秋、想う人
第14話 似たもの親子
ギラギラと照りつける太陽も、朝晩はようやくその勢いを静めつつあった。
日課の散歩に出るべく靴をつっかけた桃花も、薄手のカーディガンを羽織っている。秋の空気が桃花の髪を撫で、頬をくすぐった。
ここに来た頃、腰まであった見事な黒髪は今はない。
ひと月ほど前に、肩と耳の中ほどでばっさりと切ったからである。別人と間違われるくらいに短くなったこの髪型を、桃花は割と気に入っていた。
その背中は、春よりものびのびと、頼もしくなり。
思いきり両手を上げて天へ突き出す。ふっと力を抜いて、桃花は独り言を呟いた。
「メールでも、打っておくか……」
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件名 無題
ご無沙汰しております。桃花です。
いかがお過ごしですか?
私はお陰様で充実した毎日を過ごしております。
友人も出来ました。周りの方々も優しい人ばかりで、私は本当に恵まれた環境にいると実感する日々です。
両親には既に知らせてありますが、来週あたり家に顔を出す予定です。
ではまた、その時に。
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そんな味気ないメールを受け取った兄は、一体どう思っただろうか。
桃花は半年ぶりに会った家族を前にして、緊張を強いられていた。
リビングの食卓の上に敷かれている、レースのあしらわれたテーブルクロスに視線を落とす。無機質な自分の部屋の折りたたみ机と比べれば、段違いにオシャレで懐かしい。だが、感傷に浸る余裕はゼロである。
カフェ・ハルコから休みをもらった桃花は、実家に帰ってきているのだった。
正面には、難しい顔をして座るそっくりな表情の父と兄。桃花の隣には、無関心を決め込み巻いた髪の毛の先を弄ぶ妹の桜。
人形のような顔立ちをして、着飾ることを趣味とする桜は、桃花とはまるで正反対の性格である。「私はお兄ちゃんとお姉ちゃんとは違うの」が口癖で、比較的物静かな本条家では異端児であった。その代わり、人の懐に飛び込むのが上手で、いつの間にか交友を深めており味方が多い。人生を得して生きているのは、結局彼女の方だったりする。
春にこの家を飛び出した時、兄の拓梅は既に家を出て一人暮らしをしていたし、桜は海外留学をしていた。
両親との最後の会話にも、いい思い出はない。さらに今からする話を考えると、気は重くなる一方だ。
夕日が窓から差し込んで、時計は四時を指している。かいがいしく立ち回る母が、紅茶を居間に持ってきた。
「はい、お父さん。それから拓梅、桃花、おかえりなさい」
母が思わせぶりに、桃花に向かってウインクをして席についた。これは、たぶん、「頑張りなさい」の合図……
『いいか、モモちゃん。悪いことは言わない。絶対実家へ帰る前にお母さんに電話するんだ』
将弥の助言に従って気が進まないながらも電話をかけたのが、今日より一週間前のこと。
『桃花!? 元気にやってる?』
久しぶりに聞く声は、小言より前に桃花を心配してくれた。少しだけ胸が痛む。
『ううん、いいの。連絡してくれなかったのを責めている訳では無いの。なんの便りもなく、元気にしてくれているなら、それでいいのよ』
「お母さん……」
どうせ母は、兄か妹の事しか気にかけていないのだと思っていた。
愛されていなかったとは思わないが、可愛がられた記憶はない。いつも家で話題に上るのは、自慢の兄のことか、手のかかる妹の事。
だから時々届くメールも、殆ど無視していた。それがこんなに切ない声で心配されてしまうと、罪悪感がこみ上げてくる。
そのまま怒涛の世間話と家族ニュースに突入した母の話を聞いた後、桃花は今度実家に帰って進路相談をしたい旨を告げた。
『そう……分かったわ。お父さんと拓梅には仕事を休んでもらうように言うわね』
「別に、兄さんは居なくても……」
『あの子も最近、全然顔を出してくれないからちょうどいいのよ』
兄弟揃って親不孝なんだから全く、と冗談ぽく言った彼女は『やりたいこと、見つかったのね』と安心したように言った。
