身代わり結婚を強いられた伯爵令嬢は、ズボラな夫の生活習慣改善に取り組みます!

宮前葵

身代わり結婚を強いられた伯爵令嬢は、ズボラな夫の生活習慣改善に取り組みます!

「ロズリン子爵家にはお前が嫁に行きなさい。レイリン」


 父親にそう言われた時には、それは驚きましたよ。私は思わず父に問いました。


「ロズリン子爵家が縁談を持ち掛けたのは、ミエリンの方ではありませんでしたか?」


 ミエリンは私の二つ下の妹です。数日前、ロズリン子爵家から「ハルジオン伯爵家のミエリンを当家次期当主の嫁に」とロズリン子爵家から縁談の打診があったのです。


 伯爵家の次女が子爵家の次期当主に嫁入りするのであれば悪くない縁談です。父は乗り気になり、使者を往復させて話を進めていたのは知っていました。


 それが今日になって突然の変更です。私が驚くのも当たり前と言えましょう。


「私が嫁に行ったら、我が家はどうするのですか?」


 私はこのハルジオン伯爵家の総領姫です。ですから、私は婿を迎えて伯爵家を継ぐ事になっていたのです。その私が嫁入りするということは……。


「もちろん、ミエリンに継がせる。婿を迎えてな。適材適所だ」


 ……またですか。私は嫌な気分になりました。


 この父は私を総領として厳しく育てる一方、二つ下の妹は猫可愛がり致しました。母が十年前に亡くなると、その傾向は強まり、妹は大した教育も受けずに遊び暮らしているのです。


 何かというとミエリンは贔屓され、私は我慢させられていたのです。それでも私は姉であり、長女であり、総領であるからと辛抱して参りました。


 それなのにこの期に及んで父は私ではなくミエリンに家を継がせる決定をしたようです。私は流石に腹を立てましたが、貴族の家では父親の決定は絶対です。


 私は内心の葛藤を抑えて父に頭を下げました。


「分かりました。仰せの通り、ロズリン子爵家にお嫁に参ります」


  ◇◇◇


 使者が両家の間を行き交って、とんとん拍子に話は決まりました。両家とも予算がないので婚約式は無しという事になり、私はいきなり嫁入りする事になりました。


 しかも父に命じられてから二ヶ月後にです。これは私の二十歳の誕生日が迫っていたからでした。二十歳過ぎての嫁入りは女の恥です。婿取りの場合は二十歳過ぎる事もよくあります(婿の場合、条件が揃った相手を見つけるのが難しいのです)のでこれまで私は年齢を気にした事はなかったのですが。


 お慌てで結婚式の準備をします。ドレスの仮縫いや嫁入り道具の準備だけでも大変な事で、そのせいで私は結婚式の当日まで結婚相手である次期ロズリン子爵に会う事が出来ませんでした。まぁ、貴族の結婚の場合、当日まで本人同士の顔合わせが無い事はそれほど珍しくありませんけど。


 忙しく嫁入りの準備をする私を見て、妹のミエリンはニコニコと笑っていました。


「大変ね。姉様」


 少しぽっちゃりとはしていますが。可憐な顔立ちの少女だと思います。赤み掛かったフワフワした金髪も可愛いですし。私は別に妹を嫌っているわけではございません。しかし……。


「ミエリン。寝巻きで出歩くのは止めなさいと何度言ったら分かるのですか?」


 私の言葉に妹はしまったというように舌を出しました。この妹は甘やかされたせいか非常にだらしがないのです。寝巻きで歩き、部屋は片付けず、髪も自分では梳かさないのです。


「そんな事で私がいなくなったらどうするのですか? マリアンに面倒掛けるのではありませんよ?」


 マリアンは我が家の唯一の侍女です。というのは実は、我がハルジオン伯爵家はかなり没落し掛かっているのでした。昔は巨大だったお屋敷は三分の一規模に縮小され、使用人は侍女一人、執事一人しかいません。


 こんな状況では私もお嬢様でございますとのんびりはしておられませんで、令嬢教育を受けるのと同時に、家事にも精を出しておりました。炊事洗濯掃除。時には庭木の剪定までやりましたよ。特にこの妹の部屋の掃除は私が全部やってあげていたのです。


