第23話 山の道具と遭難食

(山の道具と遭難食)


「お姉さん、でもお兄さんがこれで穂高を止めてもね、どこかで、きっと死ぬんじゃないの。場所が変わるだけとか、石の下敷きになるとか、そこへ、お姉さんが助けに入って、一緒に下敷きになるとか……」


「いやーあよー、そんな痛いこと……」


「たとえばの話よ……」


「まだ遭難のほうがましよー」


「崖から落ちるほうがいいの?」


「えー、いやーあよー、それも……」


「じゃーあ、やっぱり落ちないように装備しないと……」


「やっぱり、そこに来るのねー!」


 お兄さんは、また現れた由加ちゃんに何の違和感もなく、私と由加ちゃんの会話の中に入ってきた。


「あのねー、君たち、人をころころ殺しちゃいけないよー!」


 お兄さんには、由加ちゃんが居る居ないの見境がつかない。それがもうじき死んでいくということなのかと、私は背筋に悪寒が走った。


 もう、どうにでもなれっていう気持ちになった。

 何で私が人のためにこんな苦労をしなければならないのかと思った。


      *

 女の子だぞー、国際救助隊じゃないんだから、男の一人や二人遭難してもいいじゃない。

 好きで山に行くんだから……

      *


そう思いながら……

「もーいいー、私も、山に行くわ。遭難しないような装備買うから……」


「え、え、それはいいけど……、お金、かかるよー!」


 昇さんは横目でちらちら見ながら、私の真意を探っているようだった。


「大丈夫、最後の手段のクレジットカードあるから、それに死んだらお金があっても使えないし……」


「なんか、遭難しに行くみたいだけど……」


「だから、遭難しないように彼方にお願いしているのっ!」


 私は、好まないことを無理やりやろうとしていることで苛立っていた。

 それで、ついつい語気強くなってしまった。


「じゃあ、行く……、取りあえずは、靴だねー、スニーカーじゃあまずいでしょう」


 しかし昇さんは、苛立った私の言葉にも顔色一つ変えずに、聞き流しながら柔らかく答えてくれる。

 昔の男なら、同じように怒って突き返してくるところなのに……

 この人は大人だっ!



 登山用具の置いてあるスポーツ店を探してやって来た。

 山に近いせいか色々山のように揃っていた。


 靴と靴下、ストック、カッパ、シャツとパンツ、リュックはあるけどリュックカバーがないのでそれも買った。


「これだけあれば大丈夫ねっ!」


「後、ロープもー」

 由加ちゃんが叫んだ。


「ロープはいらないと思うよー」

 お兄さんの言葉。


「でも、崖の下に降りるから……」


「だから、遭難しないってー!」

 お兄さんは、あきれ顔。


「でも、もしもよっ!」

 由加ちゃんは真剣に語気強く言った。


「それじゃあ、明日来る大学の連中に連絡して一式持ってこさせるよっ!」


「それじゃあ、間に合わないのよー、今から帰って練習しないと……」

 由加ちゃんの声。


「え、えー、練習するの?」

 私は練習と聞いて驚いた。


「そうよ、いざという時、お姉さん使えるの?」


「できないー、練習しましょう。ロープ、買いましょう!」


 由加ちゃんは、本当に細かいところまでよく気がつく。


「ええ、なんか張切っているねー」

 昇さんが言った。


「そうよ、命が掛かっていますから……」


「そんな、大げさなー」

 お兄さんはやっぱり、あきれ顔。


「じゃあ、帰って練習するなら、三十メートルもあればいいでしょう。それとカラビナとデッセンダー(下降器)、ハーネス(安全ベルト)。こんなに買って大丈夫かな。ついでにアッセンダー(登高器)も買う?」

「何でも買うわ、死ななければ……」


「ええー、こんなに買わなくても死なないよ、穂高は……」


「でも、崖から落ちた人を助けるにはこれくらいいるんでしょうー?」

 由加ちゃんが心配そうに用具の入ったかごを覗いた。


「いや、本当に落ちたなら、いらないかもしれないよー、多分もう死んでるから……」


「由加ちゃん、もう死んでいるってー!」

 私は由加ちゃんの顔を見て言った。


「それが死んでないから大変じゃないー!」


「まだ死んでないってー!」

 今度はお兄さんの顔を見て言った。


「でも、デッセンダー(下降器)、アッセンダー(登高器)、カラビナ、ハーネス(安全ベルト)があればいいんじゃあないかなー、これならツリークライミングができるからー!」


「ツリークライミングってなに?」

 私が訊いた。


「今、大学の連中にも教えているんだけど、ロープを使った木登りなんだけど、ロープワークを覚えるにはいい練習になるんだ。それに面白いしねー!」


「面白いのー、じゃあ、早く買って、帰って練習しましょう」


「まだ駄目、遭難したときの食料……」

 由加ちゃんがまた叫んだ。


「いやー由加ちゃん、そういつも山に行くだびに遭難するわけでもないから……」


「食料、買いましょう。遭難用の……」


「遭難用の食料なんてないけど、ガスストーブ(コンロ)かなんか持っていく、値段も安いから、じゃあと、食器兼クッカーとか持っていけば頂でコーヒーでも飲めるよ」


「それも買いましょう、あとインスタントラーメンもいいわねー、あとケーキやチョコレート、

コーンスープ……」

 私は遠足前の小学生のように楽しくなってきた。


「なんか、それだとピクニックだよー!」


「そうね。それなら、ポテトチップにソーセージもいるわねー!」


「それだけ持っていけば重くなるよ、重くなると歩くのが大変だよー!」

 昇さんは不安そうに、かごの中を覗く。


「じゃー、半分はお兄さんが持っていってねー、遭難するのは彼方と私だから……」


「だから、遭難しないって……」

 昇さんは、やっぱりあきれ顔。


 そして、抱えきれないような荷物を持ってスポーツ店を出た。


 帰り道に私たちは、カメラ屋さんによって、でき上がった写真とミニアルバムを買ってペンションに戻った。



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