第25話 私はロボット

(私はロボット)


 その夜は遥さんを交えて、三人で食事をした。


「あれ、由加ちゃんは、……?」

遥さんは返事に戸惑い、私の顔を見た。


私は、こくりと頷いた。


「由加に逢ったんですか?」


「ええ、昼間ずーと、一緒でした。由加ちゃんに誘われたんですよ。綺麗なお姉さんがいるから泊まっていってって……」


私も返事に困って、遥さんを見た。

遥さんは、もう取り乱すこともなく冷静だった。


「由加は、あまり体が丈夫ではないので、昼間、動き回って疲れたみたいです。今さっき見に行きましたら、部屋で寝ていたので、後から食べさせようと思って……、どうぞ由加には遠慮なく食べてください!」


 私は少しほっとした。

 遥さんが死んだと言わなかったことに……

 でも本当のことを言ってもよかったかもしれない。

 それで彼が明日の登山を止めれば……


 でも、遥さんに由加ちゃんの死んだことを話させるのはもっと辛いっ!

 死んだことを認めさせて、説明までさせてしまう……

 そんなことは絶対にできないっ!


でも、やっぱり同じことかもしれない。

 そんなことで運命が変われば苦労はない。

 いずれ彼は近いうちに、どこかで死んでしまう。

やっぱり由加ちゃんを信じて私が助けようっ!

 私が助けることで彼の運命が変わるのなら……



 食後、私はもう一度お風呂に入った。


練習の後、一度お風呂に入ったが、昼間の木登りのせいで、未だに体中が痛い。

 それと少し時間がたって、また汗をかいて少し不快だった。


 それともお兄さんに、湯上りの色っぽさを見せようとしているのかな、私は……


「最近運動不足だな」と、独り言をいいながら、お風呂の中で足を上げて揉み解した。


 私はもう一度、新しい服に着替えると食堂に下りて、プリントした写真をミニアルバムに移すことにした。


「お母さん、大変なことになっちゃったよー、私が山に登るのよ。信じられないでしょうー、さすがにおてんばのお母さんでも、登山なんかしたことないよね……、それも、遭難するとわかっている山に行くのよ。信じられないでしょう。本当に行くのかなー、お母さん守ってよっ!」


「誰が守ってって、お母さんの写真?」


 後ろを見ると彼が立っていた。 

 また、独り言を聞かれてしまった。


「遭難しないよう、お母さんにお願いしていたところ……」


「だから、遭難しないってっ!」


 彼は、私の横に座って母の写真を見ていた。

 石鹸の匂いがする。

 彼も風呂上りなのか……


「そうならなければいいけど、穂高は何度も行っているの?」


「そう、子供のころから……」


「アウトドア一家だったよねっ!」


「親が山に行きたかったから、子供が無理やり連れて行かされたのさ……」


「最初は、嫌だったの?」


「ぜんぜん、楽しくて嬉しかったっ!」


「じゃ親に感謝しないとね……」

 彼は、こくりと頷いた。


「君は、優しい子だねー、お母さんの写真を大切に一枚一枚アルバムに入れているところなんか、とても素敵だ。美しかったよ。胸にじーんと来たよ……」


「それって、褒めてくれているの? それとも口説いているの?」


「いやー、その、両方かな……」


「それは、どうもありがとうー、でも、夏の恋は要注意よ。秋になると覚めてしまうから。ひと夏の恋っていうでしょう……」


「いいや、そうじゃないけど……、でも、今どき、そんなにお母さんの事を思っている子も珍しいと思って、やっぱり優しい子なんだね……」


 私は、彼の視線を感じながら、彼を見ないようにして話した。


「ちょっと違うかな……、私も他の女の子と同じだと思う。生きているうちは、やっぱり自分のことしか考えなかったわ。それで、わがまま一杯、言いたいこと言って困らせていた。今は、お母さん死んじゃったばかりだから、感傷的になっているだけ……、でも本当に姉妹みたいに、一卵性親子みたいに仲のいい親子だったのよー、私、一人娘だから、家の中で相手をしてくれるのはお母さんしかいなかったから……、それで可愛そうなのはお父さん、いつも孤立していたわ。だから、たまには誘って食事に出るの……」


 私は、テーブルに置いてあった写真の中から、家族三人で食事に行った時の写真を見せた。


「いい家族だね……」

 彼は手にとってしみじみと見ていた。


「彼方は、少しも家族のことを考えないの?」


「そうだなー、やっぱり考えないかな……、今、君のお母さんの写真を見て少し考えた。今、何しているかなって……」


「夏休みは、実家に帰らないの? それより実家ってどこ?」


「松本市内だよ!」


「あら、ここから近いじゃないのよー!」


「そう、実は、さっき電話した。昼間、君が一生懸命にお母さんの写真を選んでいるのを見て、僕も里心がついちゃったのかな……、一週間ばかり、穂高にいるのでオヤジと一緒に山に来ないかって……」


「そしたら、なんて……?」


「それなら行くかなって……、うちの親、軽いんだ。誘われたら、何でも付いていっちゃうんだ。アウトドア派だからね。それに実家から近いしねー!」


「息子に逢いたいのよー、いつ逢うことにしたの?」


「四日後、常念岳の山小屋だけど……」


「偉い、偉い、ちゃんと親のこと考えているじゃない!」


「君の影響だよー、まったく……」


「いい思い出にしてねー、私はもう作れないから……」

 言った瞬間に涙が溢れ出てしまった。

 止めようと思っても止まらない。


「あ、ごめん、思い出させちゃったー!」


「うん、少し……」


「あ、あ、どうしたらいいかな?」

 彼は、慌てて立ち上がり、ポケットの中からハンカチを探しているようだ。


 そう言えば、私も持っていない。

 さっき、お風呂に入って、新しい服に着替えたばっかりだ。

 涙を止めようと思って手のひらで拭っても、拭ってもどんどん出てくる。


     *

 どうしよう……、止まらない!