「貴女も、少しは家事が出来るよう努力なさい。良いですね?」


「は〜い。分かりました〜」


 こんな妹が次期当主で我が家は本当に大丈夫なんでしょうかね? 心配ですが、今更嫁入りは取り消せません。


 ◇◇◇


 そうしてバタバタと私は嫁入りしました。


 ただ、結婚式は伯爵家の格式に合わせた壮麗なものでしたよ。ちょっとびっくりいたしました。どこにそんなお金があったのでしょう。私が着た純白のウェディングドレスもレースや刺繍が多用されたかなり立派なものでした。


 会場の神殿も上位貴族が使用する式場で、来賓の方々も親戚筋の侯爵や伯爵が並びました。流石は腐っても伯爵家、という感じでしたね。父がかなり見栄を張ったのでしょうかね。


 そしてここで私は夫になる、次期ロズリン子爵、クランゼ様と初めて顔を合わせたのでした。


 白い衣装に身を包んだクランゼ様は、背はそこそこ高く、細身で、薄茶色の髪をしていました。お顔立ちは整っており、優しい灰色の目をお持ちです。気になるのはお肌の色がすごく白い事でしたね。私より白いのではないでしょうか。


 特に強い印象を受けるご容姿ではありませんでしたが、所作は丁寧で、エスコートして下さる時の笑顔も優しく、悪い方ではなさそうだというのが第一印象でした。


 無事に神前での誓いを済ませて、私とクランゼ様は夫婦になりました。私はクランゼ様のご両親と、そして父にお礼を申し上げました。父は感慨深そうに微笑みながら言いました。


「うむ。死んだエイレミーが見たら喜んだだろうな。幸せになるのだぞ、レイリン」


 父の言葉には全く屈託がなく、約束されていた当主の座を追われたことに少しわだかまりがあった私は、ちょっと不思議に思いましたね。


 私はそのまま馬車五台からなる嫁入り行列を仕立ててロズリン子爵邸に入りました。


 ロズリン子爵邸は大きさこそ実家よりも小さいものの、瀟洒で手入れの行き届いた良いお屋敷でしたよ。義母のハレナス様が庭仕事がお好きだそうで、自ら手入れをなさっているとか。


 というか、子爵家なので当然なのかもしれませんが、ロズリン子爵邸には使用人が二人、侍女と執事が一人ずつしかおらず、子爵夫人のハレナス様も家事仕事に携わっているのです。これは当然、私も家事仕事の戦力として期待されているでしょうね。


 私は子爵邸に入り、恙無く初夜を済ませました。ちゃんと教育を受けていますからね。特に問題はありませんでしたよ。もちろん初めてでしたけど。


 さて、翌日から私の奥様生活が始まった訳ですけど、やはりというかなんというか、私はいきなり朝食のための炊事を頼まれましたよ。良かったですよミエリンがお嫁に来ないで。あの娘は炊事なんて出来ませんからね。


 その点、私なら貧乏伯爵家を支えた家事能力がございます。初めての台所に手こずりながらも、きちんとお料理を作り上げましたよ。幸い、ロズリン子爵家は子爵家にしては裕福だという事で、食材不足に苦労する事はありませんでした。その点は体面を気にしなければならなかった実家よりも恵まれていたくらいでしたね。


 ロズリン子爵ご夫妻もクランゼ様も喜んで下さって一安心でした。子爵とクランゼ様は王宮にお勤めでして、二人で馬車に乗って出勤して行かれます。私とハレナス様は侍女や執事と共に家事仕事です。ただ、子爵家には国王陛下からお預かりしている領地もありまして、ハレナス様はそちらの面倒も見なければなりません。たまにはお茶会などの社交もあるということで、家事ばかりしている訳でもないようです。


 私は伯爵家を継ぐつもりでしたから、領地経営の教育も受けております。そうハレナス様にお伝えすると、お義母様は随分喜ばれました。お義母様は男爵の娘だそうで、領地経営の教育など受けておらず、試行錯誤しながら結婚以来やってきたそうです。私が帳簿を見ながらいくつか誤りを指摘すると感動の面持ちになりました。


