第4話 母と旅行

(母と旅行)


 アルバイトも彼氏も一度に失ったことで、自分の時間が一日十二時間も増るとは思わなかった。

 詰まり、毎日が日曜日で、誰も遊んでくれない、退屈な一日、後は寝るだけ……


 だけど、なんかワクワクする夏休みだ。


「でも、暇だなーあー」


 そんな暇に任せて、携帯電話をいじっていると、突然母の顔……


 この携帯電話は、高校入学の時、母に買ってもらったもので、あれから今まで六年間も使っている。

 我ながら、このスマートホン時代に良く持っているなと感心した。


 あれから撮りためた写真が次々に出てくる。

この携帯で初めて撮った写真も母だった。

 取扱説明書を見ながら試しに母を撮った。


「若いわね……!」


 それから、友達の写真や修学旅行の写真もあるけど、母の写真も結構ある。


 伊豆に行った時の写真、飛騨高山に行った時の写真……

 旅行だけではなく、有名なお店で食事をして、記念に撮った写真も……


「懐かしいなー、こんな贅沢な料理ばかり食べていたから胆石なんかになるのよー。バカねー!」


 それから、大学に入って、東京に来て、実家に帰るたんびに懐かしくなって撮った写真……


 これも外食での写真だ……、それと旅行したときの写真……


 そういえば去年は蓼科に行ったね。

 霧が峰、美ヶ原、綺麗だったね。


 その時に、今度は富士から軽井沢、千曲川を見たいねって言ったんだったね。


    *

 やっぱり信州、行きたいよね。

 携帯に、こんなにいっぱい写真が入っていたなんて、今まで、ぜんぜん気づかなかったな。

 お母さん笑っている。


 一度、お母さんをモデルにして、絵の練習のために描いてあげるって言ったよね。

 お母さん恥ずかしいから嫌だって言ったけど、別にお母さんを裸にして描こうとしていたわけじゃないのよ。ちょっと自意識過剰だってばー!

 でも、ヌードでも綺麗だったかもしれないわね。


 旅行して一緒にお風呂に入ったときあったでしょう。

 一瞬ドキッとするくらい綺麗で驚いちゃった。

 私と変わらないくらいスタイルよかったもんね。

 私の服が着られるくらいだもんね、ということは私も綺麗ってことね。

 親子だもんね。


 じゃあ、よーし、私が信州に連れて行ってあげましょう。

 それで、この携帯の写真を使って、唐松林の中でくつろぐお母さんを描いてあげるからねっ!

    *


 私は早速、美晴に電話する。


「美晴っ! 私、美晴のバイトの話に乗るわー」


「そうかそうか、それが当然だよ。こんな美味しい話絶対ないから、それに幸子は、彼氏もバイトもお金もないからねー」


「またそれを言う……、でもちょっと寄り道するから、バイトは美晴と一緒に始めるわー」


「どこ行くのよー?」


「軽井沢に決まっているじゃん!」


「軽井沢、まだそんなこと言っているの? そんなにいい所じゃないわよっ!」


「でも、お母さんが行きたいって言ってたから……」


「行きたいのは、あんたでしょうー?」


「それもあるー。また電話するから……」


 電話を切ったその指でアドレス帳を開いた。

 たしか去年、夏の合宿で行った『友愛の里』の電話番号があるはず。

「あった」、私は、すかさず電話した。


『友愛の里』は大学生のための合宿所で、全国の大学生が涼を求めて、ここ北軽井沢にやってくる。


 電話口に出たお兄さんは快く許可してくれた。

 その代わり別の大学の合宿と相部屋だそうだ。


 私は、美術関係だと嬉しいと言うと、某大学の美術部と一緒にしてくれると言ってくれた。

 これもまた嬉しい。


 こんなに簡単に事が進むのだったら、思い悩まずに夏休みの初日から軽井沢に行けばよかったと、今は後悔する。


 美晴がいつも言っている……

「まずは行動すること、その後で、どうするかは、それから考える」の言葉が頭に浮かんだ。


 でも、やっぱり私の性格に合わないかなって思う気もした。

 周りの空気を読んで、目立たないことが第一だった。

 嵐は身を低くして、じっと通り過ぎるのを待つ。


 現実の世界よりも、空想の世界で自分を活躍させるほうが楽しく好きだった。


 でも、それだけでは生きていけないことも、この年齢になると、だんだん分かってくる。

 少しは自己主張して、世間慣れしないと社会に出て働けない。

 大学に入って独り暮らしをして、バイトまでやっているなんて……

 私としては、思い切った冒険なのだと思っている。


 その点、美晴は偉い。いつも感心する。

 対人恐怖症といいながら、普段はそんな暗いところを微塵も見せないし、私よりも元気にバイトして社会に順応している。


「元気印の美晴には、やっぱ勝てないな」と呟いて、私はさっそく旅の支度を始めた。




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