第7話 閑話 夏待つ彼らと日々の色

「は?! おま、それ本気?」


 将弥が携帯電話に向かって怒鳴り散らした。それと同時に立ち上がり、けたたましい音を鳴らして椅子をひっくり返す。ハルコは奇妙な静けさに包まれた。


「行儀悪い」


 瑠衣が沈黙を破って、ぴしゃりと言い放つ。しかし興奮している将弥は、電話の向こうにしか興味がないようだった。夕食のまかない和食を放置して、将弥は電話片手にうろうろとフロアを歩き回りはじめた。


「瑠衣さん、あれは多分長電話コースですよ。さっさと食べ終わって、洗濯回しましょう」

「そうね」


 季節は梅雨に入っていた。

 この時期の洗濯は死活問題である。一秒でも早く風呂を終わらせて浴室乾燥機をかけなければ、替えがぎりぎりの瑠衣と桃花の衣服はあっという間に底をつく。臭くでもなったりしたら、最悪だ。

 雨が憂鬱な理由が、若干主婦寄りになりつつある桃花であった。


 捨て台詞のごとく「幸せになれば良いと思うよ。勝手にね!」と電話をぶっち切った将弥が、そのままつかつかとマスターの方へ歩み寄った。


「ちょっと、じいちゃん! 知ってた? 従兄弟の佑弥、結婚するって」

「ああ、聞きましたよ先日」

「なんで教えてくれないのさ! 知らなかったの俺だけかよ! スピーチとか急に頼んでくるし……友達いないのかな、あいつ」


 口調が少しぞんざいになるのは、将弥が取り乱している証だ。だが彼の言葉で別の混乱に陥ったのは、桃花の方だった。


「じい、ちゃん?」


 焼き魚をつついていた手が止まったのを見て、瑠衣が首をかしげる。


「あれ、もしかしてモモちゃん、知らなかった? 将弥って、マスターの血のつながった孫だよ」


 その一言に、桃花は頭をぶん殴られたかのような衝撃を受けた。


「あれ? モモちゃん?? モモちゃん? どうしたのー? 生きてるー?」


 しばらく桃花の前で手を振っていた瑠衣だが、彼女の意識が戻らないことを確かめると早々に諦めた。


「そこのお二方。モモちゃんが死んでるよ、どうしてくれんの」

「え? なんで?」


 こっちを向いた将弥に、瑠衣は桃花を指さす。

 ショートした機械のように、早口でなにやらまくし立てている桃花がそこにいた。


「あの温厚なマスターも若い頃は将弥さんのようにチャラかったのでしょうかそんなマスター絶対嫌だ無理」

「モモちゃんってそんなに俺のこと嫌いだったんだ……?」


 逆にダメージを食らった将弥と、知らぬ顔のマスター。マスターは平然と、将弥に向かって話を続けている。


「彼の妹と同級生の方のようですね。とても可愛らしい方だと聞いていますよ」

「……さっき散々のろけられたから知ってる」

「あまりに可愛らしいので、黒木の家で会った時、君の父親である恭弥は、連れ帰って自分の息子の嫁に欲しい、と抜かしたそうですが」


 マスターの爆弾発言に、今度は瑠衣の箸が止まった。


「……はっ。私としたことが、取り乱して。……あれ? 瑠衣さん? 瑠衣さん? 大丈夫ですか? 生きてますか?」


 我に帰った桃花が、無表情になった瑠衣の前で手を振る。微動だにしない瑠衣は、魂の抜けた顔のまま桃花にぽつりと指示を下した。


「モモちゃん、今すぐレーズンの瓶持ってきてくれないかな」

「嫌ですよ、急にどうしたんですか。食べたら酔っ払うじゃないですか」

「酔っ払いたいから言ってんのよ」

「まずは夕飯を食べ終えてください」


 何が瑠衣に衝撃を与えたのか、桃花はさっきまで上の空だったので全く聞いていなかったのだが、とにかく放心させるような会話があったらしい。なんとか、彼女の好物である卵焼きを無理やり瑠衣の口に突っ込むと、渋々ながらようやく咀嚼を始めてくれた。


「親父が言いそうな事だ……弟もうるさく言われてるんだろうな、嫁とかなんとか。可哀想に。俺がここに逃げたばっかりに」

「おや、逃げた自覚はあったんですね」


 マスターが意外そうに目を細めると、バツが悪そうに将弥は視線を外して下を向く。


「あるよそりゃ。勘違いしないで欲しいけど、今は違うからね?」

「ええ、それは知っていますよ」


 マスターは将弥の作った卵焼きを頬張った。

 ふんわりとだしの香りが口の中に広がった。

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