「貴女がお嫁に来てくれて良かったわ!」


 喜んで頂けたなら良かったです。ちなみにハレナス様は家事については素晴らしい手際をお持ちでして、こちらは私が教わりましたよ。こうして義母との関係は、お互い助け合う関係になり、上手く行くようになりました。


 ロズリン子爵もクランゼ様も王宮の財務省の官僚としてお勤めで、有能で財務大臣の侯爵閣下にも頼りにされる存在なのだそうです。クランゼ様は秀才として特に期待されているのだと聞きました。


「でもねぇ、クランゼはちょっと身だしなみがね……」


 お義母様はクランゼ様について、優秀さを自慢すると共にそう嘆かれます。


 どういう事なのかというと、クランゼ様は、その、ちょっとだらしのない所があるのです。


 結婚してすぐに知ることになったのですが、クランゼ様はズボラで、身だしなみに全然気を遣わない男性だったのです。それは、女性に比べれば男性は身なりに無頓着な方が多いのだろうとは思いますけども、クランゼ様のそれは度を超えていました。


 なにしろお風呂が嫌いで全然入らないのです。子爵家には水道が引かれていて、それなりに裕福ですから薪も十分にあって、毎日でもお風呂に入ることが出来るにも関わらず(実際私は入っています)、クランゼ様はお風呂に入ろうとしないのですよ!


 そして髪は整えず、髭も剃らないのです。結婚式の数日後には、クランゼ様の姿は王都の路地裏の浮浪者のようになってしまいました。なんとしたことでしょう。


 どうやら結婚式の日の装いは、お義母様と侍女のルミア。執事のゴードンが無理やり捕まえて綺麗に整えた結果だったようです。


 そして、服にも気を遣いません。放っておくと毎日同じシャツの袖に腕を通すのです。上着もタイも同じ。お風呂にも入らないのですから下着だって替えません。


 これには参りました。不潔ですし汚いですし臭いです。私は怒って「お風呂に入らない方とは一緒になんて寝られません!」と寝室を別にしてしまいましたが、クランゼ様は別に平気な顔をしています。まぁ、それは私たちは親が言うなりに結婚したので、愛し合っているわけではありませんから、ベッドを共にしなくてもなんという事もないのでしょうけど。


 どうもその状態で平気で出勤して行かれるせいで、クランゼ様の評判はその功績ほどは芳しく無いようです。おまけに不潔な上に休みの日にも自室に閉じ籠っているからか、病弱で良く熱を出す有様だそうですね。


 お義父様もお義母様も、ルミアもゴードンもクランゼ様を心配しているのですが、本人は「構わないでくれ」と言って生活を改めようとしないそうです。なまじ秀才なだけに、教育も仕事も優秀な成績を収めてしまうため、強く文句も言い難い上に、ロズリン子爵家にとっては唯一のお子で、過保護に育てられたという事情もあったようですね。


 しかしこれは困りました。私はクランゼ様の妻。妻の役割の第一は、夫の子供を産む事です。そのためにはまず閨を共にしなければなりません。それなのに、あんな不潔な夫とではとてもではないけどそんな気にはなりません。しかし、子供が産めなければ私は嫁失格ですし、ロズリン子爵家は断絶してしまいます。


