第13話 月の砂漠と遥さん

(月の砂漠と遥さん)


 老夫婦は一度、部屋にもどったが、昼間飲んだ自家製りんごジュースが恋しくなって、また食堂まできていた。


 テラスから吹き抜ける風は少し冷たく通り過ぎて、まだ早すぎる秋の趣があった。食堂にも厨房にも、すでに人影はなかった。


「多分奥にいると思いますから、私、たのんできます」


 お婆さんは、厨房の横の廊下を通り、家の奥へと足を進めた。


 そして十六畳ほどの和室の奥で、四十九日を待つ祭壇の前で俯いて泣く、遥さんと由加の写真を見つけてしまった。


「この子ですー、今朝逢って、ここに連れてきてくれたんです。やっぱり本当に亡くなられていたんですね……」


 由加の母は驚いて振り返った。


「すみません、もっと早く……」


「いえ、いいんですよ。私たちのことを思って気を使ってくれたのですね。お気づかい感謝します……」


「どこで由加に逢われたんですか?」


「私たちもバス停で、石蹴りをして遊んでいました。お父さんを待っているとかで……」


「……、寂しそうでしたか?」


「いえいえ、元気な活発そうなお嬢さんでした。大きなお人形を抱いて、走ってここに案内をしてくれました。お父さんは? 見かけないようですが……、そう言えば、さっき離婚したと言ってましたねー」


「離婚して、まだ知らせてないんです……」


「そうですか、でもお母さん、そんなに悲しまなくてもいいですよ。由加ちゃんは、お母さんのそばで大きな人形を抱いて、この家にいますから……、だから元気を出して、昼間のリンゴジュース、二つお願いしますっ!」


「はい、すぐに持っていきます……」


 由加の母は、涙を拭いて立ち上がって厨房に向かった。


 お婆さんは、由加の祭壇の前に座って手を合わせた。


 しばらく由加の写真を見ていると、女の子の歌が庭の方から聞こえてきた。


「……、由加ちゃん?」


 お婆さんは和室から、その歌声に引かれるように庭に向かった。


 その声は二階にいた私にも聴こえた。


「……、由加ちゃん!」


 私は急いで部屋を出た。


「由加ちゃん、お爺さん……」


「やーあ、由加ちゃんが歌を歌ってくれていたんじゃよ……」


 お爺さんは、テラスの幅の広い階段を椅子代わりにして座っていた。

 由加ちゃんは、その前で立っていた。


「お姉さんも来て歌おう!」

 由加ちゃんは明るく私に言った。


「あー、すまん……、うるさかったかなー、つい調子に乗って、声を張り上げてしまったよ……」

 お爺さんは、頭をかきながら照れくさそうに私を見上げた。


 由加ちゃんは嬉しそうに……

「お爺さんが、寂しそうに『里の秋』を歌っていたので、私も一緒に歌ってあげたの。それから、『夏の思い出』や、海の唄歌ったのっ!」


「やー、そうかな、寂しそうだったかな……、あまりにも静かで、涼しい風が心地良かったんで、秋にはまだまだ遠いけど、口ずさんでしまったんだー」


 二人が言うように外に出ると、夏に向かうというよりも、夏を通り過ぎて、秋の風の趣が爽やかに吹いているようだった。


「そうね、こんな夜は、思い出の歌、歌合戦もいいわねっ!」

 私もテラスの階段を椅子代りにして、お爺さんの横に座った。


「じゃあ、春の歌から歌いましょうー、由加ちゃん春の歌何か知っている」


「『春の小川』、……」

 由加ちゃんは、春の小川を最初に歌いだした。


 それから私とお爺さんが、後に続いて歌った。


 お婆さんは、遥さんを連れてやって来た。

「由加ちゃんが、お爺さんの前で歌っていますよっ!」


 二人は、私たちの後ろで一緒になって歌っていた。

 由加ちゃんはお母さんを見て嬉しそうに歌っていた。


 それから『朧月』、『茶摘』、『我は海の子』、『浜辺の歌』、『小さい秋』、『秋祭り』、『もみじ』、最後に私は遥さんに、『月の砂漠』を歌ってくれるようにお願いをした。


