第14話 三番目のお客様  

(三番目のお客様)


 お昼になって、由加ちゃんが昨日のようにバス停で、当てのないお父さんの来るのを待っていると、止まったバスから、お父さんが降りてきた。


「足元、気をつけて、荷物持ってあげるよっ!」


「ありがとう……」


 由加ちゃんは思わず近づこうとしたが、二人連れと知り、思わずひき返して待合所の陰に隠れてしまった。


「あら、女の子っ!」


「へーえ、どこ、……?」


「今、髪の長い赤いスカートの女の子が走って、そこに隠れたみたいなの……」


「……、どこ?」


「ほら、待合所の壁の横、こっちを隠れて見ている?」


「へーえ、見えないけど……」


「大きなお人形を持っている、可愛い女の子……」


「見えないけど、きっと由加も大きくなって可愛いぞっ、好きになってくれると思うよ……」


 そんなこととは知らずに私は、昨日のお汁描きの絵に色を置きだしたところだった。


「お姉さん、お父さん来た!」


「え、それは良かったね。きっとお母さんが連絡してくれたのよー」


「そんなふうには見えなかったけど、女の人と来た……、私、悪いものを見た感じで思わず隠れちゃったわー!」


「それは大胆ねー!」



 その時、玄関から入ってくる人影が見えた。


「よお、久しぶり……」


 出迎えた遥さんは、今日は無表情で、どこか緊張しているように見えた。


「あなたも、由加に連れられてきたの?」


「いや、どうして……?」


「由加がバス停で、あなたの来るのを待っているって言っていたから……」


「そう、やっぱり君が見たのは由加だったんだっ!」


 後ろに控えて静かにしていた女の人に、嬉しそうに話しかけた。

しかし、彼女は府なずいただけで何も話さなかった。


「これ家内っ、それと、これ由加に……」

 由加ちゃんのお父さんは、手に持った綺麗なリボンの掛かった大きな箱を差し出した。


「由加に連れられて来たんじゃないのね……」


「あー、バス停にいたみたいだけど、どこかに隠れてしまったようだ。突然だったので恥ずかしくなったんだよ……、由加、そんなに俺に会いたがっていたのか?」


 喜ぶ由加のお父さんに、遥さんは目をそらして話した。


「まだ何も知らないのね。私も由加があまりにも彼方に逢いたいと思っているのなら、連絡しなければと思っていたところでした……」


「そうか、それはよかった本当に来てよかった。由加が逢いたがっていたのか、俺も由加に逢いたかったんだ。今までほっておいたわけじゃない。そりゃあ、逢いたいよ……、でも、君のことを考えると当然、許してはもらえないと言うことは分かっていたから……、でも、あれから三年だ。お互いに心の整理もできたころで、落ち着いて話せる時期じゃないかと思って来たんだ……」


 由加ちゃんのお父さんも、遥さんを見ていなかった。

 少し俯き加減で話していた。


「何を話すというの?」

 でもそれを聞くと遥さんは、この男をしっかり見据えた。


「話はもちろん由加のことだよ……、ちょっと調べさせてもらったが、君はまだ再婚はしていないようだね。それで月に一度くらいは由加を僕のところによこしてはくれないか……、由加にも父親は必要じゃあないか。もちろん君さえよければ由加を引き取ってもいい、そうしたいのはやまやまだ。でも、そんなことは君が承知しないだろうから……、それで、もし君が再婚して由加が邪魔になるようなことがあったなら、僕らが引き取って育てるよ。今、あるだろニュースなんかで子供の虐待が、あれを見るだびに由加と重ねてしまうよ……」


 彼は話の最後に姿勢を正して遥さんを見た。


「彼方の気持ちは、良く分かったわ。きっとそうね……、今も前と同じくらい優しい人なのね……」


「分かってくれるんだねっ!」


 遥さんの優しい口調が、この男には承知してもらえたと感じてしまったようだ。


「今日は、ゆっくりしていられるの?」


「あー、特に予定はないが、君さえよければ、由加とゆっくり話したいよ!」


「許すも許さないもないわ、ゆっくり由加と話をしていってあげて……、泊まっていきますか? 部屋はありますよ!」


「い、いや、そんなに歓迎されるとは思っていなかったから、近くのホテルを予約して来たよ……、由加はまだ帰ってこないかな? まだバス停かな?」


 由加ちゃんのお父さんは、ゆっくりあたりを見回した。


「あ、すみません、奥さんにも長く立ち話になってしまって、どうぞ奥へ……」


 遥さんは、一緒にいた女の人にも優しく声をかけ、それ以上何も言わずに二人を奥の座敷に案内した。


私と由加ちゃんは、乱闘騒ぎになったら助けに出ようと隠れるようにあとをつけた。



「由加、由加、……? いつのことだ……?」


「もう一ヶ月になるわ。きっと虫が知らせたのね。由加も逢いたがっていたから……」


 遥さんは、彼の持ってきたプレゼントを祭壇の脇に置いた。


「話してあげて、まだ由加、大きな縫いぐるみの人形を抱いて、この家に居るみたいなの……、昨日ここに泊まったお客さんが、縫いぐるみを抱えた由加に逢ったって言っていましたから……、きっと喜ぶわ!」


