第7話 私が最初のお客様

(私が最初のお客様)


 玄関の大きなドアは開かれていた。

 私が中に入ると、三十五、六歳くらいのエプロンドレスの可愛い女性が笑顔で出迎えてくれた。


「すみませんっ! ちょっと由加ちゃんに連れて来てもらったんですけど、お母さんに逢わせたいって言って……」


「いつのことですか?」

 彼女の笑顔が消えた。


「今、さっきですよっ!」


 私は辺りを見回した。


 家の中は薄暗く、がらんとしていて、私たち二人以外人影はなかった。


 慌てて私は家の外に出て、今歩いてきた道を見た。

 家の周りもついでに見てみた。


 しかし、少女はいなかった。


 私は、もう一度、家の中に入った。


「本当に由加って言ったんですか?」

 彼女は、不思議そうに私を見た。


「はい、もちろんです。それに大きな縫いぐるみのさっちゃんと一緒でした」


「えー、よくご存知ですね……」


「はい、由加ちゃんから聞きましたっ!」


 彼女は私から目線を反らした。


「そうですか……、疑っているわけではありませんが、多分近所の子の悪戯だと思います……、なんで由加の真似をしているのかしら?」


「由加ちゃんの真似……?」


 彼女の顔が険しくなって、そして泣きそうな顔になっていく……

「いえいえ、ごめんなさい。子供たちには、悪気があったわけではないと思います。あまりにも突然だったので、近所の子供たちにもクラスのお友だちにも、まだ信じられないことだと思います……、叱らないでやってください」


「いえ、そんな叱るだなんて、とってもいい子でしたよ。お母さんのことが大好きで、いつも一緒にいたいと言っていました。私、最近母を亡くしまして、ちょっと由加ちゃんに慰められました。そんな話から、今度は由加ちゃんのお母さんに合わせてくれるって言われて、ついてきたんです……」


 彼女はその場に顔を伏せながら崩れるように座り込み、大きな声で泣き出してしまった。

 私は驚いて駆け寄り泣きじゃくる彼女の肩を抱いた。


「すみませんっ、変な事を言って……、すみませんっ!」

 泣きじゃくる彼女に、ただただ謝るしか思いつかなかった。


「ごめんなさい、悪いのは私だから……」

 彼女は少し落ち着いたのか、私の顔を見た。

 彼女の顔は涙で洗ったようにぬれていた。


 私はポケットからハンカチを出して彼女に渡した。

 そのハンカチを目に当てると、また止め処もない涙が溢れ出た。

 さすがに私も何か尋常でないものを感じた。


「ごめんなさい、もうじき一ヶ月になるのに、まだ慣れなくて、どうしても思い出してしまうと涙が出てしまって……、どうぞ、お急ぎでなかったら、これも何かの縁と思いますから、由加に逢ってあげてください……」


 彼女は、力なく私に支えられながら立ち上がって、奥の間に案内してくれた。

 十六畳ほどの和室の奥に四十九日を待つ祭壇とお骨、その遺影にはさっきまでいた髪の長い由加ちゃんが写っていた。


 私は足が、がくがく震えて、彼女を支えることもできずに、二人してその場に座り込んでしまった。


 少女の言っていたことは空想なんかじゃなく、少女の体験してきたことだった。

 私は恐る恐るあたりを見回した。


 少女はいなかった。


「亡くなられたんですね……」


「だから、由加がいるはずがないんです……」

 彼女はもう一度、大きな声で泣き出した。


「もう、お母さんいつも泣いてばっかり……、私まで悲しくなる……、私、お母さんの泣き顔なんか見たくないよっ!」


 しゃがみこんだ私たちを見下ろすように由加ちゃんは立っていた。

 でも、現実少女が死んでいると知っても不思議と怖くなかった。


 昼間だったせいかもしれない。

 それとも私が、幽霊でもいいから、母に逢いたいと願っていたからかもしれない。


「そんなこと言わないで、お母さんはもう由加ちゃんに、何もしてあげられないんだから……、ただ泣くしかないじゃない! 私もそうだったから……、私のお母さん髪が長いくせに少しも手入れしなくて、お風呂上りでも髪の毛濡らしたまま自然乾燥とかいって、ほっておくのよ、だから私がそんなことしたら髪が可哀想って言って、ドライヤーで優しく乾かしてあげるの……、私が小さいころしてもらったように……、あーあー、気持ちいいって嬉しそうに言ってくれた。一緒にお買い物も行けないし、美味しいものも食べにいけないし、もう何もしてあげられない……、泣くことしかできないじゃない……」