「由加ちゃんがね、お母さんの『月の砂漠』が一番好きだったって、私も聴きたいから歌って、お願い……」


「私も聴きたいわー、きっと由加ちゃんも……」と、お婆さんも言った。


 そして、由加ちゃんのお母さんは、『月の砂漠』をみんなに少し照れながら歌ってくれた。


「月の砂漠を遥々と二つの駱駝が……」


 由加ちゃんのお母さんの透き通った綺麗な声が唐松林に響き帰ってきて、私たちの上から優しく包むように広がっていた。


 私は聴きながら、母の歌を思い出していた。


 母が何気なく口ずさむ歌は、演歌でもなく流行の歌でもなかった。

 やっぱり童謡唱歌といわれる叙情歌だった。


 去年の夏、美ヶ原を一緒に歩いていたとき、母は一人で小さな声で「春の小川はさらさら行くよ……」と口ずさんでいたことを思い出した。


    *

 お母さん、どうしてあの時の歌は『春の小川』だったの?

 お母さん、また一緒に歌うたいたいよ……

 お母さんの声聞きたいよ……

    *


 歌合戦も終わり、みんなでりんごジュースを飲んだ。


「旨いっ、本当にこのりんごジュースは旨いー、歌って口が渇いたから特に旨いー、幸せじゃーあっ!」


「お爺さん、大げさですよっ!」


 お婆さんも、ご満悦で嬉しそうにリンゴジュースを飲んでいた。


 私も、この夜のりんごジュースは一味ちがって美味しかった。



 

 私は二階に上がり、置き忘れた携帯に、美晴からの着信があるのを見つけた。


「あ、何だった?」


「何だったはご挨拶ねー、そこのペンション、ホームページがあったから調べたけど、そんなに値段の高い宿ではないわよ。一万円こっきりで泊まれる宿にも出ているくらいだから、一泊二食で一万円よっ、後税金が掛かるかもしれないけど、でも一万円こっきりって書いてあるから、一万円じゃないの……?」


「本当っ、二万も三万もかからなくて良かったわ。これで、ちょっとは安心して泊まれそうよー、でも一万円か、一週間で七万円、いや、お昼もここで食べているし、ケーキや飲み物も、食べ放題、飲み放題で……」


「うそ、そこはそんなにいいところなの?」


「いえ、分からないのよー、言えばどんどん出てくるし、一度もお金を請求しないし、多分最後に精算ってことだと思うけど……」


「なかなかいいペンションねー、ペンションにいる間は、お金の心配はさせないってことねー!」


「それって、いいことなの?」


「当たり前でしょうー、あんた自分の家にいて、いちいち食べた分のお金払うの?」


「払わないけど……」


「詰まりそういうことっ! 我が家にいるつもりで、くつろいで下さいって訳よー!」


「さすが旅館の娘。でも、貧乏人には辛いわー、あと、どれだけお金が残っているのか分からないもの……」


「そうねー、一週間なら一〇万円は覚悟しないと……」


「そんな、美晴のところでバイトしても追いつかないわよー」


「大丈夫、あんたの体、私が買ってあげるから……」


「私の体、売るの? それっていけないんだー、援助交際っていうのよ。でも、女同士でも援交になるのかなー?」


「お姉ちゃん、援交ってなあに……?」

 突然、由加ちゃんが現れた。


「あ、ははは、……」

 説明する言葉が見つからない。



 翌朝、朝食がすむと老夫婦は、楽しかったと連発して、幸せそうに二人並んで帰って行った。


 帰るといっても、昨日の予定通りに草津に向かって行ったのだけれども……


 最後に必ず来年も来ると言っていた。

 また由加ちゃんと一緒に歌、歌いたいと言っていた。


      *

 お爺さん、お婆さん、私も来年また必ず来るから、

 また一緒に歌、歌いましょう。

 それまでお元気で……

      *


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