第二十六 お菓子の魔法
来た時よりも半分以上の時間をかけて、フレイたちは村に戻って来た。
月は傾き、西の海へと沈もうとしている。真っ黒な海に青い月が吸い込まれていた。
レイシスが村の入り口で、転がっていたランタンを見つける。ガラスは割れてしまっていたが、中に設置された火の魔石は無事だったらしく、そこに魔力を注ぎ込んで火をつけた。一つだと心許ないと思ったのだろう。レイシスはその赤い光で村の中を照らした。
「ひとまず、落ち着ける場所を探すか」
「……リリーの家」
レイシスに返事をするようにリリーが声を発した。二人が視線を注ぐ中、彼女はとてとてと歩き出す。おぼつかない足取りではあったが、向かう先は決まっているようだ。
フレイはレイシスと顔を合わせると、小さな背に続いた。
リリーが二人を案内したのは、村の端にある木造の小屋だった。扉があったと思われる壁一面は吹き飛んでいたが、それ以外は無事のようで、一晩であれば過ごせそうだった。
「ここがリリーの……お家」
家を見上げ、リリーは苦しそうに顔を歪ませた。
自分の家が壊されてしまったのだ。そのような表情にもなるだろう。
フレイの眉も自然と寄った。
魔物の退治が済んだら、なんとかこの村を復興してあげられないだろうか。その前に、行方不明になってしまった人たちも見つかればいいのだが……。
「中に入っても大丈夫か?」
優しくレイシスが問いかける。リリーは前を向いたまままた頷き、壊された入り口を潜った。
続いて小屋に上がり込み、フレイは中を見渡した。中は思っていたよりも簡素だった。
木の床に木の壁。奥に石でできた暖炉があり、その手前に木の椅子が二脚と丸卓が置かれている。丸卓の上には火の消えたランタン、左側の壁際には木組みのベッドがあった。どれも壊れていなかったが、雨が降ったばかりだからだろうか、少しだけ湿っていた。
「そういえば、フレイ」
「なに」
「食べ物や飲み物は持ってきているのか?」
「あ……」
忘れていた。慌てて愛用のショルダーバッグを探るが、出てきたのは中身が半分になった木の水筒と包装されたキャンディが数個。あとは手帳やペン、薬箱、財布くらいだ。フォルクスの依頼を受けてから真っ先に金の糸を追ってきてしまったため、遠出の準備はしていなかった。
顔を顰めたフレイに、レイシスが嘆息する。何も言い返せないが、お前も持ってきていないだろ、とそんな目を向けた。
するとレイシスはランタンを置き、フレイの横を通り過ぎて外に向かった。
「おい、どこに行くんだ」
「食べ物を探してくる。近くに川があったし、魚くらいは取れるだろう。あとは、さっきの森で食べられそうな木の実とか……」
「なら俺も行くよ」
「いや、お前はここで待っていてくれ。リリーを一人にするわけにはいかないだろ? 何かあったら魔法を空に放ってくれればすぐに気づく」
彼の指示は的確だった。確かにリリーを一人で待たせるわけにはいかないし、かといって食料調達に付き合わせるわけにもいかない。今は彼女の身体を休ませることが最優先だ。
「……わかった」
フレイは頷いた。
……つもりだった。しかしどうしてだろう。息が詰まった。
「安心しろ」
ふと、レイシスの落ち着いた声がフレイの耳を撫でる。
「いまさらお前を置いて帰ったりはしない。ちゃんと戻ってくる」
「……」
自分は今、不安げな表情をしていたのだろうか。
驚きながら頬を触り、フレイは顔を歪ませた。ふい、とレイシスから顔ごと視線を逸らす。
「早く行きなよ」
思っていた以上に、冷たい声が出た。
視界の端でリリーがびくりと身体を揺らす。しまった、とフレイは我に返ったが、出してしまった声は戻すことができず。その間にレイシスの足音は遠ざかっていった。薄暗い小屋に、リリーと二人きりになる。
「ああもう……何を今更……」
フレイは左手で乱暴に頭を掻いた。銀髪が乱れる。
レイシスと話すと、どうにも調子が狂う。その理由はフレイ自身が一番わかってはいるのだが……。今はその感情を捨て置き、フレイは木の椅子に腰を掛けた。
「ごめんリリーちゃん。驚かせたね。君も座って」
リリーはフレイから距離を置くようにベッドに座った。
(さて、どうしたものかな)
苦笑が漏れる。子供は苦手ではないが、フレイは子供の扱い方がいまいちわからなかった。もっと年下の子とも関わりを持てばよかったと、少しだけ後悔する。
