐ何かをしなくては気が収まらなくなってきた。雑多に書類が突っ込んであったファイルの中をごそごそとひっくり返す。出てきた便箋と封筒は相当昔に買ったものだったが、何も無いよりはいいだろう。
日頃の感謝を込めて。言葉にするのが下手くそなのは自覚しているけれど、これくらいは。
桃花は気合いを入れてボールペンを手に取った。
その数分後には、消しゴムとシャーペンに持ち替えて便箋と格闘する桃花の姿があったのだが。
ボールペンの筆跡のものが修正テープだらけだったのは言うまでもない。
約束通り七時きっかりにハルコへ降りようとして……桃花のケータイが鳴った。
「もしもし?」
『あ、モモちゃん? ごめん、将弥だけど』
「どうか、されましたか?」
後ろからざあざあと水が流れる音。窓の外を見る。雨は降っていないようだった。となると……噴水の近くにいることは考えにくいとして、シンクの近くだろうか。
『悪いんだけど、駅前まで買い物頼まれてくれないかな?』
「いいですよ。何を買ってくれば?」
『あ、ちょっと待って今手が離せない……後で画像送るわ。とりあえずスーパー向かってくれる?』
「分かりました」
スーパーにあるもので、画像を送らないと分かりそうにないもの、とは一体。
今日は疑問に思うことが多すぎる。
「もしもし? 着きましたよ」
一向に画像の送られてくる気配がないので電話すると、耳元で『やべ、忘れてた』との一言。大したものではなかったのだろうか。
ほどなくして送られてきた添付付きのメールを開く。
「あれ……?」
思わず目を疑った。
件名を確認する。差出人は紛れもなく「黒木将弥」でメールのタイトルは「拾ってきてください」。
買い物じゃ、ない?
「ももさん?」
ちょうどその時、背後から声がかかった。
「あ、良かった、人違いじゃなくて……」
「……アキくん」
「なんか分からないんですけど、突然夏恋の、あ、ひかるさんって方から呼び出し食らって。ここに来て、ももさんと落ち合うように言われたんですけど……」
急いできたのか、秋仁は僅かに息が上がっていた。顔も少し上気している。
「そうなんですか。私も今、将弥さんから意味不明なメールが来て戸惑っていたところで」
「どんなメールですか」
先ほどの画像を呼び出して見せる。
「うわっ! 何これ、いつ撮ったんだ?!」
「さあ?」
ハルコの机に突っ伏して、寝てしまっている秋仁の横顔があった。
「はっずかしい……削除して下さいね、何これ」
「嫌です」
即答した桃花を秋仁は呆気に撮られて見つめていた。
「え」
「ほら、行きましょう。なにやら今日はご馳走の予感なんです、多分アキくんの誕生日のお祝いするんですよ」
「何で俺?」
「さあ。私が皆さんに言ったからですかね」
「言ったんだ!?」
秋仁が固まっていると、ふっ、と桃花が笑顔を漏らした。
「アキくんは愛されキャラなんですね」
胸が苦しくなった気がしたのは、きっと気のせいだろう。
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