第二十七話 ネージュとフレイ

 同じ時刻。クレイス洋館の一室にて。

 窓の外を眺めながら、ナズナはひとひらの手紙が舞い込んで来ないかと、天蓋のあるベッドの上で足をぶらぶらとさせていた。

 フレイが出てから、もう三時間は経過していた。今のところ彼からの音沙汰はない。それは何もないことを示しているのだとは思ったが、もしも魔物に襲われ、手紙すら出せない状況になっていたらという不安は拭えなかった。

 こんな不安な夜に、一人で部屋にはいられなかった。夕食後、ナズナはフォルクスの部屋を訪れていた。

 フォルクスの部屋は、二階の北側に位置する。中はナズナの部屋と同じくらいの広さで、天井から下がったシャンデリアの白い明かりが部屋中を照らしていた。

 ベッド脇には広い窓。近くには暖炉とソファもあり、壁側には書棚と収納棚が置いてあった。

 フォルクスは書棚の近くで、ふかふかのクッションが敷かれたロッキングチェアにゆったりと腰をかけ、膝の上で本を広げていた。厚いカバーに覆われていないその本は、フォルクスが持つ書物の中では珍しいもの。ナズナは興味を持ち、ベッドから落りてフォルクスの手元を覗き込んだ。


「フォル様、それなんですか?」

「これか? これはガイドブックだ」

「がいど、ぶっく?」

「ああ。隣のユレイネス地方にな、旅行会社というものが設立されたらしい。そこが販売し始めた雑誌、という書物らしくてな。七つの地方の特産やら観光地やらが書かれている。俺の友――いや、知り合い……まあ、よく来る男が一方的に置いて行ってな」

「へええ! その人は旅行してる人なんですか?」

「ああ。あやつは旅が趣味でな。旅行先で手に入れた珍しいものを何でもかんでも寄こしてくる。おかげで部屋の中が狭くなった」


 嘆息するフォルクスの視線を追うように部屋中に目を巡らせれば、確かにこの部屋には見たことのない魔道具や置物が収納棚の上や床に置かれ、埃を被っていた。使っていないことが見て取れる。が、もらったものだから捨てることもできないのだろう。


「旅行かあ……羨ましいなあ」


 思わずそう口に出すと、フォルクスは笑いながら頷いた。


「ナズナもそう思うか。俺もだ」

「フォル様も?」

「ああ、旅はいい。したことはないし、できるとも思わんが……夢を見るのはいいだろう?」

「そうですね」


 釣られるようにナズナも笑みを浮かべた。ガイドブックに視線を戻す。

 フォルクスが開いていたのは、マース地方の詳細が書かれたページだった。ここから西へ、海を超えた先にある、山脈に囲まれた地方だ。二つ火山があると書かれており、山の上に築かれた町もあるらしい。そのため、列車移動が基本なのだとか。高い山脈は魔法使いであれど、箒だけで登るのは困難だ――そう記されていた。

 読み終えたフォルクスが次のページを開く。

 マース地方の次に紹介されていたのは、ヴィ―ネス地方。マース地方の北にあるその地方は、雪が有名なところであり、冬は極寒になると書かれていた。しかし今は、行くことができない――

 フォルクスの笑みが消える。ナズナも、小さく息を吸った。

 ヴィ―ネス地方は、今や、太陽に支配された土地であった。十一年前に月の魔法石が破壊され、すべての人間、魔法使いが灰となってしまった場所。その出来事は、深く歴史に刻み込まれている。


「フォル。入ってもいいかい?」


 と、そのときだ。扉の向こうから、まだ幼さを残しながらも大人に近づこうとしている、落ち着きのある声が聞こえた。すぐにナズナはネージュの声だとわかる。

 フォルクスがいいぞ、と返事をすれば、白髪の少年は中に入って来た。

 ネージュはナズナを見ると、何故ここにとばかりに目を丸くした。


「ナズナも来ていたのか?」

「うん、ちょっと。一人だと落ち着かなくて」


 フォルクスの部屋を選んだ理由は言わなかった。フレイに依頼をしたということは、二人だけの秘密だ。

 けれどナズナは、個人的にネージュにはフレイのことを聞きたいと思っていた。執務室で初めて知った、フレイとネージュが友達であるという事実は、ナズナの興味を強く惹き、フレイのまだ見ぬ一面を求めた。外でネージュと顔を合わせたフレイは、どのような会話をするのだろう。


「ねえ、ネジェ」


 入ってきたネージュに、ナズナは早速問いかける。


「ネジェって、友達いるでしょ? 男友達とか。その友達の話、聞いてもいい?」


 本当なら、フレイという名前を出したかったが、ナズナは彼の名前を控えて、言葉を選んだ。フレイと出会っているということも秘密事項だ。悟られることのないよう、ナズナは遠回しでフレイのことを聞こうとする。


