第二十五話 行方不明の少女

 ジュピターは森が多い地方だ。東半分はほぼ森で覆われており、そこはジュピターの大森林と呼ばれているほど。その大森林と比べたら、現在フレイたちが立ち入っている森は十分の一にも満たなかったが、それでも中は迷宮のようになっており、何度も同じ場所に戻ってきているのではないかという錯覚を覚えた。けれど確認した木の幹には、レイシスが都度残している魔法の傷跡は見当たらなかった。そのたびにフレイは、道を間違えてはいないのだと自分に言い聞かせた。

 金の糸は、森に入ってからは北の方角を示していた。魔力を帯びてはいるが、光を放っているわけではないため、その先は相変わらず闇に覆われて見えない。足元も滑りやすく、二人は慎重に歩を進めていった。


「なあ……えっと、フレイ?」


 ふと、名前を呼ばれた。

 びっくりしてしまったのは、その響きが久しいものに聞こえたからだ。フレイは思わず顔を歪める。レイシスの声で名を呼ばれると、どうしても過去の断片がちらついてしまう。緩く首を振り、暗闇に目を向けながら返事した。


「なんだよ」

「何故魔物を追ってるんだ? 退治じゃないよな」

「……依頼だよ」

「依頼……? ああ、確かお前、探偵だったか」

「ああ。でも、本当に探してるのは魔物じゃないんだ。リリーっていう女の子でね……」


 枝をかき分け、太い根を乗り越えながら、フレイはレイシスに魔物を探す理由を話した。ここまでついて来てもらいながら、何も説明しないのは流石に横暴だと思った。

 最近頻繁に発生している魔物の被害。そのうちの一つ、襲われたカルム村から一人の依頼人が来たこと。その依頼人の子供を探している最中、村を襲った魔物が“特殊”だと知ったこと。

 そして、偶然にもリリーの所持品であるネックレスに、その魔物の魔力が籠っていたこと――口に出すと、それはますます不可解なことのように感じられた。

 何故、リリーは魔物の魔力が籠ったネックレスを持っていたのだろう。依頼人アルバはこのことを知らなかったのだろうか。それとも、リリーを襲った魔物の魔力が、ネックレスに吸い込まれた……?


「特殊な魔物か……確かに、ベッセル教会を襲った魔物は異質ではあったな」

「見たのか?」

「ああ。禍々しい魔力を感じてな。駆けつけた時にはリートス様が追い払っていたが……お前の言う通り、ネックレスの魔力、似ているかもしれないな」

「……お前はどう思う。魔物の魔力が物に篭ることなんかあるのか?」

「いや、そんな例は聞いたことがない。そもそも魔物は魔法使いのように魔力を操るようなことはできない。本能的に魔法を発するだけで――フレイ」


 突然レイシスが立ち止まり、フレイの持っていたランタンの光を消した。驚いてフレイは歩みを止める。なんだよ、と言う声は出なかった。すぐ近くで土を踏み締める音が聞こえ、金の系が揺らいだからだ。

 魔物が動いている。空気が冷えたような気がした。

 気づかれたか、とレイシスに小声で問うと、わからないとだけ返って来た。

 風が吹き、近くの葉を揺らす。耳を済ませば、遠吠えが聞こえた。魔物のものか、それとも野生の獣のものか。

 しばらくじっと様子を伺っていると、レイシスの方が声を落とした。


「……おかしいな」

「……? 何か見えたのか?」

「いや。魔力の気配はするんだが、殺気を感じないんだ。距離的には近いはずだが……今のは魔物じゃないのか……?」


 レイシスが動く。再び低い位置でランタンに光を灯すと、慎重に木々の奥を覗き込んだ。一緒になって目を凝らせば、その先には太い樹木があり、トンネルのようなうろが見えた。

 そのうろに、影はいた。一瞬魔物かと緊張を走らせたが、すぐに違うとわかる。

 蹲る足は人間のもの。もたげられた頭に、朱色の髪。こちらを向いた翡翠色の瞳が、ランタンの光を反射する。


「君は……!」


 咄嗟にフレイは走り出した。彼女に駆け寄る。

 そこにいたのは少女だった。薄汚れていたが、白いワンピースを身に着け、素足を晒しているその姿は――フレイが探している写真の子、リリーだった。見間違いではない。

 しかし何故か、金の糸は彼女の胸元を示していて――


「来ちゃだめ!!」

「……!」


 突然、リリーが鋭い声を上げた。近寄って来たフレイから逃げるように、ぎゅっと身体を抱きしめ縮こまる。張り上げられた声と強張った身体は、フレイたちを拒絶していた。

 怖がらせてしまったかと、フレイは足を止めた。少し距離があるところで、そっと話しかける。


「ごめん、驚かせて。えっと……こんにちは。俺はフレイ。君は……リリーちゃん、かな?」


 リリーは顔を俯かせ、上目遣いでフレイを見やった。息は荒く、肩が大きく上下している。その表情から警戒していることは見て取れたが、身体に大きな怪我はなくさそうだった。行方不明になってからひと月は経過しているというのに、衰弱している様子もない。ひとまず安心したが……一体この一ヶ月間、彼女はどこで何をしていたのだろう。ずっと、ここに蹲っていたのだろうか。


