七十五話『会いたく無かった』

「それで、薫の方はネージュさんについて何か分かったのかい?」


「今まで服に興味を示さなかったネージュさんですが、今日は試着に積極的でした。つまりは自分をよく見せたい人が居るということ。ほぼ間違いなく、ネージュさんは灰月君のことを意識しているはずです」


「なるほど。こっちは変わった様子は見られなかったんだよね。仁は状況によってハッキリ分けるタイプだから、そういう様子を見せてくれないだけかもしれないけど」


「しかし、灰月君だって意識してるはずです。でなくては、手を握って歩いたりなど……いえ、灰月君でしたね」


「あの無自覚系人たらしがやらない訳ないだろ」


 前を歩く仁とネージュを見ながら、少し離れた所を付いていく薫と英士。今まで得られた情報を合わせても、ネージュが仁を好きだという推理が得られるだけで、お互いがどんな関係なのかは全く分からない。


「普通なら二人きりの生活ですから、すでにやることをやっていると見るべきなのでしょうが……」


「無いね。ネージュさんが誘っていたのだとしても、あの生真面目堅物灰月仁が乗るとは考えられない」


 筋金の入った仁の真面目さは二人も良く知っている。既成事実があるのなら、今頃さっさと自分からかごの中に収まっているだろう。


「結局、新しいことは何も分かりませんでしたね」


「そうかい? 多分だけど、ネージュさんが仁を好きなのは間違いないから、仁の意識さえ変われば一気に関係は進むんじゃないかな?」


「現状、私たちに出来ることはあまりなさそうですか……はぁ、着いたらあの話をしなければ……気が重たいです」


「……そうだね」


「おーい、二人とも!」


 薫と英士を呼ぶ仁の目の前にたたずむのは、ツタの生えたビルの下の喫茶店『カサネ』。相変わらず、隠れ家的な雰囲気で初めて入るには勇気のいる場所である。


「なぁ、ネージュ。ここ、本当にカフェなのか? ……てか、喫茶店って書かれてるから、カフェでは無いだろ」


「大丈夫、私も初めて来たときは薫に同じことを聞いたから」


「大丈夫……なのか?」


 謎理論で仁を言いくるめるネージュ。相変わらず、女性全般(特にネージュ)に弱い仁なのであった。


「ネージュさんの言う通りですよ。確かにハードルは少し高いかもしれませんが」


「カフェって……この見た目でフルーツパフェが出てきたりするのか?」


「いえ、あるのはカレーにトースト、コーヒゼリーくらいですが……」


「カフェじゃないじゃん! どう見たって、硬派で味にこだわりを持った五十代のマスターが常連相手にひっそり営業してる喫茶店じゃん! むしろ、薫はなんでここを見つけて入ろうと思った!」


 学園区画といえど、人通りのない裏路地。不良たちすら入ってこない場所にある喫茶店に迷い込むなど偶然だとは仁も思えなかった。

 いや、時々、お嬢様らしからぬエキセントリックな行動にはしる薫なので偶然たどり着いた可能性も捨てきれないのだけれど。


「……えーっと、この喫茶店はある異端審問官の方が営んでおりまして」


「なるほど。引退後に趣味でやってる喫茶店なのか」


「いえ、その方はまだ二十代でお若いですし、引退もされていないのですが……紹介する前に私としてはネージュさんに謝らなくてはならないことがあって……」


「——私?」


 不意に呼ばれて驚くネージュ。なぜ薫が自分に謝ろうとしているのか、記憶の中を探り、初めてここに来た時のことを思い出して納得する。

 あの時、薫は確かに言ったのだ。「実はですね、ここの喫茶店は父の知り合いが経営してまして。私は開店当時からの常連客なのです」、と。そして、薫の父は極東支部の支部長。ならば、ここのマスターは高位の異端審問官である、とネージュは結論づけた。


「薫、ここのマスターは上級異端審問官……いえ、あの時の私の立場を考えれば、ここにいる天城さんは使徒クラスの実力者でしょう?」


「……ええ。私たちはあの時、ネージュさんがここでボロを出せば、その場で殺すつもりでしたから」


 頭を下げる薫と英士を前に、表情を変えないネージュ。これは三人の問題で、当事者の一人とは言え、仁は口を挟めない。


「二人とも、謝ったりしないで。あなた達は異端審問官として仕事をしただけ。何も悪いことなんてしてないんだから」


「……仕事をした、と言うのはそうです。でも、私はここにネージュさんを呼び出すために友情を利用しました……それは、正しいことを成すためだったとしても信頼に背く行いです」


 ネージュの言う通り、薫の行いはただ仕事をするために最善手を取っただけ。部外者から見れば、褒められたことではないが許されざる行いという訳でもない。が、薫本人にとっては違う。


