第14話 閑話 秋を望まぬ彼のこと
件名 無題
from もも
ご無沙汰しております。桃花です。
いかがお過ごしですか?
私はお陰様で充実した毎日を過ごしております。周りは皆優しい方ばかりで、疲れる日もありますが、それを引いてもあり余るくらいの楽しさで満たされています。
友人も出来ました。私は本当に恵まれた環境にいると実感する日々です。
兄さんのせいでトラウマだったショートカットも、友達のお兄さんに可愛く切ってもらったお陰で克服しました。
それと、両親には既に知らせてありますが、来週あたり家に顔を出す予定です。
ではまた。
# # #
「課長、どうかされましたか」
目の前に座っていた女性社員に呼びかけられ、青年ははっと顔をあげた。スマホの画面を睨みつけるように見ていた彼は、さっとその画面を下にしてなんでもない風を装う。
二十代半ばにして既に課長の肩書きを持つ彼は、寡黙で誠実な勤務態度と的確な指示出し、営業成果から周囲の信頼の厚い男である。
その名を、
年上の部下が多くいるにも関わらず、礼儀正しいので反感も少ない。口数こそ多くはないものの、話しかければ笑顔で答えが返ってくる。その人望故に、社長の息子だから若くして課長になったのだ、などと僻みを言う人間は自然といなくなった。むしろ、彼を信頼する周囲の人間から、悪口を言う方が徹底的に弾圧され追放されるのがオチだった。
「すみません。私信でした」
いいながら胸ポケットへスマホを仕舞おうとして、またメールを知らせるマナーモードの振動が響く。うんざり、といった様子で緩慢にもう一度画面を開くと、突然彼がガン、と頭を机に打ち付けた。
「課長!?」
慌てて腰を浮かしかけた部下を手で制し、「大丈夫です」と全く大丈夫ではなさそうな、しおれかけた声で告げる。
「で、でも」
「申し訳ありません。この急ぎの案件、加藤さんに託しても良いですか? 少し外に出てきます」
五分で戻ります、と言いおいて、顔もあげないまま小走りにデスクを後にする。その後ろ姿を加藤は唖然として見送った。
「明日の会議資料くらい、五分だったら別に戻ってきてからやってもよくない……?」
どんなに大きな仕事でも取り乱すことのない彼が、頭を机にぶつけるほどの衝撃的な私信とは、一体何なのだろう。加藤は首を傾げた。
拓梅が廊下を歩きながらかけた電話は、ワンコールで繋がった。
『はいはーい。お仕事中にわざわざお疲れ様』
「相変わらず人の神経の逆撫でが上手いヤツだな」
『お褒めに預かり光栄です』
「貶しているんだよ」
口調の強さに、通りすがりの社員がぎょっとしたような顔でこちらを見ていた。構わず喫煙室の中へ飛び込む。彼がここで電話をしている時は、誰も入ってくる心配がない。
『まったく、そんなトゲトゲするなよ』
したくもなるというものだ。半年も連絡のなかった妹から突然メールが来て動揺していたところに、腐れ縁とも呼べる、高校時代の生徒会の同期――黒木将弥から衝撃的な写真が送られてきたのだ。生まれてこのかた見たこともない満面の笑顔で、料理を作る妹の写真。この現場に居合わせられなかった無念を、彼にぶつけないとしたらどこへぶつけろというのだろう。
「何を作っているところだ?」
『ああ、あの写真? 瑠衣に教えられて野菜カレー作ってたところを隠し撮りした』
「……相変わらずの器用さ無駄遣いだな」
『はははありがとう』
「だから褒めてはいない!」
将弥との会話は、昔からこんな感じである。
一方的に遊ばれているような雰囲気が、拓梅にはなんとも我慢ならない。もちろん将弥は狙ってやっているのだろうが。
