第6話 少女の母とペンション
(少女の母とペンション)
「今度は、私のお母さんを見せてあげる。一緒に来て……」
少女は椅子からぴょんと飛び降りると、隣に座っている縫いぐるみの人形を抱きかかえて、少し小走りに駆けだした。
私もリュックを背負ってゆっくり立ち上り、少女の後を追いかけた。
そして、少女と手を繋ごうとした瞬間……
「さわらないでっ!」
大きな声を出して飛び跳ねるようにして私から離れた。
「ごめんなさい、大きな声を出してっ、でも、私にさわっては駄目なの。後でお姉ちゃんがどうなるのか分からないから……」
少女の顔の表情は真剣だった。
もし、演技だとしたら、凄い迫真の演技だと思った。
「私こそ、ごめん……、小さい子と手を繋ぐのが普通かなと思って、でも、そんなに小さい子じゃあなかったよね。大人だものね……」
少女の大きな透き通る目が、私を見ていた。
「ちがうの……、私もお姉さんと手を繋ぎたいけど、私、死んでいるから……、あのね、お母さんひどいのよ。この子、さっちゃんって言うんだけど、私のお棺の中に入れちゃうのよ。さっちゃんはまだ死んでいないのに……、だから私、叫んで、一生懸命、叫んで言ったんだけど、誰にも分かってくれなくて、いよいよ燃やされるときに、私さっちゃんを掴んで持ってきちゃったの。そしたら、さっちゃんも誰にも見えなくなっちゃって、多分死んだ人の世界に来ちゃったのね。だから私にさわると死んじゃうかもしれないから、絶対にさわっては駄目よっ!」
道の両側にはキャベツ畑が広がっていた。
午後の少し冷たい風が二人の間を吹き抜けていく……
「ごめんね、そうだったね……、きっと手を握っても素通りしてしまって握られないよね。その子、さっちゃんっていうの? 私もさっちゃんよ。幸子って言うから……」
「私は、由加……」
「由加ちゃんか、よろしくね。でも由加ちゃん勇気あるのねー。さっちゃんを助け出すなんて、一緒にいた由加ちゃんの体は燃えちゃったんでしょう……、辛くなかった?」
「それはあんまり考えなかったなー、私はここにいるし、体はあっても抜け殻だから、そうそう、そういうの脱皮って言うんじゃないの? 脱皮した蝉の抜け殻みたいなものね……」
「由加ちゃん難しい言葉知ってるのね。そうか、ご遺体は脱皮した蝉の抜け殻か……、なるほどねー、由加ちゃんって、本当に大人ねっ!」
「それ、褒めてくれているの?」
「もちろんよ。私よりも大人みたいだから……」
「苦労していますから……」
小学校四年生くらいなのかな?
難しい言葉を知っていた。
それに私の想像をはるかに超えている。
この少女の世界に、私は負けたと思った。
想像すること空想すること、それには自信があった。
だから美大に進んだのだから……
でも、いつしか大人の常識にはまって、そこから抜け出せない自分がいる。
私は何を学んできたのだろう。
この少女の空想の世界にも敵わない。
自分のお粗末な世界に改めて気付かされた。
「駄目だな」と石頭の自分に拳骨でぽかりと頭を叩いた。
少女の話は歩きながら、まだ続いた。
「でも、どうしてバス停にいたの? 誰か待っていたんじゃないの?」
「お父さん……」
「じゃあ、お父さんが帰ってくるのを待っていなくていいの?」
「多分こないと思う……、多分、私が死んだことも知らないんじゃないかな……」
「どうして……」
「お父さんとお母さん、離婚したの!」
私は、どこからが空想で、どこからが現実なのか分からなくなってきた。
それとも全て空想なの?
「悲しいこと思い出させちゃったね……」
それでも私は、話を合わせるように言った。
「ううん、でも、もしかしたら逢いに来てくれるかなって思って……、でも、お母さんやっぱり連絡しなかったと思う、別れてから一度も逢ってないから……」
「そう、それじゃ来られないわね」
「でも私、いいこと思いついちゃったっ!」
少女は、さっきの浮かない顔から、飛び切りの笑顔に変わって、飛び上がるようにして私の方を向いた。
「今日みたいにねー、またバス停でお父さんが来るのを待っていると、またお姉さんみたいに私が見える人が降りてくるかも知れないから!」
「それは、そうかもしれないけど、それっていいことなの?」
「うーん、少しは嬉しい……」
「少しだけ……?」
「お姉さんみたいな人だったら、もっと嬉しい!」
「ありがとう……」
私は、また少女がいつもの笑顔に戻ってくれたことが嬉しかった。
それからも歩いている間、この少女のお話は途切れなかった。
「ここが私の家……」
「え、ペンションやっているの?」
「そうなの、私の家、泊まれるのよー!」
それは、それは、綺麗なペンションだった。
背の高い三角屋根に格子の窓、白い重ね板の壁。
そして、お花が家の周りからポーチから、色とりどりに植えられていた。
ここはウサギさんやネズミさんが出てくる童話の世界。
奥にはテラスと、それに花壇に囲まれたお庭があるようだ。
「凄い、夢のような綺麗なペンションねー」
「中に入って!」
由加ちゃんは、私よりも先に駆けて中に入って行った。
私は、ほんの少し疑ってしまった。
この子は家のためにバス停で、バスから降りてくる旅行者の客引きをしていたのではないかと?
でも、それでもいいと思った。
こんな面白い子と一つ屋根の下で過せれば、私も嫌なことを忘れて幸せになれる気がした。
それに、私も小さいころの自分に、空想とお伽の世界の自分に帰りたいと思っていた。
*
看板娘さん。どうか私を貴女の世界に連れて行って……
*
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