四十八話『好々剣鬼』

 仁に声を掛けたのは、五十代半ばの初老の男。ロマンスグレーの髪と黒の瞳を持つ、極東ではよく見られる容姿。顔立ちは穏やかながらも、これまでの人生が過酷なものであったことを感じさせる。


「そこの少年、急いでいないなら、少しこの爺との雑談に付き合ってはくれまいか?」


 蓄えた髭を撫でながら語る男からあふれ出る存在感に押されて、仁は屋根から降りると、広々とした庭に着地する。

 そこには手入れの行き届いた松や梅が植えられ、いくつかの剣術用の人形が置かれていた。


「まず、すみません。勝手に屋根の上を走ってしまって……俺は『灰月仁』って言います」


「はっはっは、構いませんとも。この家に偶然とはいえ、君のような若人が訪ねてくるのは珍しい。貴重なお客人は歓迎しませんとな」


 流れるような動作で、縁側に座る男。隣を叩く彼に呼ばれて、仁もまた縁側に腰かける。

 男が身にまとうのは深緑の和服。が、近づくとゆとりのある服装ごしでも分かるほど鍛えられた体つきだ。袖から覗く手首だけでも、いくつもの傷跡が見える。


「すごいですね。こんなの俺も初めて見ました。えっと、あなたは……」


「自己紹介がまだでしたな。私は『源頼光みなもとのよりみつ』、一介の異端審問官です」


 それを聞いた仁は少しの間、考えるのをやめた。どう考えても、目の前の男、頼光の自称には無理があったから。


「あの頼光、『極東の英雄』!」


 千年前、人と鬼人が争っていた戦乱の時代。それを人と鬼、両方の血を引く若武者と共に戦い、不老の呪いを受ける代わりに、平和と融和を成した男、それが『源頼光』。

 海を渡った後の冒険譚も含め、今も時代劇から絵本まで幅広い創作において、絶大な人気を誇る国民的存在だ。極東における『正義の味方』の代名詞とは彼のことである。


「私はそんな大層な者ではありません。ただ、どれだけ時代が過ぎても、侍であることを捨てられなかった、ただの老兵です」


 自嘲的にも聞こえる言葉、しかし声には確かな信念がある。たったそれだけで、頼光が『老いぼれ死にぞこない』ではなく、『老兵生き残り』であると理解するには十分だ。


「あの、失礼かもしれませんけど……漫画とかの頼光さんと顔、あんまり似てないですね」


「ええ、それは私も常々思う所です。ただ、私の顔はあまり華がない。仕方がないことでしょう」


 創作上の頼光は黒髪フサフサのとても老人には見えない美男子として描かれる。仁が見ても分からないのは無理もない話だ。


「そうだ、灰月少年。君はモルテに手刀を落とされたとか。古い友人として、彼の行いを謝罪します」


 そう言って、頭を下げる頼光に面食らう仁。大英雄がこんな子供に頭を下げる、驚かない方が無茶というものだ。


「そんな、やめてください! あの時は、モルテさんの言っていたことの方が合理的で、それでも俺がガキみたいに騒いでいたからで……とにかく、頭を上げてください!」


 ゆっくりと頭を上げる頼光。今までの厳かな雰囲気は彼が顔を見せると同時に霧散、元の穏やかな好々爺が帰ってくる。


「頼光さんとモルテさんはご友人なんですよね。いつ出会ったんですか?」


「おや、老人の昔話に興味がありますかな? 彼とは七百年ほど前、欧州の片田舎で出会ったのです。その時、彼は村の教会で神父をしていましてね。私が宿を借りた夜、一人の騎士が転がり込んできたのです。そして、気付けば三人で旧異端審問所を打ち倒し、現在の異端審問所を設立することになってしまって。今では私には勿体ない『使徒』の称号を戴いています」


「すげぇ、そんな人と俺、直接話せてる……」


 言葉を交わすほどに分かる、行ける伝説の凄まじさ。歴史書に記されている内容であっても、本人の口から語られるソレの厚みは段違いだ。

 仁は、真っ白なものを持っていないのを後悔した。あればサインの一つでも貰えるのだが。


「折角、来てくれたのです。何か土産でも渡せると良いが……はて、何かあっただろうか」


「いえ、大丈夫です。こんなすごい人とお話できただけでも光栄ですから」


「そうだ、記念にこれまで私が使った武器を一振りあげよう」


「マジですか!」


 謙虚な態度を貫こうとした仁だが、とんでもない速さでボロが出る。武器のこととなると好奇心が抑えられない。魔道具職人魂が暴れだすのだ。


 頼光に連れられやってきたのは、庭の中にある蔵。大きいが、風通しは良く、武器を保管するには適切な環境である。中には沢山の武器が並べられ、その一つ一つが星の光を受けて青白く輝いていた。


