第十九話 贈り物

 目を丸くしたナズナの目の前で、フレイの杖が白い光を帯びる。それは徐々に収縮していくと、鍵を形作った。

 何食わぬ顔で、フレイはその鍵を壁の窪みに差し込んだ。カチッという小気味いい音が鳴る。

 そのまま鍵を抜くと、次にフレイは石の壁を両手で押した。すると壁は扉のように奥側へと開き、狭い空間が現れる。

 ここから入れるんだ、とばかりにフレイは身をかがめて、彼の奥へと身体を滑り込ませていく――ところでナズナは驚きの声を上げた。


「な、な……なんっですかその魔法!?」

「しっ」


 しかし、その疑問はフレイの人差し指に遮られてしまった。伸びて来た指がナズナの唇に当たり、思わず口を閉ざす。ほんのりと頬が赤らんだ。

 そのまま慎重に辺りを見回したフレイは、唇を塞いだ手で今度はナズナの腕を掴んだ。


「見つからないうちに、入って」

「は、はいっ」


 思ったよりも大きな手に引っ張られて、気づけばナズナは狭い空間に身体を縮こませていた。

 石の壁が閉まると、視界は闇に覆われた。フレイの手が離れる。

 暗闇は苦手だ。少し心細くなり、ナズナはそっとフレイの上着を摘んだ。


「さっきの魔法は、鍵開けの魔法だよ」


 彼の声が反響する。


「鍵開け……? あぁ、だから壁が開いて……ってそっちじゃなくて!」

「……?」

「詠唱の方です! え、えっと、今日のおやつはクッキー? って言いました?」

「ビターチョコレートクッキーだけど、何か変かな」

「変、ではないけど……お、美味しそうですね?」


 いい言葉が思いつかず、ナズナはそんな感想を漏らした。

 正直に言えば、変だと思った。ナズナの詠唱も花の名前という個性的なものではあるが、彼の詠唱はそれを越していた。

 だって、クッキーを詠唱にする人なんてそうそういない。

 けれどフレイは全く気にする様子もなく。むしろ自信を持っているかのように、内側から石の壁に鍵をかけた。ビターチョコレートクッキーの鍵は、やはりカチリと良い音を鳴らす。


「師匠から教わったんだ。魔法には詠唱が必要らしいから」

「師匠? 魔法の師匠ですか?」

「そう。好きなものを詠唱にするといいって言われて」

「へええ! それで、クッキーを」

「クッキーというか、お菓子かな。その時の俺は、それしかなかったから」

「え……?」


 少しだけ、どこか寂しそうな声が狭い空間に落ちて、ナズナは顔を上げた。けれど、暗くて彼の表情は見ることができなかった。


「フレイさん……?」


 それしかないとは、どう言うことなのか……落とされた言葉の真意がわからず、ナズナは彼の名を呼んだ。が、ズズズ、と言う音がナズナの声をかき消してしまった。

 フレイが、入ってきた方とは逆側の壁を手で押していたのだ。壁だと思っていたそれは奥にずれていく。

 光が差し込み、ナズナは目を細めた。


「ここから図書室に入れるんだ」

「わ、ほんとだ」


 光に目が慣れると、見慣れた図書室が視界に入った。

 どうやらフレイが動かしたのは、天井まである本棚だったらしい。壁に打ち付けられた一部が動かせるようになっていたのだ。ナズナの部屋に行くための本棚の扉と少し似ていた。

 腹ばいになってその出入り口を抜けると、フレイは立ち上がってズボンについた砂を払った。続いてナズナも図書室に入り、本棚を元の位置に戻す。

 先ほどの問いかけはもうできそうになく、ナズナは開きかけていた口をそっと閉じた。

 また今度、機会があったら聞いてみよう。

 見上げたフレイは、鍵をヘアピンに戻していた。


「仕上げはチェッカークッキーかな」

「あっ、またクッキー! そうやって、杖をヘアピンにしてるんですね」

「ああ。この方がいろいろと便利だからね。ところでナズナさん、今日は外にいたんだね。てっきり、ここか部屋にいるのかと思ってたけど」

「平日のこの時間帯は魔法の授業中なんです。今日は外で実技魔法をしてました」

「へえ。それって何時まで?」

十七時ごじです。あっ、でも、今日はもう終わったんですよ。外で魔法の音が聞こえてたでしょ? 今先生とネジェが……あ、ええと、この洋館の息子さんが、魔法試合をしてるんです」

「……そう」


 何故かそこだけ返事が遅れた。首を傾げたナズナだが、フレイは話は終わりだとばかりにショルダーバッグを漁り出す。

 その瞬間、ナズナの意識は一気にバッグに向いた。

 毎回、フレイは訪れるたびにお菓子を持って来てくれていたため、身体が反応してしまったのだ。今回は何を用意してくれたのかと、目をキラキラと輝かせる。

 フレイはナズナの視線に気づくと、そんな大したものじゃないよと苦笑を漏らした。


「星祭りが近いからね。これを持ってきたんだ」


 フレイがショルダーバッグから取り出したのはお菓子、ではなく、バスケットに入った花束だった。青色の光を宿し、総苞の中に星のような小花を咲かすその花の名を、ナズナはもちろん知っている。