 私は断然決意しました。夫の生活習慣を改善してみせると誓ったのです。


  ◇◇◇


 ある日、帰宅なさったクランゼ様を待ち受けた私は、彼の前に仁王立ちして叫びました。


「お風呂の用意をしてあります! 今すぐお風呂に入りましょう!」


 何事かと目を丸くしたクランゼ様でしたが、意味を理解すると眉を顰めました。


「後で良い。まずは食事だろう」


 私はすり抜けようとするクランゼ様をガッツリとひっ捕まえました。


「ダメです! お風呂に入らない限り食堂には入れませんよ!」


 クランゼ様も嫌そうなお顔で抵抗いたしましたが、私はガンとして譲らず、結局クランゼ様は渋々お風呂に連行されました。


 お風呂場に着くと私はクランゼ様の服を脱がせ、ついでに私もドレスを脱いで下着姿になります。クランゼ様が顔を赤くして叫びました。


「な! なんという格好をしているのだ!」


「何をおっしゃるのです。私の裸はとっくにご覧になったでしょう。さ、お風呂にお入りください。髪も整えてお髭も剃りますからね!」


 私は下着姿のままクランゼ様をお風呂に入れて、石鹸を泡立てタオルでもって彼の背中をゴシゴシこすりました。クランゼ様は居心地が悪そうにしています。


「レイリン、自分で出来る」


「ご遠慮なさらずに。人に洗ってもらうのもなかなか気持ちがよいものでございましょう?」


 私は実家ではマリアンに世話してもらっていましたから分かります。私は夫の身体を隅々まで(前も)洗い、髪を整え、お髭も剃ってあげました。この辺は妹の髪を整えてあげた経験が生きましたね。あの妹もかなり身だしなみに無頓着でしたから。


 さっぱりしたクランゼ様をタオルでゴシゴシと拭きながら私は言いました。


「どうですか? 気持ち良かったでしょう?」


「……ああ」


「お風呂っていうのは入る時は面倒だと思うでしょうけど、入ってみると誰でも気持ち良かったと満足するものなんですよ」


 私はウンウンと頷きました。ちなみに、すでにベッドのシーツも洗って布団も枕も干してあります。この日は久しぶりに私たちは一緒のベッドで寝ましたよ。


 それからというもの、私は毎日玄関でクランゼ様をとっ捕まえてお風呂に連行いたしました。クランゼ様は毎日物凄く嫌そうなお顔をなさいましたけど、私は容赦致しませんでした。もちろん、毎日お風呂の世話もして差し上げましたよ。


 その内面倒になって私もこの時に一緒にお風呂に入ってしまうようになりました。相手は夫ですからね。別に恥ずかしい事はありません。どうせこの後またお互いの裸を見るのですしね。


 そうして毎日毎日入っていればお風呂は習慣になります。そうすると、逆に入らないと気持ちが悪い感じになってくるのです。髪やお髭もそうです。常に整ってると、少しでも伸びると違和感が出てしまうものなのですよ。


 クランゼ様も段々とそうなってきたようでした。お風呂に連行されるのを嫌がらなくなり、暑い日などはむしろ進んで私の手を引いてお風呂に向かうようになりました。大成功です。


 ただ、どうにも私と一緒でなければお風呂に入る気がしないようでして、そっちまで習慣化してしまったのは少し困ったものでしたけどね。


 同時に、私はクランゼ様のお洋服の改革にも乗り出しました。


 まず、クランゼ様の既存のお洋服は全部捨てました。といってもそもそも数があんまり無かったのですけどね。クランゼ様はあれで服装にこだわりがあって、気に入った服しか着たがらない事が、同じ服ばかりを着る事に繋がったようでした。


 私はそして仕立て屋を呼んで、クランゼ様のご意見を聞きながら服を仕立てました。その際に、シャツとタイとズボン、上着を組み合わせれば色んな着こなしが出来るように気を配って服を作りましたよ。クランゼ様は気に入った服しか着ないのですから、その中で着回しが出来る事が重要なのです。


 特にシャツは、クランゼ様は生成りのシャツがお好きだという事が分かったので、全く同じシャツを何枚も仕立てました。これはクランゼ様に毎回同じシャツを着せないためです。同じものがないと彼は昨日と同じシャツを着たがるからです。シャツは清潔感が一番出る部分ですからね。毎日取り替えなければ不潔感が出てしまいます。もちろん、洗濯は私が頑張りましたよ。


 こうして、クランゼ様は見違えるほど清潔に、こざっぱりとしましたよ。元々ご容姿は悪くないのですもの。清潔な状態でビシッとした服を着たクランゼ様は、それはもう凛々しい貴公子でしたよ。おかげで職場である財務省でも「結婚したら変わったな」と非常に好感を持たれたそうで、元々仕事内容には定評があったクランゼ様ですから、人事評価もどんどん上がって、すぐにも出世しそうな雲行きだそうです。


 そもそもロズリン子爵家はお義父様が財務官僚として大臣の侯爵閣下からご信頼を受けていて、更にクランゼ様も着々と功績を残されていますから、このまま行けば遠からず爵位が上がって伯爵になるのではないかと言われているそうです。知りませんでしたが、爵位が上がるとすればそれは滅多にない、凄い事です。