「これ全部、頼光さんの武器ですか?」


「いいや、ここにあるほとんどは、工房から試し切りを依頼されたものですよ。武器としての能力を図るのも私の重要な仕事でして」


 仁は壁に掛かる武器を眺めて、ある一振りに目が留まる。それは刀の刃を持つチェーンソー、灰月仁の作り上げた魔道具だ。


「すみません、代わりにアレをいただけませんか」


「おや、気になりますか。あれは良い武器でした。工房から試し斬りに、と預けられたものですから差し上げましょう。いえ、確か製作者は新門第二高等学校の生徒でしたか……ええ、お返ししましょう」


 持ち手を握る。取り付けられたトリガーを引くと、ブゥゥゥウウッ、と声を上げて、刃が回転する。仁の三か月分の生活費を使って製作した魔素貯蔵管エーテルシリンダであっても、連続稼働は五十秒が限界。だが、五十秒間はコンクリートの壁も、鋼鉄製の金庫も斬り裂く、神すら殺せる傑作だ。


「ところで、灰月少年。試したくはないか? 君の作品、その性能を。今なら私がお相手しよう」


 蔵の中に身を削られるような剣気が充満する。今まで気が付かなかった、否、抑えられていた戦場の気配が広がる。

 穏やかな好々爺の中から、千年間、戦場の只中を駆け続ける一匹の剣鬼がその恐ろしい顔をのぞかせた。


「…………ッ!」


 息を吸うと冷たく軽い、されど体の内側にまとわりつき、ゆっくりと臓腑を撫でまわす気配に気圧される仁。鼓動さえも、心臓を掴まれ、無理やり血を絞られているような、自分以外の誰かに支配されているのではないか、と感じるほどに冷静ではいられない。

 だが、それでも仁は吐きだすように応答する。


「お願い、しますッ!」


「その気意や良し!」


 頼光はすぐ傍に置かれていた木刀を振るう。それは神木から削り出された由緒正しき伝説の武器? いいや違う、土産屋の店先に投げ売られる、ただの木の棒としか言いようのない、特別でも何でもない木刀だ。


 振るわれた棒きれが風を纏い、音もなく仁に迫る。チェーンソーで咄嗟に攻撃を受けるが、止めることはできず、吹っ飛ばされた仁は、転がりながら蔵の外へと飛び出した。


(なんだ、今の。力が強い……だけじゃない。むしろ、力だけならユウの方が上。でも耐えられなかった)


 仁は立ち上がると体勢を整える。上手く転がったので、少し体は痛むが、戦闘に支障はない。一撃で戦闘不能なんて事態は避けられた。


(でも、アレはただの攻撃。奥義でも何でもない)


 頼光はゆっくりと暗がりの中から姿を現す。呼吸のタイミング、歩法、武器を握る手、その全てが仁と目の前の剣鬼との圧倒的な差を見せつける。

 そして、これこそが仁の疑問の答え。技術の差だ。


「良い直感センスだ。多くの者は攻撃を受け止めようとして腕が砕けるが、貴様は本能的に逃げを選択した。斬り合いの中で逃げの一手を打てる者は少ない、これからもその才、努々ゆめゆめ失くすな」


「はい! ——獣装ビーストシフト!」


 仁は走る。その速度は魔術によって身体を強化した異端審問官の速力、約時速六十キロメートルの三倍。常人では視界に入れることすら叶わない、圧倒的スピード。そこに立体的な機動を合わせれば、鬼人すら追えない。


(このまま死角に回り込んでから攻撃を……)


 庭の木々を足場に縦横無尽に駆けて、攻撃できる隙を探す仁。もちろん、対応されるだろうが、ここは仁が攻め続け、相手に攻勢に転じる余裕を封じなくてはならない。恐らく、仁は頼光の攻撃を三発は受けられない。そして、あの剣鬼ならば瞬きの間に三回攻撃するくらい造作もない。


(な、隙が無いッ!)