 私の目からも涙が溢れていた。


 由加のお母さんが私の話を聞いて顔を上げた。


「本当に何もできないですね……、私、この間、由加の水着を買ってしまいました……、ここは山国なので海は珍しいんです、それで夏休みになったら海に連れて行く約束をしていました。由加は海ではビキニで泳ぐものだと思い込んでいたみたいで、ワンピースのスクール水着は嫌よって言って、絶対にビキニを買って欲しいと言っていたんです……、それを思い出して……、でも、もう着せてあげられないのに……」


 彼女は、また泣いてしまった。


 それを見て由加も寂しげな表情で……

「私だって、お母さんに何にもしてあげられない、誕生日のプレゼントもできないし、母の日のカーネーションもあげられない、ケーキも一緒に作れないし、パンも焼けない……、いつもいつも、こんなに感謝しているのに……、お母さんのお手伝、いっぱい、いっぱいしたいのに……」


 私は、由加ちゃんの言葉を訳すように由加ちゃんのお母さんに伝えた。


「本当に何もできないですねー、思い返せば悔いの残ることばかり……、私もなんです、この夏休み、母と二人で旅行をする予定だったんです。私一人になってしまって、辛いです。お母さん、由加ちゃんが泣いている顔はいやだって……、笑って欲しいって……」


「そうねー、前にお母さんの顔、怒ってばっかりって言われたわ! 笑って怒ってって……、テレビで笑って怒る人いたでしょう! あれが気に入った見たいで……」

 由加ちゃんのお母さんは、無理に笑って見せた。


 私は、祭壇まで行って焼香をしようと思ったが、そこには線香もロウソクもなかった。

 あるのは祭壇を埋め尽くすようなお花と、多分由加ちゃんが可愛がっていた、数々の縫いぐるみたちだけだった。


「そうだった、線香がないの。とても線香を上げられなくて、由加が死んだことを私のどこかで認めたくなくて、死んだことは分かっているのですけど、どうしても焼香するのが嫌なんです……」


「お母さん、私も同じです……、母はどこかで生きているような気がして、焼香なんかしては駄目ですよねっ!」


 そう、母は生きている。

 少なくとも私の心の中では生きている。

 だから死んだ人に手向ける焼香はできない。


「ただ、由加が寂しいんじゃないかと思いまして、由加の好きな縫いぐるみを並べたのに、一番お気に入りの、いつも抱いて話しかけていたさっちゃんがいないんです。一人で旅立たせるには、あまりにも小さくて、あまりにも寂しすぎると思いまして、お棺の中に入れてあげました……、今から思うと、由加の代わりじゃないですけど、私の手元においておけば、少しは由加の代わりに私が慰められたかなって、今、思うんですよ! ちょっと残念なことをしました……」


「大きな縫いぐるみでしたね」

 私は、さっき由加ちゃんが抱えていた縫いぐるみを思い出した。


「由加が最初の入院のときに私が作ったんです……、私をモデルに作ったんですけどね……、由加が寂しくないように……、お母さんって呼んでくれるかと思ったんですが、さっちゃんって呼んでいました……」

 由加のお母さんは、その時を思い出すように微笑んで、また涙ぐんだ。


「多分、お母さんが二人いるのは、まずかったんじゃないですかね……」


「そうかもしれません……」

 由加の母は、また声を上げて泣いた。


 私は、泣いてばかりいる由加ちゃんの母を見かねて、由加ちゃんの話題から離れようと話を変えた。


「お部屋、空いてますか? 私、泊まりたいんですが……、このペンション一目見て気に入りました。これも何かの縁ですね……、ぜひ泊まらせてくださいっ!」


「え、ええ、もちろん泊まれますが、由加のことがあって、しばらくお休みしていたので、まだお客さんは誰もいないんですよ……」


 誰もお客さんがいないと聞いて、このペンション流行っているのか、ちょっと心配になった。

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