 しかしながら、クランゼ様に関してはもう一つ気掛かりな事が残されていました。そうです。彼の病弱さです。なにしろ彼は食が細くて痩せてますし、庭仕事をする事もある私よりも肌が白いのです。


 これらの原因は明らかに外に出ない事によるのでしょう。クランゼ様はご幼少の頃からお家の中での遊びを好み、長じてからはお休みの時はもっぱらお部屋の中で読書をするかお昼寝をしてお過ごしだそうです。お仕事に行くにも馬車ですし、官僚としてのお仕事もほとんど座り仕事。歩くことすら稀だそうです。


 これではどう考えても健康を損ねます。少しは運動をして、しっかりお食事を摂らないと体力が付きません。体力がないと些細な病気が命取りになってしまうかもしれません。


 私はクランゼ様に運動させる事を決意しました。


 まず、お散歩から始めようと、私はクランゼ様がお休みの日に、彼を庭園でのお散歩に誘いました。しかしながらその嫌がりぶりは入浴の時以上でしたね。彼はハッキリと「嫌だ。歩きたくない」と言って、私がどんなに勧めても引っ張っても全く動こうとしませんでしたね。


 これは無理やり勧めてもダメですね。私は考え込んでしまいます。彼に外に出て頂くには、何らかの目的が必要でしょう。クランゼ様がお外に出たくなるような何かを考えねばなりません。


 私はお義母様に相談致しました。お義母様も難しい顔で考え込んでしまいましたね。とにかく子供の頃からの筋金入りのインドア派だったそうですから。


「ただ、そういえば……」


 子供の頃に、本当に一時期だけ、犬に興味を持った事がおありだったそうです。犬の散歩をする方を見るのが好きで、お屋敷の前の通りを散歩する犬を見たがってお義母様と一緒に門の前まで行っていたそうですね。


 これに賭けるしか無さそうです。私は伝手を辿って子犬を一匹手に入れました。猟犬の一種だそうです。


 私はその茶色い犬を何食わぬ顔をしてクランゼ様にお見せしました。


 効果は劇的でしたよ。彼は灰色の目を見開いて子犬に釘付けになりました。どうやらかなり犬がお好きで、昔から飼いたいと思っていたようですね。しかし犬を飼うにも手間が掛かります。ご両親がお忙しいのを知っていたクランゼ様は言い出せずに来てしまったようなのです。


 ですから、不意に訪れた子犬にクランゼ様はそれは喜びました。お仕事から帰ってくるとまずは子犬の顔を見に行くという有様で、手ずから餌を食べさせてはニコニコと笑っていらっしゃいました。


 私の思う壺です。


「犬は散歩が必要なのはご存知ですよね?」


 という私の言葉に、クランゼ様はかなり悩んでいらっしゃいましたが、結局子犬の可愛さには勝てず、かなり渋々とですがお庭を散歩するようになりました。


 犬もまだまだ子犬ですから、元気に出発してもすぐに疲れてしまいます。それで良いのです。なぜならクランゼ様も同じくらい体力がありませんから。二人して広くも無い庭園を一周してヘトヘトになる様は、情けないんだか微笑ましいんだか微妙なラインでしたね。


 しかし、犬は育ちますし、クランゼ様も毎日歩いていれば体力も付きますからね。一年も経てば犬は縦横無尽に走り回れるようになり、クランゼ様もそれに付いて行けるようになりましたよ。


 動けばお腹も空きますから、クランゼ様のお食事の量は明らかに増えました。生白かったお肌も血色が良くなり、見るからに健康そうになりました、実際、それまではすぐに熱を出していたそうですのに、私が嫁入りしてからはすっかりそのような事はなくなりましたよ。


 そんなわけで、私のクランゼ様生活習慣改善大作戦は見事な成功を収めたのでした。私は大満足でしたが、それ以上にお義父様お義母様がそれはもうお喜びになりましたね。なにせ長年悩んできた嫡男の不潔で不健康な生活を私が嫁に来るなり改めさせてしまったのですから。