「はい」
『良かった。桃花、昔から何にも言わないでしょう。高校も大学もろくに見学もせずさっさと決めちゃっていたし。お母さん、あなたは自分でなんでも決められる手のかからない子だと思っていたわ』
だからあなたの悩みに向き合ってあげられなかったのね。
ごめんね、と謝った母は今にも折れそうな声をしていた。
謝らないでほしかった。何も言ってこなかったのは、自分の責任だ。言わないことで寂しい思いを抱かせたなら、謝らなければいけないのは自分の方だ。
私の方こそ、ごめんなさい。
私に気をつかって電話すらかけられず、せめてメールで、と連絡を取りたかったあなたの気持ちにも気づかずに、返事もしなかった。
電話口では言えないまま切ってしまったが、その後こっぴどく瑠衣に叱られた。思っていたならどうして謝らなかったのかと。「言える時に言わないと、いつ言えなくなるかなんて誰にも分からないんだよ!? ここに来た時のモモちゃんと、何にも変わって無いじゃない!」と、両親がいない瑠衣に怒鳴られて、桃花ははっとした。
そうだ、悪かったと思ったなら謝ること。絶対に後回しにしないこと。
それが、自分に近い人であるなら余計に。
帰ってきて一言目に、勇気を振り絞ってそれを告げると、母はそっと頭をなでてくれた。
こんなふうにされるのはいつぶりだろう。
くすぐったいような、懐かしいような、それでいて暖かい気持ちが桃花を包む。
「桃花がなかなか素直になれないのは分かっているつもり」
「先輩方にも言われています……」
「あら、桃花のことをちゃんと分かってくれる方たちで良かったわ」
桃花はこの時、覚えている限りで初めて母のことを好きだと思った。そしてその母が半分わざとらしく『頑張れ』と目で合図を送ってくれたのが嬉しくて、思わず笑ってしまった。
桃花の笑った表情を見て、父と兄はぎょっとして顔を見合わせていたのだが、桃花がそれに気づくはずもない。
「お父さん、私、専門学校に行きたいんです」
一口紅茶を飲み、母からの元気をもらってから、桃花は本題を切り出した。
「専門……?」
「はい。食の専門学校です」
父の眉間がぴくり、と揺れる。しかし昔と違って怖くはなかった。
あれはきっと怒っている表情ではない。何かを考えている時の癖だ。
自分も同じような顔で、人の話を聞いていた覚えがある。つくづく親子だなあと思ってしまう。
「黒木さんのところでお世話になって、やりたいことを見つけたんです」
『働く』とは、はたを楽にすること。
『はたを楽にする』とは、誰かが喜んでくれる何かをすること。
大きな事ではない。一杯の飲み物で人をふっと幸せにするような、そんな彼らに憧れた。
「将来は、食に携わる仕事につきたいと思っています」
桃花は持ってきたカバンから、資料をばっさりと机に置いた。現役高校生の秋仁にも手伝ってもらって揃えた、この近辺の学校の受験対策や学校別特色の載った一覧である。綺麗に色分けされ、ファイリングされている。
付箋だらけのそれは、一目で読み込んだとわかるものだ。
「実践で身につけるのも良いのですが、やはり資格や知識があった方が役に立てることもあります。もちろん、初心を忘れないためにもバイトは続けたいと思っていますが……」
その中の一ページを開いて見せた。
「この、船木食育専門学校というところ。調理師コースもいいかなと思いましたが、調理師免許は実務二年に加えて試験を受ければ取れるので。この学校でこれだと、栄養士の資格の他に民間資格もいろいろ学べるコースがあって、私はここに行きたいのですが」
「……見せてみなさい」
父はしかめっ面のままその分厚い学校一覧を手に取った。
沈黙が痛い。そわそわと落ち着かなくなる。手のひらの内側が汗で湿って気持ち悪い。
「オープンキャンパスは?」
黙って横で紅茶を啜っていた拓梅が口を開いた。
「い、ちおう一人で行ってはみましたが」
「あらやだ、誘ってくれれば良かったのに」
半分冗談のような口調で母も口を挟む。桃花は迷わずそれに返事をした。
「来週の水曜日に最後の一回がありますけど、一緒に行きますか?」
あれ?
今、なんて言った?
それは、自分でも信じられない一言だった。
父も母も兄も、ぽかんとした表情で桃花を見つめている。しどろもどろになって付け足す。
「え、ええと。自分ではとても雰囲気のいいところだと思ったのですが、第三者的に見ていただいた方がいいかと思いましてというか、行きたいあまり盲目になってしまっていないかとか、その」
「良いんじゃないか」
ぽつりと父がそう言ったので、今度は桃花があっけに取られて父を見つめた。
そこには険しい顔つきで、固まったままの表情筋。
「母さんが行ってみて、良さそうだったらそこに決めたら良い。学費的な面はこれを見る限り、面倒見てやれる範囲だな。バイトは続けるつもりだろう?」
「は、はい!」
「なら俺からは以上」
父は席を立った。
「やだねえパパったら。あっさりし過ぎ」
呑気に桜がそんなことを言う。
「ああ見えてパパ、嬉しかったり寂しかったりフクザツなのよきっと。ほんとーに感情表現が不器用なひとよね」
適当に聞いているようでいて、桜は妥当なことをさらっと言うのである。地味に桃花は彼女を侮れないでいる。
「私は、前の言いなり星人なお姉ちゃんより今のお姉ちゃんの方が好きよー。その髪型もカワイイ」
似合ってる、と形の良い唇で微笑まれる。ああ、男の人がこの子を見たらイチコロなんだろうな、と桃花はぼんやり考える。桃花が逆立ちしたって、この色気は出ないだろう。
けれど褒められたことは純粋に嬉しかった。
「ありがとう」
とりあえず素直に受け取って笑っておいた。
「ねえ、折角だから晩ごはんはお姉ちゃんが作ってよ」
「いいけど……私も料理は始めたばっかりだし、大したものは作れないよ?」
「どうするー? 日頃ママの手伝いをしてる桜の方が上手かったら」
「シャレにならないからやめて」
賑やかにキッチンへ消えていった二人を見送ると、居間は母と兄だけになった。
「拓梅、帰ってきてから桃花と話した?」
「いいえ」
彼は憮然としてはいるが、怒ってはいない事くらい母にはお見通しである。
この兄はどうも、妹二人を猫可愛がりするあまり、一周して意地悪に走る傾向がある。そしてさらに半周した結果、現在は口をきかないという方針を固めたらしい。
「……ごはん、美味しいくらいは言ってあげてね」
「本当に美味しいと思ったら言いますよ」
「あら可愛げのない」
「俺が可愛くても気持ち悪いでしょう?」
拓梅は実に素っ気ないのだった。
その後の夕飯で出た、トマトソースのパスタとかぼちゃのチーズ焼き、ハルコ仕込みのドレッシングがかかった彩りのきれいなサラダにそれぞれ一言づつ「美味しい」と聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで呟いた拓梅の一言を、母はため息混じりの苦笑とともに見守っていた。
「うわ、聞いた? お姉ちゃん。お兄ちゃんが美味しいって言ってるよ!」
「聞こえた聞こえた。明日雪が降ったらどうしようね」
性格の合わない妹と、そんな軽口を叩きあえる仲になるとは桃花自身思ってもみなかったが、自分が心を開いてしまえばなんてことは無い、簡単なことだった。
たぶん今までは、自らシャッターを下ろして他人を拒絶してきたのだ。
同じように楽しげにしている桜を見て、桃花はそんな事を考えた。
父はそれを尻目に、結局一言も発さずに夕飯を食べ終えた。
「……毎日お父さんのご飯作るの、お母さんは大変ですね」
「付き合いが長すぎて慣れちゃったわ。未だに好物がはっきりと分からないのは困りものだけど」
「お母さんみたいな物好きじゃなきゃ、これからきてくれるお兄ちゃんのお嫁さんも務まらないね」
「あら桜、それってどういう意味?」
「そのままよ」
父も、何も残さず綺麗にさらったところを見ると、不味くは無かったらしい。本当に、少し前の自分と被ってしょうがない。つくづくハルコの人々と母の寛大さを思った桃花であった。
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