こういう時、ナズナはどうするのだろうか――ふと、桃色の瞳を輝かせる彼女の顔が頭に思い浮かんだ。女の子と二人きりという、似たような状況になったからかもしれない。
そういえばナズナといるとき、フレイは彼女の扱いに困るようなことはなかった。もちろん、リリーとナズナでは年の差がありはするが、考えてみれば、洋館に行った際、いつも話しやすい雰囲気を作ってくれるのはナズナの方だった。人好きな笑みを浮かべ、フレイの話すべてに興味を持ち、喜怒哀楽様々な感情を見せてくれる。無意識にそれに助けられていたのだと、フレイは今になって気づいた。
フレイはと言えば、ナズナにしてあげられていることは、お菓子や花を持って行くことくらいだ。それでナズナは喜んでくれたが……リリーには、何をしてあげられるだろう。彼女の心を癒せるものが欲しいと、フレイは考えを巡らした。
「……そういえば。魔法に興味を持っていたね」
口をついて出たのはそんな言葉。反応したようにベッドの上でじっとしていたリリーが顔を上げる。翡翠の瞳がフレイを映した。
ヘアピンに戻し忘れ、ここまで左手に持ったままだった杖を見る。リリーの視線も、その杖に注がれた。
自身の魔力量が少ないため、フレイはあまり魔法を使うことがない。けれど、使えないわけではない。自分を拾ってくれた師匠からは、たくさんの魔法を教わった。
そのうちの一つを、詠唱にする。
「温まるなら、焼きマシュマロを」
杖の先に小さな火が灯った。蝋燭の火くらいの、ささやかな灯火。咄嗟にその魔法にしたのは、昼間、ナズナが使ったストロベリーキャンドルという魔法を見たからだろうか。
緊張を綻ばせるような温かさが室内に生まれる。フレイは立ち上がると、思いついたように暖炉へと歩み寄った。
この家は暗く、寒かった。初夏だというのにひんやりとしている。これでは、安心して休むことはできない。後で食事をするためにも、フレイは魔法で暖炉に火を灯そうと考えついた。
暖炉の中には湿った薪が置いてあった。フレイはしゃがみ込むと、手前側に置いてある細い薪に熱を当てた。火を大きくし、乾かしてから着火する。
薪に指の先ほどの火が付く。消えないよう、しばらく魔法を当て続ける。
と、いつの間にかリリーがフレイの隣に降りて来ていた。その手には、藁が握られている。彼女は火に藁を近づけると、引火させてから薪の下へと放り込んだ。
それを見て、フレイはまた魔法を紡いだ。
「綿あめの香りを吹かせて」
風魔法だ。生まれた風は薪の下に空気を送り込む。その瞬間、火は勢いを増した。
ぼう、と音を立て、暖炉いっぱいに赤い炎に広がる。ひんやりとしていた空気はすぐに温められ、冷え切っていたフレイとリリーを包み込んだ。ぱちぱちという音が鼓膜に触れる。
ふわ、と。リリーの頬が膨らんだ。
(あ……笑って、くれた……?)
僅かだが、リリーは橙色の明かりを受けて、笑みを浮かべていた。
笑顔は、人を安心させる。フレイはつられるように微笑を洩らした。
リリーがフレイを振り返る。
「……おなまえ」
「え? 俺の? 俺はフレイ、だよ」
「フレイ、お兄ちゃん……やきましゅまろって、なあに。わたあめって?」
フレイは目を丸くした。そこに触れられるとは思っていなかった。
けれど、話しかけてくれたことに嬉しくなった。
オレンジ色の光に染められる問いかけに、フレイは人差し指と親指で丸を作る。
「焼きマシュマロはこのくらいの大きさの、白くてふわふわしたお菓子を焼いたものだよ。中にチョコが入ってたりもするかな。綿あめは……そうだね、物によるけど、俺が作るのはこのくらいの大きさの……」
今度は両手でリリーの顔くらいの大きさを表す。こちらもふわふわしている、雲に似た形の、砂糖みたいに甘いお菓子だと教えれば、想像を膨らませたリリーの瞳がきらりと輝いた。口がこの弧の形を描く。
「おかし、食べてみたい」
「いいよ。今度リリーちゃんのために作ろう」
「……うん」
リリーは頷く。口角が上がり、丸まった身体が弾むように上下に揺れた。
楽しみにしているのだと、フレイは感じた。胸を躍らせるように身体を揺らすその仕草は、お菓子を毎回楽しみにしてくれる誰かのよう。フレイの口元も同じように緩んだ。
一緒に笑うように、目の前で温かな火が弾けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます