第14話 由加の父と勇気
(由加の父と勇気)
ここは病院の一室、……
眺めのいい部屋で、都会の雑踏としたビルの風景が見下ろせた。窓際にはベットがあり、明るい個室だった。
「……、金曜日に一時退院できるよ。検査の結果も良かったしねー」
僕は、ベットの横の椅子に座り、妻の康子に報告した。
「ほんと、やっと帰れるわねー。もう、病院はこりごりよ……」
康子は、ベットを少し起こして、僕を見ないで言った。
「でも、まだ一時退院だから、期限は五日間だ。本当は二日なんだけど、僕がお願いして五日にしてもらったんだ。君も頑張ったからね。僕も仕事、休みをもらったよ」
僕は、嬉しそうに話していたが、やつれた康子の白い顔を見ると病院を出ること自体、心配だった。
でも、後に延ばせば、もう帰れないかもしれないという気持ちが、五日間の期限を決めさせた。
「そうなの……、でもいいわ。少しのんびりできるわねー」
「せっかくの出所だ。お祝いにどこか、行きたいところはないかー? 旅行でもしようかー? 季節もいいし、涼しい所なんかどうだー」
彼女の体力からみて、もう旅行は無理だと思っていた。
でも、もし彼女が望むのなら……
「旅行なんかしなくてもいいわよー。あなたの傍にいられれば……」
「都会の中は暑いぞー! 病院の中とは大違いだ。家の中だって暑いしっ!」
康子の答えに少し安心した。僕は立ち上がって、窓の外を眺めた。
「貴方の奥さんの実家って、北軽井沢だったわねー? 今どうしているの?」
康子は、僕の背中に話しかけた。今まで一度も口にしなかったことを口に出した。
「……、さー、知らないけど……、軽井沢か、そりゃー、東京の暑さよりましだけどねー」
僕は、肝心なところには触れず、避暑地の軽井沢の話にすり替えようとした。
「確か、娘さんがいたんじゃないの?」
しかし、康子は前の奥さんの話から反れなかった。
「……、由加か? もう、僕の事なんか忘れているよ」
僕は、窓から離れて、もう一度椅子に座り、今更、何でそんなことを言うのか、彼女を見た。
「私、逢ってみたいわ?」
康子は、顔だけ僕の方に向けて、見つめながら言った。
「……、逢ってどうするんだい?」
急に出てきた娘の話題に僕は戸惑った。
「貴方の娘なんでしょうー! 逢いたいわよー、もう私には持てないから……」
「……、子供なんか、要らないよ! 君がいてくれれば、それでいいじゃないか! 君を子供に盗られたくないから……、 一日、二四時間、僕は君を独占できる!」
子供のいない夫婦は、世界中たくさんいる。
子供がいることで、それで悩む夫婦もたくさんいる。
まして、結婚すらしない人もたくさんいる。
どんな境遇でも、人は幸せになれる。幸せは自分の中で作るものだから……
「おかしいわね、貴方、子供に焼きもちを焼いているの?」
「そうさー! 子供には敵わないからねー」
僕は嬉しそうに笑って答えた。
康子も笑っていた。
笑顔がとても素敵だ。この笑顔に何度も助けられた。この笑顔が消えるなんて今でも信じられない。
医者でもない僕には、何もできないかもしれない。
でも、僕の力で彼女を助けたい。僕の力で、彼女の笑顔を保ちたい。
彼女が余命幾ばくもないと知ったとき、自分の人生を掛けて一緒に戦うことを誓った。
その時、遥と由加とは別れた。
彼女を一人置いて、もう北軽井沢には戻れないと思ったからだ。
「それで、奥さんは再婚しているの?」
「……、知らないけど、あれから三年だからねー」
康子には、悪いけど一日たりとも忘れたことはない。
しかし、思い出せば出すほど、その気持ちの後ろめたさに、不快と喪失感に打ちのめされる。
そしてまた、君の笑顔に救われる。その繰り返しを永遠に続くのか……
「貴方の奥さんにも会いたいわー」
「君も変わっているねー」
「いいじゃないのよー! 軽井沢のホテルで泊まって、会いに行きましょうよー?」
「君が、それを望むなら、かまわないけど……」
今更、どんな顔をして遥や由加に逢えと言うのか?
そんなことできるはずもない。僕は嫌だよ!
「ほんと、行ってくれるの?」
「でも、ただ見に来た、なんて言えないから、娘の将来のために面会日を作ってもらおうー」
時々考えていたことだった。月に一度、年に一度でいいから、由加に逢いたかった。
彼女の成長の変化を共有したかった。でも、それは自分勝手の欲望に他ならない。
由加は、僕を許してくれないだろうー。
「やっぱり、貴方も娘に会いたいんじゃないの?」
「君が、逢いたいというなら、それもいいかと思って……」
「そうねー、いいわねー」
「でも、調べてみて、向こうに旦那がいる様なら、やめようー、変に波風、立てたくないから……」
「いいわよー、優しいいのね……」
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