「男友達? いるにはいるが……急にどうしたんだ?」

「えっ! ええっと、急に気になって……ほら、ネジェってわたし以外の友達とはどんなこと話すのかなあって」


 しかし、ナズナは物事を隠すことも、話を引き出すことも得意ではなかった。隣でフォルクスが吹き出すくらい、おかしな聞き方になってしまう。

 案の定、ネージュは藍色のソファに腰掛けながら訝しそうにした。けれど、深くは追及はしてこなかった。友のことを話すのは嫌ではないようで、ナズナの質問に答えてくれる。


「俺は友達が少ないから、一人くらいとしか話さんが……大した会話はしてないぜ? 食べに行った時にその店の話とか、好きな物の話とか。あとは……あぁ、仕事の話もするな。そいつは探偵でな、俺のことを聞きたがるんだ」

「たっ、探偵さん!?」


 変な声が出た。絶対フレイのことだ、という確信が声に表れてしまった。慌てて口元を手で覆う。ネージュの視線が突き刺さった。


「ナズナ、今日おかしくないか? あー、いや、たまにおかしくなるよな、きみ」

「そっ、そんなことないよ! っていうか、それどういう意味? わたしはいつも普通でしょ!」

「突然金を強請ってきたり、友達の話を聞きたがったりするのは普通じゃないだろう?」

「ふ、普通だよ。全然普通。だから聞かせてよ、探偵さんの話!」


 強引にフレイへと話を戻す。

 ネージュは未だ怪訝な目をナズナに向けていたが、ふと過去を思い出すかのように視線を斜め上へとやった。そんなに面白い話じゃないぜ、と念をおく。それでもいいと促せば、彼はフレイとの出会いを話し始めた。


「――というか、何を話せばいいんだ?」

「えぇ? 何をってそれは……出会いとか?」

「そんなのが知りたいのか? まあいいが……あー、あいつと出会ったのは――十一くらいの時だったか?」


 改めて、ネージュは語り始める。

 それは、十一歳になったばかりの頃の話。


 当時友達がいなく、学校帰りに公園のベンチで暇を持て余していたネージュは、いきなり声をかけられた。

 こんにちは――と。そう挨拶をしてきたのが、フレイ・ザフィーアという少年だった。


『君、ひとりかな。親御さんや友達は……ああ、俺たちは初対面だよ。君がなんというか少し、退屈そうだったから気になって……って、これだとまるでナンパみたいだな』


 突然声をかけてきた少年にネージュが抱いた感想は、見覚えのない男だ、とだけだった。

 もともとネージュは人の顔と名前を覚えることが苦手だ。だが、それでも彼ほどの銀髪と透き通った青の瞳を見れば、印象に残るだろうと感じた。

 ネージュは突然現れた少年に対し、不思議そうな色を見せて口を開いた。


『……なんぱ?』

『えっ。ああそう、気になった人を誘う行為のことだよ』

『へえ』


 彼の言葉に、物憂げだったネージュの眼は好意に傾いた。


『ってことは、きみはおれを楽しい場所に連れて行ってくれるってことかい?』

『まあ……俺の知っている場所でよければ?』

『いいぜ。おれを連れて行ってくれよ』


 そう言って、ネージュはブランコから飛び降りた。見知らぬの少年からの突然の誘い。ネージュはそれを面白そうだと思った。

 秋の赤い月を背に、口角を上げる。


『おれはネージュ・ラパン。きみは?』

『フレイ・ザフィーア、だよ』


 そうして二人は友達となった。

 それから二年間、ネージュはフレイと共に過ごしたと言う。

 学校よりも、彼といる方が楽しかった。様々なところに遊びに行き、そして色々な話をした。

 フレイは世間知らずだった。ネージュよりも年上だというのに、まるで初めてこの世界に来たかのように、魔法に目を輝かせ、箒で空を飛ぶ魔法使いを視線で追っていた。魔法の使い方も、知らないようだった。

 そんな彼だが、一人、探している人がいるのだと、ネージュに話した。

 憧れの先生なんだ。フレイはそう口にした。


「――憧れの、先生?」


 聞いたことない話に、ナズナは復唱した。するとネージュはああ、と憂いにも見える表情を覗かせた。どこか拗ねたように睫毛を落せ、口を尖らせる。


「あいつを助けてくれた恩人なんだと。会いに来ると約束をしてくれたから、待っていると言っていた。おれはいつもその話を聞かされていたんだ」

「どんな人なの?」

「あー、なんだったか。綺麗で、かっこよくて……王子様のよう、だったか」

「綺麗でかっこいい、王子様みたいな先生……」


 ナズナは想像した。絵本に描かれているような、美人で、背が高くて、優しい笑顔を向けてくれるキラキラした人を。しかも先生と言うからには、フレイよりも年上だろう。


「男の人? 女の人?」

「わからん。そういえば聞かなかったな。王子様って言っていたから、男なんだと思っていたが」

「でも、女の人かもしれないんだよね……」


 女の人だったらどうしよう。ふと、そんなことを思った。


(フレイさんって、年上好みなのかな……)