 私は、耳を澄ませて奥の様子をうかがったが、かん高い悲鳴も、怒鳴り声も聞こえてこなかった。


「話は、うまくいっているみたいね……、修羅場にならなくて良かったわー」

 私は由加ちゃんに話しかけた。


「私、お父さんが他で結婚していたなんて知らなかったわ。お母さんが可愛そう……」


「それを知ったら、お父さん、嫌いになった?」


「どうかな……? でも、一緒にバスから降りてくるのが見えたとき、とても嫌な感じがした……」


「そうね、複雑な話ね……」


 私は穏やかに話しているのを聞いて、これなら大丈夫と思い、また庭のキャンバスのところに戻ろうとした。


 しかし、由加ちゃんは、じっとお母さんとお父さんを見つめたまま動かなかった。


 いつか三人で、また暮らせる日を思い描いていたのかもしれない。


 私は一人、また庭に戻った。


     *

 そうね、由加ちゃん。

 今、お父さんが他の女の人を連れて帰って来たとしても、お父さんは由加ちゃんのお父さんであることには間違いないのだから。 

 ずーと逢いたかったんだよね。

 毎日バス停で待っていたくらいだからね……

     *


 由加の祭壇の前に座った由加のお父さんは、静かに手を合わせた。


「線香もロウソクもないんだな……」


「まだ、死んだなんて実感がなくって、とても線香なんて挙げられないの……」

 遥さんも、俯いたまま畳の目を見つめていた。


 由加のお父さんは、祭壇の前に置かれたプレゼントを開けた。


「これ、可愛いだろー、おもちゃ売り場に行って驚いたよ……、昔は縫ぐるみといえば、縫いぐるみらしい縫いぐるみだったのに、今はこれ、本物そっくりのわんわんだ。毛もふさふさしていて本物そっくりだろー、よくできているよー!」


 由加のお父さんは、わんわんの縫いぐるみを祭壇に供えた。

 そして耐え切れずに涙を流した。


 それを見かねてだろうか、後ろに座っていた女の人は、席をはずそうと立ち上って、食堂の方に消えた。


「……、怒らないでやってくれ、彼女は先月、子宮を取ったんだ……、あの若さでもう子供が生めないと思うと辛いと思うんだ。それで、もし由加が少しでも俺の家にも来てもらえれば、彼女も少しは救われると思った……、まったく身勝手なことばかりですまない。由加に話せばきっとわかってもらえると思って来た。優しい子だからなー、だから今日は二人で由加にお願いをするつもりだった……、君にも感謝するよ。本当だったら、塩を巻いて追い返されてもおかしくはない状況だからな……」


 由加ちゃんのお母さんは顔を合わさず、祭壇の由加の写真を見すえたまま静かな口調で話し出した。


「私が、なぜ彼方を好きになったのか話しましたかね?」


「いや……」


「彼方、マネージャーに注意されても怒られても、ホテルの裏に集まる猫たちにせっせと餌をあげていたでしょうー、あれを見て優しい人だなって思ったのー、あの猫たちはまだ来るの?」


「……、来るよ。あのバンケットマネージャー、くそ意地の悪い奴で、俺に袋に入れてどこかに捨てて来いっていやーがる……、最初は、せっかく心をこめて作った料理が残ってくるのが悲しくて、せめて猫にでも喜んでもらおうと思ってね……、でも野生の野良猫は過酷だ、何匹かいても、そのうち一匹二匹といなくなる……、でも、また春になると小さな子猫を連れてやって来る……、そして、また消えていく……、親猫は子猫が餌を食べ終わるまで、少し離れたところから、じっと見ているんだ。それで子猫が十分食べたころ、ゆっくり近づいて来て食べる。見ていて涙が出るほどいじらしよー、人間も猫も親の考えることは同じだ。親は子供の幸せのことしか考えていない……、なのに俺は、由加のことを考えなかった……、俺よりも先に死ぬなんて……」


 由加ちゃんのお父さんは、涙をこらえきれずに、声を出して泣いた。


 それでも泣きながら……

「……、由加は、わんわんが好きだったなー、大きくなったら、大きな犬を飼ってやろうと思っていたよ……、でも、いなくなってしまったのは俺の方だった……、寂しい思いをさせてしまった……」


 話の終わりは、泣き声でつぶれてしまい言葉にならなかった。

 


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