 仁の考えは正確ではない。隙自体は存在しているのだ、だが、それはすぐさま消え、代わりに別の隙ができる、その繰り返し。間違いなく罠だ。


「いつまで飛び回っておるつもりだ?」


(消えた⁉)


 視界から一瞬、頼光が消える。気が付けば、離れた場所に出現、まるで幻術にでも掛けられているようだが。


(それは絶対に無い。なんだ、どうなってる)


「見るだけで捉えられるほど、侍は甘くはない」


「な……」


 突然現れた頼光。仁の対応は間に合わない。出来たことは舌を噛み切らないように歯を食いしばる位だ。

 すぐさま襲い来る衝撃、仁は地面に叩きつけられ、遅れて痛みがやってくる。幸いなのは、木刀ではなく裏拳での一撃だったこと。


「……手、加減です、か?」


「これは殺し合いではない、修練だ。私の動きを見て、考え、学べ。それをするまで気絶してもらっては困る」


「なる、ほど……」


 全身が痛むが、関節へのダメージは殆どない。物理的には動けるように配慮はされているらしい。もちろん、痛みによる精神的な負荷はあるが、それで仁は止められない。

 立ち上がり、チェーンソーを構える。相手との実力差が圧倒的ならば、思考を回す、一か月間の戦いで仁が学んだことだ。


(そうだ、落ち着け。どれだけ使い手が化け物染みた達人でも、あの木刀はただの棒きれだ。チェーンソーに巻き込めば簡単に壊せるはず。なんとかして鍔迫り合いに持っていく)


 仁が頼光に勝るモノは身体能力と武器の性能。相手の土俵で勝負せず、自分の得意に敵を引き込む!


(——っても、急に動きが読めたりは、痛ッ!)


 襲い掛かる木刀、消える頼光。このカラクリを仁は理解できない。

 瞬間移動は簡単に言ってしまえば、心理誘導と移動技術の合わせ技だ。細かな動きで対象の先入観を生み出すことで注意の穴を作り、その穴に無駄のない動きで滑り込む。

 もちろん仁は知る由もない、分かったとしても対応できる者は異端審問官でも限られる。確かなのは、仁の獣装ビーストシフトは五感を強化してしまうために、フェイントに引っかかりやすいこと。


(本当に魔術どころか魔素エーテルすら使わないでこれかよ!)


 掛けられた不老の呪いが邪魔をするため、魔術をうまく制御出来ないどころか、魔術師の基本技術である魔素による身体強化すら暴走の危険を孕んでいる。

 故に、極東の英雄は鍛えられた肉体と武器だけで戦場を征く。創作上の頼光は本物と似ていないことだらけだが、ここは変わっていなかった。


「どうした? 真剣ならば、すでに死んでおるぞ」


 幾筋もの剣閃と共に自分を囲んで放たれる声。音から位置を探れないか、考えた仁だったがそれは失敗に終わる。


 が、仁の中である閃きが舞い降りる!


(そうだ、真剣じゃないんだ。なら、やりようはある!)


 襲い来る剣戟は見えない。だが、殴られた痛みはある。


(ここだぁぁぁあああッ!)


 焼け付く痛み、左脇。痛みに歯を食いしばりながら、仁は前へと進む。そして、木刀を左手で掴んだ。


(木刀なら斬れない、力も俺の方が強い!)


 頼光の判断は速い。木刀ごと、仁を背負い投げの要領で地面へ叩きつける。しかし、仁は離さない。


「これで、ぶっ壊す!」


 ギュュュュイイイイ! と金切り声を上げるチェーンソーが木刀を粉々に喰い破る。これで頼光は無手、リーチでも攻撃力でも、仁が圧倒的に有利だ。


「はぁ、はぁ、はぁ、これで」


「満足するにはまだ早いぞ」


 頼光のスピードが上がる。姿を見せる回数は多く、時間は短くなる。世界の最高戦力、その力の一端を開放する。

 正拳突きが胸を捕え、脚撃が仁を宙へと蹴り上げる。続く攻撃が鳩尾に、延髄に、肝臓に、額に、肩口に、腎臓に突き刺さり、仁は地面に落ちることも許されずに空中を舞い続ける。


(クソ、どこか、足場は!)


 地面に四肢は届かず、頼光は体を掴ませてくれるほど甘くない。それでも、仁は藻掻くが、成果は足が頼光の顔の目の前を通り過ぎただけ。

 それを見ると、頼光は満足そうに笑って、


「よくやった」


 回し蹴りが首を捉え、仁の意識を刈り取った。

 


 



 

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