彼のそばで妹が働くと決めた時、心配したのはなにも両親だけではない。拓梅だって相当に心配したのだ。妹に嫌われている自覚のある拓梅は結局、同期のことは何も伝えられず、部屋の前を右往左往しただけだったが。
そんな拓梅の葛藤を知ってか知らずか、電話口の将弥はペラペラとおしゃべりを続けている。
『しっかしあれだね、モモちゃんってすっごくショート似合うんだね。あれでニコッて笑われたら、さすがの俺も心臓止まるかも』
「見るな寄るな触るな殺す」
『うわ、久しぶりに聞いたな、拓梅の怒り声。キレ方そっくりだよ、君ら兄妹』
くつくつと笑う将弥が本当に気に食わなかった。
『ていうか、君シスコンこじらせすぎじゃない? 妹がいてめちゃくちゃ溺愛してるのは知ってたけどさ、まさかここまで本人から嫌われているとは思わなかったよ。怒らせることばっかりしてどうすんの』
「あんたに言われる筋合いはない」
『モモちゃんから聞いたよ。寝てる間に髪の毛が短くなっていてすごく笑われたことがあるから、以来ショートカットがトラウマだったって。いくら妹でも髪の毛を切っちゃうって、さすがにケーサツ沙汰じゃないの』
「大昔の話を掘り返すな……!!」
もちろん桃花は知らないだろうが、流石にあの時ばかりは両親にこっぴどく叱られた。まだ小さい頃の話だ。幼稚園に通い始めたばかりの妹がよりかわいくなるかなと思って、本人を驚かせたかっただけだった。もう忘れただろうと安易に思っていたのに、された側は強烈に覚えているものらしい。そのほか諸々、多少、いやかなり意地悪だったのは認めよう。泣かせたのも一度や二度ではない。しかし本当に嫌われるまで、拓梅としてもさじ加減が分からなかったのだ。以来はこれ以上嫌われないように、出来る限り、桃花と距離を置くように努めていたのだが……
『どうせろくに謝ってないんでしょ。なんてったって、あの頑固モモちゃんのお兄ちゃんだもんね』
「いい加減にしろ。切るぞ」
『あれ、じゃあ何でかけてきたの?』
ぐうの音も出ない正論の切り返しに、言葉が詰まった。
『分かった! 超ミラクルショットを隠し撮りしたお礼でしょ? ありがとうって言ってくれてもいいんですよ』
「言わない。死んでも言わない」
『なんだつまんねえ』
心底つまらなそうに将弥がぼやいた。
『……ねえ、一つお願いがあるんだけど』
不意に電話越しの将弥のトーンが落ちて、思わず身を固くする。
「なんだ」
『モモちゃんを笑うなよ』
「……は?」
意味がわからない。思わず間の抜けた返事をした拓梅に、将弥の言葉は続く。
『誠意からの忠告ならともかく、例え愛情の裏返しであっても、モモちゃんの夢を笑ったり、殺したりする事は許さない。妹として過保護に見るんじゃなくて、一人の“本条桃花”と向き合って欲しい』
有無を言わさない口調に、思わず背筋が伸びる。「分かった」とだけ返事をすると『よしよし』とまた小馬鹿にしたテンポが戻ってきた。
『ま、そういうことだから。久しぶりの家族水入らず、楽しんでね』
喋り倒すだけ喋り倒して、向こうから電話が切れる。結局拓梅の用件など、将弥にはハナから聞く気が無いのだ。
どうせ俺の用件が「何を作ったか」の一点だけだったのはバレているだろうけど。
妹の事を考えると少し頬が緩んだ。
慌てて笑みを消し、軽く深呼吸。時計を確認する。ぴったり五分である。
いい息抜きになった、と心の中だけで将弥に礼を言っておいた。
後日、無防備に置かれていた拓梅の私用携帯の待受をうっかり加藤が見てしまい、「【速報&悲報】本条課長に年下で可愛い料理上手の彼女発覚」の社内メールが出回ったことは、また別の話である。
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