第十八話 試合開始

 手の平を上へと掲げたナズナの声が空に響くと、試合はすぐに始まった。


「カロット!」


 最初に攻撃を仕掛けたのはネージュだ。

 馴染みの詠唱で杖を大剣に変化させるなり地面を蹴ると、彼は素早い動きでレイシスとの距離を詰めた。慌てて離れたナズナをちらりと確認してから、大剣を一閃する。

 ブンッ――風の音と共に、刃がレイシスに迫った。

 もしも相手が、ネージュと初めて出会った者であったならば、ここで勝負はついていただろう。

 しかしレイシスは、ネージュの戦い方を熟知していた。

 何度見たと思っている――レイシスは杖を構えたまま鋭く大剣の軌道を読むと、身体を捻ってネージュの攻撃を避けた。切先が頬すれすれの位置を通過し、ネージュとの距離が近くなる。ばちりと目が合うと、レイシスはすかさず杖を向けた。


「飛べ」


 先手必勝がネージュの戦い方だとしたら、それに対抗するレイシスの武器は短い詠唱だ。一瞬で風魔法を発動させると、レイシスは巻き上げた暴風でネージュを吹き飛した。小柄な身体は塀へと激突する。


「ははっ、やるな!」


 しかし、ネージュの方もレイシスの魔法は何度も受けていた。飛ばされる最中で体勢を立て直す。両足で塀に着地し地面に降り立つと、再び走り出した。今度は詠唱を交え、カロットを低い位置から斜め上へと振り上げる。


「赤く爆ぜろ!」


 大剣が、炎を纏う。

 ネージュの得意魔法だ。振られたそれを、レイシスは背後に飛んで躱した。が、次いで彼を追うように大剣から炎の球が飛び出した。宙を舞った球は小爆発を起こし、レイシスを襲う。まるで爆弾だ。散った火の粉が魔法ローブを焼く。

 おお、とナズナは拳を握った。ナズナがネージュに使って欲しいと言ったのはもっと大規模な爆発魔法だったが――もちろん冗談ではあるが――、小さな爆発魔法は初めて目にするものだった。自分が使うなら、実を爆ぜてタネを飛ばす「トキワハゼ」を詠唱にしようかと考える。

 爆弾は一つ、また一つと飛び上がり、レイシスを追跡した。

 洋館の壁際まで追い込まれたレイシスは、避けきれないと判断し、防御魔法を使った。


「護れ、弾け」


 張られた透明な盾――おそらく風魔法の一種――は爆弾を受け止めと、爆発の火の粉をネージュの方へと弾き返した。ネージュは慌てて距離を取る。その間に、レイシスが盾を持ったままネージュへと突進する。


「水よ、獣となれ」


 突き出した盾は詠唱に合わせて今度は水へと変化した。獣を形作った水は、獲物を飲み込まんとばかりに口を大きくあけてネージュに迫る。


「すごい、水の狼だ……!」


 水を選んだのは炎魔法を防ぐためだろう。ネージュの弱点をつく――が、ネージュも炎魔法だけを得意としているわけではない。ニヤリと笑みを浮かべると、カロットを狼の口に突っ込んだ。


「黄色く貫け!」


 放たれたのは鋭い稲妻。稲妻は水の中を駆け巡り、レイシスの持つ杖まで電流を流す。ばち、という音と共にレイシスの腕が小刻みに震えた。


「くっ……! 散れ!」


 すぐさま彼は電気を纏った水を空へと放った。水は高く飛んで弾け、雨のように二人に降り注ぐ。二人とも結界を張って電気の雨を防いだ。

 見ていたナズナも、慌てて詠唱を唱える――「ヒイラギ!」

 地属性の透明な結界を張る。ヒイラギは防衛、防御、保護という花言葉を持っている。ちなみに棘の葉を持っているヒイラギをイメージしたこの結界は、カウンターにも使うことができた。

 電気の雨が収まると、まだ痺れの残る右腕に手をやりながら、レイシスが一息ついた。


「なるほど。さすが、対応が早いな」

「きみこそ、風と水、二つの魔法を同時に使うとは。どうやってやっているんだい?」

「経験だな。――突き上げろ」

「……!」


 不意打ちのように、レイシスが素早く詠唱する。呟くようにして紡がれたのは地の魔法。それは地面の下へと入り込んだかと思うと岩の形を成し――鋭角を上に向けて、ネージュを貫かんとばかりに飛び出した。

 慌てて飛び退くネージュだが、その間にもレイシスの杖は振るわれる。


「風よ切り込め!」

「赤く燃えろ!」


 レイシスから放たれた風の剣を、ネージュは辛うじて大剣で受け止めた。がちん、と鈍い音を立てて二人の得物がぶつかり合う。体制が整っていなかったネージュは一瞬たたらを踏んだが、ぐっと奥歯を噛み締めて耐え抜いた。が、反撃するには至らず、そこにさらにレイシスの魔法が襲い掛かる。


「巻き上げろ」

「な……!」


 足元を掬い上げたのは風の渦だ。避ける暇もないままネージュはその竜巻に捉えられる。

 宙に投げ出される身体。先ほど地面から飛び出した岩も、風の力を借りてネージュに迫る。足場のない空中で、しかしネージュは大剣カロットを大きく振るった。


「黒く舞え!」


 使ったのは同じ風魔法。飛んできた岩を風で弾き、砕く。続いて竜巻もその魔法で両断すると、散った岩の塊と共に地面に着地した。


「今のは危なかったぜ」


 乱れた髪を掻き上げて、ネージュは口角を上げる。冷や汗をかいてはいたが、その顔は今までに見たことがないくらいに楽しそうだった。


「やはり君との勝負は面白い! まだまだ行くぜ!」


 試合はまだ、終わらない。

 レイシスにカロットを突きつけたネージュは、再び炎を纏わせて教師に迫っていった。


(――すごい)


 二人の魔法は、ナズナの目の前で何度も交錯する。

 七つの属性を自在に操り、どんどん激しくなっていくぶつかり合いは、息を吸うことも忘れてしまうほどに壮大だった。ナズナはただただ目を見開き、いくつもの魔法に魅入る。


(二人とも、ほんとうに元素の力借りてるんだよね……?)