 お義父様もお義母様も私の手を取って「よくぞ貴女が家に嫁に来てくださった! 我が家にとってこれ以上の幸運がまたとあろうか!」と大袈裟に喜んで下さいましたよ。


 そもそも、義両親はまさか伯爵家の長女が嫁に来てくれるとは思っていなかったそうです。それだけでもロズリン子爵家としてはお家の格が上がる出来事だったそうで、しかもその嫁が有能かつ誠実で夫に尽くす素晴らしい嫁だった。それはもうロズリン子爵家にとっては願ってもない幸運。私のお父様に感謝しなければ! と泣いて喜んだわけです。


 そしてクランゼ様本人も、事ある毎に私を抱きしめては「君が来てくれて本当に良かった。君がいなければ今頃私は生きていなかったろうな」とこれも大袈裟に感謝して下さいましたよ。私だって手塩にかけた夫ですもの。もちろん夫の事をしっかり愛するようになりましたよ。


 おかげさまで義両親との関係は非常に良好ですし、夫とはしっかりとした愛情で結び付く事も出来ました。身代わりで嫁に行かされたとは思えないような、幸せな結婚生活を送る事が出来ています。嫁入りが決まった時にはこんな風になるなんて考えてもいませんでした。これはある意味、ミエリンとお父様に感謝しなければいけないのかもしれませんね……。


  ◇◇◇


 結婚後一年程して、私は用があったので実家に里帰りをいたしました。


 ……私は驚きました。すっかりお屋敷が荒れ果てていたからです。何ですかこれは?


 侍女のマリアン曰く、彼女一人ではとても手が回らなかったそうです。どうやら、私が嫁入りした後に、新たな侍女を入れなかったようですね。なんでまた。手が足りなくなるのは分かっていたでしょうに。


 ミエリンは相変わらず自堕落に暮らしていまして、私が片付けないから、部屋がゴミ溜めみたいになっていましたね。


 私はお父様の所に行ってこの有様の理由を問いました。お父様が肩をすくめます。


「お前の結婚式に金を出し過ぎたからな。借金も増えた。侍女などとても雇えんよ。仕方がない」


 随分立派なお式だと思ったら。借金までしたのですか? なんでそこまでして、あんな豪華な結婚式を? 私は目を瞬いてしまいます。


「しょぼい式など挙げさせたら、みくびられてお前が大事にされないかも知れんからな」


 まぁ、あのお義父様とお義母様、そしてクランゼ様ならそれは無かったと思いますけども。しかしなんで? 次期当主の座を追って格下のお家に嫁に出した娘にそこまで気を使ったのでしょうか。


「ロズリン子爵家は有望な家だ。あそこに嫁に出すならお前でなければダメだった。ミエリンではお荷物になるだけだからな」


 近いうちに伯爵になると言われる有望なロズリン子爵家に恩を売るためには、家の役に立つ娘でなければいけなかったのだとお父様は仰いました。


「一方、こんな没落してどうにもならん家を継ぐのなど誰でも良い。ミエリンにも十分務まる」


 ……自分が当主の癖に、家の事を悪様に言うのはどうかと思いますが、実際確かにハルジオン伯爵家の再興はこのままでは難しいと思います。


「つまり、適材適所だ。上手く行っただろう?」


 お父様はニヤリと笑いました。確かに、私はロズリン子爵家で幸せになりました。お義父様もクランゼ様も私を可愛がって下さり、お父様に感謝せねばという話になっていますから、この先お家が伯爵になり、大きな領地を授かり更に裕福になるような事があれば、恩返しにハルジオン伯爵家に援助する、という話になるかもしれません。


 どうやら最初からそれが狙いだったようです。してみると、どうもクランゼ様が生活習慣に問題を抱えていたこともお父様は知っていたのでしょう。それならミエリンを嫁がせる訳がありませんね。妹が嫁に行ったらクランゼ様と二人でゴミの中で暮らす事になってしまったでしょうよ。


 しかしそれにしても……。私は呆れてお父様に言いました。


「それならそうと最初から言って下されば良かったのに。私がお父様を恨んで、ハルジオン伯爵家を見捨てたらどうするつもりだったのですか?」


 すると、お父様はニンマリ笑ってこう嘯いたものです。


「お前がそんな薄情な娘ではないと、私が一番よく知っておるよ。可愛いレイリン」

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身代わり結婚を強いられた伯爵令嬢は、ズボラな夫の生活習慣改善に取り組みます! 宮前葵 @AOIKEN

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