「ルナブルーム!」


 そう、星祭りでしか咲かない魔法の花、アストランティア・ルナブルームだった。授業前、廊下の窓から見下ろしていたばかりだ。

 近くで見るルナブルームはかっこいい名前に反してそれはそれはそれは可愛らしく、また幻想的だった。初めて間近で見たわけではないが、フレイが持ってきてくれたからだろうか、前に見たときよりも一段と綺麗に感じられた。ベージュ色のバスケットにはナズナの瞳と同じ色のリボンが付いている。


「これをわたしに、ですか?」

「ああ。君はもしかしたら持ってるかもしれないけど、よかったら」

「いいえ! まだ買ってもらってなかったんです。嬉しい……」


 そうっと両腕を差し出して、ルナブルームのバスケットを受け取った。月から注がれた青色の魔力がきらきらと輝いている。


「きれい……これが空に飛んでいくと、もっときれいなんですよね」

「ああ、花送りだね。たしかにあれは、絶景と呼べるよ」


 “花送り”とは、星祭りの最終日の七日に行われるジュピター地方特有の催しのことだ。

 アストランティア・ルナブルームは、月光に含まれる魔力を十分に貯めた後、その魔力を使って空へ飛んでいくという特性を持っていた。

 その特性を使い、人々の願いを星に届ける。それが、花送りだ。

 町を彩る青の花々が、一斉に空へと舞い上がる。七日に見ることのできるその光景は、フレイの言う通り、まさに絶景であった。


「この花が星に届くと、願いが叶うって言われてるんですよね」

「ああ。言い伝えだけどね」

「それでも、夢があります。毎年、みんなの願いが空に昇っていくのを見るのは楽しいです」


 楽しくて。それでいて、寂しくもある。そんな思いが、つい声に乗ってしまった。

 俯いたナズナの顔を、フレイが覗き込んだ。


「もしかしてナズナさん、花送りに参加したことないのかな」

「あ、えっと、はい。でもわたしは……いいんです」


 できないんです。そう言いそうになり、ナズナは慌てて言い直した。

 フレイはそんなナズナに、何かを言うことはなかった。話題を変えるように、ルナブルームに視線を落とす。


「ルナブルームの花言葉は知ってるかな。『星に願いを』と『勇気』が一般的だけど、もう一つあるんだ」

「もう一つ? なんですか?」

「『幸福を掴む』」

「幸福を、掴む……。素敵な言葉ですね」

「ああ。願いが叶わなくても、幸福を掴めたらいいね」


 彼の言葉は、じんわりと胸に響いた。鼻の奥がつんとし、ナズナは顔を背ける。


「そう、ですね……。あ、フレイさんは?」

「俺?」

「はい。花送り、行くんですか?」

「俺は……うーん、どうかな。これといって叶えたい願いもないし、眺めてるだけもいいかもしれない。カフェにでも行って、雰囲気は楽しもうと思ってるよ」

「カフェ?」

「ああ。星祭りは友達や恋人と集まって、パーティを開いてお菓子とかケーキを食べたりもするからね。毎年、飲食店は限定メニューを開発してるんだよ。星型のケーキがあったから、それを食べに行こうかな」

「星型のケーキ……! 美味しそう……いいなあ、わたしもケーキ食べたい」


 願うことなら、友達や家族とテーブルを囲んで。それこそ、フレイが今言っていたように。 

 星祭りの日は、洋館の皆は挨拶やら警備やらで外出してしまう。だから、ナズナはいつも独りぼっちだった。パーティなど、したことがない。でも、一度はしてみたいと思っていた。

 提案してみたら、皆は聞いてくれるだろうか。

 星祭りが終わった後にでも……小さなパーティでもいい。クレイス家のみんなで、食堂に集まってみたい。ここ最近、集まって食事をすることは滅多になくなっていた。ナズナの願いが一つ生まれる。


「土産はケーキの方がよかったかな」


 と、ナズナのぼやきにフレイがそんなことを言った。

 慌ててナズナは首を振る。


「そんなことないです! ルナブルームだって嬉しいですよ!」

「冗談だよ。でも、次はちゃんとお菓子を持ってくるね」

「ほんとですか!? ……って、これじゃなんだかわたしの食い意地が張っているような……」

「違うのかな?」

「ち、違いますよっ。確かにお菓子は好きですけど……あれです。フレイさんのお菓子が美味しすぎるのが悪いんです!」


 むーっと頬を膨らませてみたが、ナズナが言ったのはただの誉め言葉。フレイはどこか嬉しそうに口元を緩めていた。

 その柔らかい笑みは、最近見せてくれるようになった彼の珍しい表情で。それを見るとナズナはつい、怒っていることを忘れてしまうのだった。


「……フレイさんはずるいです」

「ん? なんか言った?」

「なんでもないですっ。あ、そうだ! わたしからも渡さなきゃいけないものがあったんだ」


 ふと、思い出したことがあり、ナズナはぽんと手を叩いた。ここで待っていてくださいとフレイに告げ、部屋へと駆けだす。

 ずっと、彼に渡さなきゃと思っていた物があった。

 急いで二階の自分の部屋に駆け上がると、ナズナは机の引き出しに大事にしまっていた巾着袋を取り出した。中にはネージュから借りた硬貨――探偵への報酬が入っている。

 図書室に戻ると、ナズナはそれをフレイに差し出した。


「はいっ、フレイさん。受け取ってください!」

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