「……本音を言えば、私、少し悲しかった。でも、それでも私は二人の友達でいたいって思うから。だから、二人を許すわ」


 凛とした声でネージュはそう宣言する。暗い出来事をきれいさっぱり断ち切るように。


「そろそろ入ろう。俺寒くなってきたからさ」


「そうだね。仁の言う通りだ」


「ネージュさん、何を頼みますか?」


「コーヒーだけで良いわ」


 四人はいつもと変わらない様子で喫茶店の入り口をくぐるのだった。


▲▼▲


 がらんとした店内。空席が多く、お世辞にも繁盛しているとは言えない。が、今日は珍しくボックス席に座る影が一組。


「お二人とも、注文が決まりましたか」


「私はコーヒーとコーヒーゼリーを一つずつ。頼光はどうする」


「そうですな。では私はカツカレーとコーヒーをいただきましょう」


 裏通りの小さな喫茶店に使徒が三人。しかも、実力を考えれば異端審問所の一、二、三がそろい踏みの異様な光景。欧州の首脳会議でもここまでの大戦力が集まった例は無い。

 なお、三人が囲んでいるのは小難しい会議の資料ではなく、手書きのメニュー表であるが。しかも、平均年齢千歳の集まり……なんともシュールだ。


 その時、入り口の扉が開き、四人の少年少女が入店する。天城にとっては見知った顔ぶれだ。


「こんにちは。席空いてますか? コーヒー四人分お願いします。」


「薫、わざと言ってるだろ、全く。いつも通りガラガラだよ……四人分?」


 怪訝そうな顔をして、伝票から顔を上げた天城。薫と一緒に来た三人の内二人はすぐに分かった、英士とネージュだ。だが、もう一人は? いや、本当はすぐにその可能性に思い至った。すぐに言葉にできなかったのは天城自身が信じたくなかっただけ、こんな形で会いたくなかっただけだ。


「薫に英士にネージュちゃん……と、灰月仁か」


「初めまして」


「……俺は他三人から話を聞いてるから、初めてって感じはしないがな」


 仁の纏う黒いコートを睨む天城。鮮やかなオレンジの瞳は、一点の曇りもなくコートに向けられている。彼の眼に渦巻く感情がどのようなものかはわからない。形容できるほど単純なモノでないことは確かだが。


「何か気になることが? 俺とどこかで会ったことがあるとか」


「いいや。黒いコートの異端審問官は珍しいと思ってな。初対面なのにジロジロ見て悪かった」


 仁の視線は天城から離れない。ハッキリとは思い出せないが、彼とはどこかで会った気がした。


「四人で来てくれたところ悪いんだが、今日は珍しく別の客が居てな」


 四人が天城を指さす方に目を向けると、そこにはモルテと頼光がいた。モルテの手招きに応じて、すぐ近くのカウンターに腰かける四人。


「全員、コーヒーだけだな。少し待っててくれ、すぐれるから」


 そう言って、天城はカウンターの向こう側で珍しい形の器具を操作し始める。歳若いが、喫茶店のマスターとしての風格はあるようだ。


「せっかくの休日に悪いな」


「モルテさんも頼光さんも、よくこの喫茶店に来るんですか? 俺は今日が初めてなんですけど」


「何度も訪れたさ。私のオススメはコーヒーゼリーだ。程よい苦みとミルクのコクが美味いぞ」


「なるほど、後で頼んでみます」


 修行を怠っていないか、頼光から説教を受ける薫と英士の横で、仁とモルテは会話を続ける。第一印象は悪かったが、甲府での一件を経て、上司と部下らしい関係になってきた。意外と、気が合うことの多い二人だった。


「ところで、ネージュ。暴走から一か月が経とうとしている訳だが、上位存在に意識が乗っ取られそうになる兆候は見受けられない、そうだな?」


「……はい。頭痛も無いので大丈夫だと思います」


「なら良い。ところで二人とも、大きなニュースはいつ聞きたい派だ?」


「大きなニュース……それは私の試験について……」


「話が早くて助かる」


 その瞬間、空気が変わった。張り詰めた雰囲気の中、沸騰する熱湯の音だけが鼓膜を震わせる。


「本来なら、明日にでも支部に呼び出そうと思ったのだが丁度いい。で、どうする。今聞くか、明日聞くか。好きな方を選べ」


 ネージュは迷わない。決断は一瞬だった。


「今お願いします」


「そう来なくては。流石……ともかく、試験の内容は簡単だ。一週間後、そこの天城君とネージュ、仁、英士、薫の四人で戦って一撃でも入れられれば合格だ。四人ともが戦闘不能になれば不合格とする」


 簡単そうに聞こえる試験内容に不思議そうな顔をするネージュと仁。が、薫と英士、何より頼光が顔を引きつらせている。


「モルテ、あなたは本当に合格させるつもりがあるのですかな? 試験としてはあまりにも難しすぎるのでは?」


「本部の反対意見を全てねじ伏せるためにはこの位の試練は超えてもらわなくてはならないのだ。イノケンティウスは私がどうにか説き伏せるが、頭のお堅い枢機卿の皆を黙らせるにはな」


「だとしても、限度と言うものがあるでしょう。教え子に無理難題を課すとは貴方らしくない」


「私には私の事情がある。口は出さないでもらおう」


 いつもとは違う気配を纏って応じるモルテ。彼の口調からはただならない真剣さのようなものを感じる。これほどまでに真剣なモルテは頼光ですら数えるほどしか見たことがない。


「貴方にも何か考えがある。そういう認識でよろしいですな」


「無論だ」


 話についていけない四人の前に、人数分のコーヒーが配られる。が、香ばしいコーヒーの匂いを楽しめるほどの余裕が今の四人には無い。そして、とどめでも刺すかのように天城は口を開く。


「話もまとまったようだし、ネージュちゃんと仁に改めて自己紹介をさせてもらおう。ここ『喫茶 カサネ』のマスター兼使徒九位……人呼んで最強の異端審問官、『天城あまぎほむら』だ」


 そう言って天城……いや、焔は名乗りを上げたのだった。

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