 しかも、男であるフレイが王子様のようだと憧れるほどだ。さぞ立派な先生だったのだろう。

 王子様をナズナは見たことがないが、物語に出てくる王子様は煌びやかな雰囲気を纏い、凛々しくて、ヒーローのようだった――ナズナとは大違いだ。何故だろう、無意識に比べてしまい、胸の奥が沈んだ。

 愚痴でも話すかのように、ネージュは続ける。


「その先生のことを話すフレイは楽しそうで、会いたそうだった。だが……だがな? フレイはそいつと一回しか会っていないんだぜ? おれの方がフレイのこと知っているし、フレイと一番会っている。それなのにあいつは……ずっと追いかけていた」


 いつの間にかフレイの名前を出してしまっていたが、ナズナもネージュも気づくことはない。ネージュは寂しそうな声音で、ぶつぶつと文句を零していった。その様子から、ネージュはフレイと仲が良く、フレイのことを友として好きなのだとわかった。

 嫉妬、という感情をナズナはよくは知らない。けれど、羨ましい、と思う気持ちはわかる。自分を見てくれないと寂しくなるし、見ている相手になりたいと思ったこともある。同じような感情を抱くネージュに、ナズナはつい安心するように笑ってしまった。


「なんだ。おかしいか?」

「ううん。ネジェはフレイさんのこと好きなんだね」

「好き? かはわからんが。あいつには惹かれるんだよな。……だが、最近のあいつは変わった。先生の話をしなくなった」

「そうなの?」

「ああ。あいつ、三年くらい前に急に先生を探す旅に出たんだ。おれに何も言わないでな。そこから帰ってきたら、雰囲気が変わっていた」

「もしかして、先生に会えなかった?」

「そう言っていたな……。だからそんな前の約束、覚えているわけがないって言ったんだ。おれならあいつから離れたりなんかしないのに」

「ネジェ……」


 切なそうな、やるせなさそうな。そんなネージュの表情を見ていると、胸が痛くなる。同時に、初めて見る顔だとも思った。ネージュは普段友達の話をしないため、こんなふうに心を配れる人がいるとは、ナズナは知らなかった。

 そしてやはり、羨ましくも思ってしまうのだ。ネージュにこんなに想われるフレイにも、フレイとの思い出をたくさん持つネージュにも。ナズナもネージュのように、誰かと強い絆のような関係を持てたらよかったのに。


(でもきっと、それは叶わないこと、なんだよね)


 だからせめて、話だけはたくさん聞こうと。フレイとの思い出をいっぱい聞きたいと、ナズナは強く思った。

 ネージュに続きを促す。


「それで、フレイさんは先生のことを話さなくなったんだね。もう、諦めたってことなのかな?」

「諦めたかはわからんが、すぐ切り替えたって感じだな。あんなに話してたのは何だったんだってくらいだ。ああ、それからあいつはな」


 するとネージュは、これは誰かに話したかったんだとばかりに、更に饒舌になりだした。


「探偵になってから危険な目に遭うんだ。誘拐犯を退治しようとしたり、火事が起きた家にいた人を助けようと飛び込んで行ったりな。旅をしていた時も危ない場面は何度もあったとは言っていたが、そんなのは理由にならんだろう? あいつは昔からのんきで隙があって、周りにすぐ目を奪われて。そんなので探偵なんかやっていけるのか?」

「ネ、ネジェ? でも……確かにフレイさん、そういうとこありそう……」

「探偵なんだからもっと周りを警戒してほしい。この前もばったり町の外で出くわしてな。野盗に歯向かっていた。戦う術を持たないのに危険すぎるだろう! 本当にあれは探偵の依頼なのか? また危険な依頼とか受けていなければいいんだが」

「あ、あはは……」


 愚痴と不満を熱い口調で漏らすネージュにナズナは乾いた笑いを送る。ちらりと視線を逸らすと、その先にいたフォルクスも、明後日の方向を向いていた。

 フォルクスがフレイに魔物を探す依頼をした。絶賛、その依頼中だとは……ネージュには絶対に言わないでおこう。ナズナはそう心に決めた。

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