 シャツで拭こうか、しまった、ブラしていない!

 すぐにパジャマに着替えるつもりでやめたんだ。

 私、ノウブラで彼と話していたんだ。

 乳首が透けて見えていたのかな?

 シャツの裾で拭こうか、シャツの裾上げたらおっぱい見えちゃう!

 どうしよう……?

     *


 やっぱり、彼もハンカチは持っていなかったようだ。


「そんなに泣かなくても……」

 彼は慰める言葉に詰まった。


 私は止まらない涙の挙句に、眠れる森のオーロラ姫の話を思い浮かべていた。


「キスしてくれたら止まるかもしれない……?」 

 彼は私の言葉に、やっと見つけた光明のように、私の顔に近づいてきた。


      *

 え、この人、本当にキスするつもりかな?

 私のこと好きだというの?

 それとも、私が言ったから?

 え、どうしよう……

 どんどん近づいてくる!

 キスしちゃおうかな? キスして……

 それから……

      *


「バカ、冗談よっ!」

 私は彼を思いっきり突きどばした。


「え、え……」


「もう、いいから一人にして……」


 私は、止まらない涙に苛立って叫んだ。

 それとも、彼に甘えているの?

 わからないことをいって、ダダっ子になって困らせている。


「でも、泣いている女の子を一人にできないし……」


「……、優しいのねー、でも、優しさには覚悟がいるのよー!」


「覚悟、……」


「そうよ、こんなわがままな子のお守りをするのよ!」


      *

 これって、告白、私は彼に告白している。

 それとも脅迫かしら……

      *


「お守りでも何でもするよー、好きだから……、僕でよかったら……」


 彼はもう一度、私に近づいてきてはっきり言った。

 その顔は、やっぱり真剣だった。


「嘘よー、今日逢って、今日、一日一緒にいただけじゃない。それで、私の何が分かるの、何が好きだというのよ?」


「好きだよー、今日はじめて逢ったときから……、君は優しい、いい顔をして絵を描いていた。

僕を見て、笑った顔も素敵だった。あとで、それが死んだお母さんの絵だと聞いて、もっと好きになったよ。写真屋さんで、お母さんの写真を選んでいるときも、優しい顔でお話ししていたね……」


「違うのよー、かいかぶりよー、優しくなんかないのよー、私はね……、私はお母さんが入院して、付き添って欲しいと言ったときでも、東京にいて遊んでいたのよー、それで、お母さん死んじゃったのよっ!」


 もう、涙が止まらない。

 私は泣きながら大声を出して喚いてしまった。


 それでも彼は、優しい口調で……

「それは、君のせいじゃないよ。誰にでも明日のことは分からないから。それよりも、僕はよくわからないけど、生きていても死んでしまっても、君のようにいつまででも大切に思っていられることが一番いいと思うよ。人を思う時、それは存在じゃなく、心だから……」


「こころ……」


 この人は、やっぱりいい人なんだ。

 こころって言ってくれた。


 でも、心でしか思えないことって、辛いのよー、本当に辛いのよー!


    *

 あーあ、もう駄目だっ!

 泣いちゃう……

    *

 

 私は立ち上がり、彼に背中を向けて、Tシャツの襟を鼻の上まで持ち上げて、涙を拭った。

 でも、Tシャツを頭までかぶると、今まで我慢していた涙があふれ出てきた。

 そして、声を出して泣いてしまった。


    *

 お母さん、ごめんね!

 こんな娘で、ごめんね!

    *

 

 私は泣きながら、背中の後ろに彼がいることを思い出して、そのまま階段の方に駆けだした。


「あ、これ、写真……」

 彼はテーブルの上にあった写真を急いでかき集めてくれた。


私はTシャツをかぶったまま目元だけ出して、ロボットにでもなったつもりで、ぎこちなく大袈裟に歩いて彼に再び近づいた。


彼は私の格好が面白かったのか、くすっと笑った。


「さっき言ったことは、本当だよ……!」


「何のこと?」


「君が好きだってことっ!」


「こんな首のない私でも好きなの?」


 彼はまた笑った。

「うん、もちろん……」


「ごめんー、でも私、ロボットなの……」


 私は、また大袈裟に動いて見せて、深々と大きくお辞儀して両手を差し出した。


彼は、私の手に集めた写真とミニアルバムを手渡してくれた。


私は両手をかざしたまま三歩後ろに下がり振り返って、そのままゆっくりと、ゆっくりとロボットのように歩いて階段の方に向かった。


 彼は気をつかっているのか、それから何も言わなかったが、きっと笑って見ていたに違いない。 


    *

 この人は女性の扱いに慣れていないのかな?

 好きなのは女ではなく山だから……

 でも山ばかり行って遊んでくれなくて、ほっとかれるのも嫌だな。

 せめて彼にするなら、趣味ぐらいは一緒のほうがいいよね。

 それは贅沢な話なのかな?

 私のことを大切に思ってくれるのなら、それでいいのかな?

 じゃあ私の気持ちは……?

 私が好きなのは、誰……

 暖かく抱いてもらえれば誰でもいいのかな?

 例え美晴でも……

 もう分からなくなってきた。

     *


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