 そうとは思えないほど魔法の威力は高く、発動も早かった。一体どう訓練したら、あのように魔法を操れるようになるのだろう――途中からは二人の魔法に追い付けなくなり、ナズナは目を回した。とりあえず、流れ弾には当たらないように、結界だけは張っておく。

 そうして、動くこともできずにいたときだ。

 ナズナは不意に、別の魔力を感じ取った。

 試合を行う二人のとはまた別の、薄いけれど強く感じ取れる、見たことのある魔力だ。目の前でこれほどの魔法が繰り広げられているのに、その魔力は異様なほどナズナを惹きつけた。

 きっとそれは、ナズナがずっと恋しがっていたものだったからだろう。


(もしかして、来てるの?)


 ナズナは試合から視線を外し、背後を振り返った。

 魔力は、洋館の裏側から漂ってきていた。空気に溶けそうなほどの微かな魔力だが、ナズナはそれが魔力だとすぐにわかった。それを見失わないようにしながら……どうしようかと試合中の二人に目を戻す。

 二人は勝負に夢中で、ナズナなど眼中に入っていなかった。決着はまだ付きそうにない。

 勝敗はすごく気になったが……ナズナの意識は、見つけてしまった魔力から離すことができなくなってしまった。

 頭の中で天秤がぐらぐらと揺れ――その足は、洋館の裏へと向けられる。


(魔法試合の結果は、後でネジェに聞けばいいよね)


 それに、見たかったらまた試合をしてもらえばいい。それに比べて、彼とはなかなか会うことができなかった。

 ナズナはこっそりとその場から離れる。

 壁際を歩き、洋館の裏側に回り込むと、目的の人物はすぐに見つけることができた。

 彼は、花壇の中に入り、洋館の壁にへばりつくようにしてしゃがみ込んでいた。じっと壁を見つめ、何かを探しているように見える。集中しているのか、こちらに気づく様子はない。

 ナズナは辺りに人がいないことを確認すると、そっと声をかけた。


「こんにちは、フレイさん」

「……!?」


 バッと、彼――フレイが振り返る。驚きに見開かれた青い瞳がナズナを映した。相変わらず、綺麗な目だと思った。

 彼は銀の睫毛を何度も上下させたかと思うと、ふう、と安心したように吐息を零した。肩から力を抜き、頭を壁にぶつけて寄りかかる。非難めいた目線がナズナに送られた。


「……びっくりするだろ。いきなり声をかけないでくれ」

「ごめんなさい」


 謝りながらも、ナズナは胸が弾むのを抑えられない。フレイが先ほどまで注視していた壁をまじまじと見つめ、花壇を跨いで彼に近づいた。


「なにをしていたんですか?」

「……少し偵察を。君に見つかるとは思ってなかった」

「偵察?」


 フレイは迷うようなそぶりを見せたが、まあいいかと壁に手を添えた。一部分を示し、ナズナによく見るように促す。顔を近づければ、そこには小さな窪みができていた。


「なんです? これ」

「鍵穴だよ」

「鍵穴!? こんなところに?」

「ああ。隠された通路だ。俺はいつもここから図書室に入ってる」

「へええ……じゃあ今は、忍び込むところだったんですね」

「まあ……そういうことになるかな」


 もう何度もナズナの部屋を訪れているためか、彼は悪びれる様子もなくそう言った。

 ナズナも、そんな彼の言動に疑問を持たなくなってしまった。むしろ、彼の行動一つ一つに興味が湧く。まるで宝を発見したかのように目を輝かせると、鍵穴を指でなぞった。


「こんなところから入ってたんですね。これ、フレイさんが見つけたんですか?」

「まあね。この洋館には、こういった隠し通路がいくつかあるみたいなんだ」


 ナズナの部屋に行くための隠し通路はもちろん知っていたが、外と出入りするための通路があるとは考えていなかった。しかも一つではないらしい。ナズナはフレイの横顔を振り仰いだ。


「どのくらいあるんですか? フレイさんは全部知ってるんです?」

「全部は流石に知らないよ。俺が見つけたのは、ここを入れて三つ。けど、残りの二つは使いづらくてね。ほかにいい場所があればいいんだけど……君は知らないか」

「さ、探してみます、機会があったら」


 なんだか残念そうな顔をされてしまい、ナズナはそんな風に答えた。

 ふ、とフレイは笑う。


「いいよ、無理しなくても。さて、こんなところで立ち話もなんだ。中に入って話そうか」

「そうですね。って、なんだか変な感じ……」


 ここはナズナが住まう洋館なのに、フレイに案内されているかのようだ。ナズナは小首を倒し、けれど、なんだか新鮮で面白いと思った。


「それで、どうやってここを開けるんです?」

「見てればわかるよ」


 ナズナから壁に目を戻したフレイは、ヘアピンを手にし、それを杖に戻していた。かけていた魔法を解くだけなので、そこに詠唱はない。

 が、続いて飛び出した詠唱の言葉に、ナズナは目を丸くしてしまった。


「――今日のおやつはビターチョコレートクッキーかな」

「……え?」

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