ぼくからとおい

灯村秋夜(とうむら・しゅうや)

 

 私事なのだが、これも一種の恐怖かと思い、ここに記録しておく。


 実家の食卓は四角い。大家族だったときや事あるごとに親戚を呼んでいたころの名残で、六人以上が食事をできる机を使っているからだ。いま実家にいるのは五人で、長方形の長い方の辺に父と妹、その反対側に母と弟、短い辺の廊下側に私が座っている。部屋の奥側に誰も座っていないのは、実家を出た兄がいるはずの場所だからだ。


 配置を見ると、私だけが廊下に背を向けていることに気付いてもらえると思う。これはとても不利なのだ――というと意味不明なたわごとに聞こえるかもしれないが、じっさい不利に働いている。すぐに後ろを確認できないと、「あ、通った」と言われても本当のことかどうかわからないのである。


 父と妹、そして弟が言うには「廊下を白いものが通る」のだそうだ。長い平屋である我が家を誰が通っているのか……野良猫が通ることもあるのだが、身長は人間と同じくらいだという。簡単に言えば、幽霊かなにかなのだろう。


 彼らには見えているそれが、私にはまったく見えない。振り向かないと見られない、という根本的な問題もそうなのだが、そもそもそれらしいものを見たことがない。だからこそ、私からは遠いものだと思っていたのだが……ある日のこと、私は「かれら」を見た。家族の見たものと同一人物(?)かはわからないのだが、少なくとも、かれらのような存在がここを道として通っているのだろう、ということは分かった。




 小学生のころから希死念慮がある人間として、とくに環境の変化があるときにはそれが非常に強くなる。就職活動が失敗続きで、精神的な余裕がなくなりつつあった私は、「もう連れて行ってくれ」と誰に言うでもなく願った。すると、夢枕に「かれら」が現れた。


 かれらは十人以上の集団で、奇妙な角度のテレビの中で舞い踊り、“こちらが魅力的であること”を執拗にアピールしていた。テレビ自体の角度も異様だったが、そんな中でもかれらの首が奇怪に曲がっていることは分かった。返事をすることができないまま私は目覚めてしまい、あれは誘惑であったのだ、と気付くのにすこし時間がかかった。


 善意で差し伸べられ、しかも選択の余地があったとなれば、あれほど優しい誘いもないだろう。気付いてから私は、あの誘惑に乗るべきだったとひどく後悔した。その後就職し、人手不足が解消されたと喜ぶ同僚たちを見て、わずかながらのやりがいとともに「簡単には辞められないなぁ」という感想を持つに至ったのだが……これからの未来、ストレスに苛まれるたびに「ああ、死んでおけばよかった」と現世の地獄を憂うに違いない。命数も生きる意味もない私には、そのような未来しか見えない。きっと訪れるそれは、死よりもずっと近くてずっと恐ろしいものである。


 どちらかといえば黒かったように思うかれらは、きっと家族が見るそれとは違うのだろう。これまで私の人生が好転したとき、あるいは大きく進んだとき、それは誰かの善意の手を取ったときだった。ありえない仮定としても、もしもかれらの手を取ったとしたら、私にはいったい何が待っていたのだろうか? それこそ、救いを求めるだれかに手を差し伸べる、何よりも強く望んだ天職があったのかもしれない。


 そのように薄気味悪い空想に幕を引いて、体の保つかぎり、今の仕事に従事しようと思う。かれらに道があるように、命も一日足りとも止まることはないのだから。

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ぼくからとおい 灯村秋夜(とうむら・しゅうや) @Nou8-Cal7a

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