(いや、考えるのは後だ。まずはこの森から出て、どこかで休ませないと)


 金の糸は相変わらず彼女を示していたが、それは一旦置いておき、フレイは土に片膝をついた。

 刺激しないよう彼女と目線を合わせ、もう一度声をかける。


「リリーちゃん」

「……だめだよ、触っちゃ、だめ……」


 それだけをリリーは繰り返す。恐怖からか背をうろの奥にぴったりと付け、フレイたちから必死に距離を置こうとしていた。

 先に彼女の恐怖を和らげ、警戒心と解かなければ。

 フレイは思考を巡らせ、辺りへと視線を走らせた。何か、彼女を落ち着かせられるものはないだろうか。


「……あ」


 そこでフレイは、草木の中に隠れる一輪の蕾を見つけた。木の根の間に咲こうとしている、ひとひらの彩り。赤いそれはリリーの髪とよく似ていた。

 手を伸ばし、小花を手に取る。ランタンの光を受けた小花はとても可憐で、凛としていた。根を傷つけないようにその花を摘みあげると、フレイは反対の手でヘアピンを取った。


「ペチュニア。花言葉は、心の安らぎ。これを、君に――贈り物はマドレーヌかな」


 詠唱し、杖の先端で蕾を軽く揺らす。魔力が流れていく。すると、赤い蕾は魔力を吸い取り、徐々に花弁を開かせていった。弾けるように、甘美な果実を思わせる真っ赤な花が咲き誇る。

 わあ、と目の前で掠れた声が上がった。リリーが目を見開き、咲いたペチュニアを見つめていた。

 フレイは淡い笑みと共に、ペチュニアの花弁をリリーの手へと伸ばした。土に汚れた小さな手が、遠慮気味に、けれど真っ直ぐ差し出されたペチュニアを受け取る。


「まほう、つかい……?」


 漏れた声が、フレイに尋ねた。幼い顔をまっすぐ見つめ、フレイは頷く。


「ああ。俺は魔法使いだ。君を探しに来た」


 瞠目した瞳が潤む。ペチュニアを両手で握りしめると、リリーは口元歪ませた。震える息を漏らし、今まで我慢していたものを吐き出すかのように声を上げる。


「まほうつかいさん……たすけてぇ……リリーもう、やだあ……」


 ぼろぼろとリリーの瞳から涙が溢れ出した。ペチュニアを握った手に、いくつもの雫が落ちる。

 フレイの心がきゅう、と痛んだ。

 どうしてこんな小さな子が、このような森の中で一人、取り残されるようなことになってしまっただろう。できるだけ早く安心できる場所に連れて行こうと、再び手を伸ばす。

 けれど彼女は、伸ばされた手を見るとまたしてもびくりと身体を揺らした。


「だめ!!」


 それはもはや反射だった。拒絶、というよりは警告のような。思わず腕を引っ込めたフレイに、リリーは声を震わせながら告げる。


「だめだよ、リリーに触ったら黒くなっちゃう……」

「黒く……?」


 何かの比喩だろうか。問いかけてみたが、リリーは酷く怯えたように首を振るのみ。何故かは不明だが、触られることに恐怖を覚えているようだった。

 困惑し、フレイは思わずレイシスを見た。

 レイシスはフレイの後ろに立ったまま、冷静に二人のやり取りを観察していた。その瞳がフレイの視線を受け止める。彼は同じようにフレイの隣にしゃがみ込むと、リリーと目を合わせた。


「リリー、といったか。俺はレイシスだ。教師をやっている。先生、と呼んでくれ」

「……せんせい?」

「ああ。お前には触らない。だから、一旦俺たちとここを出ないか? 大丈夫だ、危険な目には遭わない」


 フレイは目を見開いた。その横顔が教師に見えたからだ。いや、彼の職業は教師ではあるのだが、誰かに対してこんなふうに向き合う姿を間近では見たことはなかった。だから驚いてしまった。

 リリーはレイシスの言葉の真意を確かめるようにじっと彼を見上げていたが、少しして、小さく頷きを見せてくれた。


「……行く」


 ほっと、フレイは胸を撫で下ろした。

 レイシスが距離を取る。真似るようにフレイも後ろに下がると、リリーは土に手をつけてうろから這い出てきた。ふらつきながら立ち上がる。

 ――ひゅ、と。フレイの喉の奥で音が鳴った。


「リ、リリーちゃん! その血……!」


 思わず声まで上げてしまったのは、リリーのワンピースの腹部に赤黒い血が付いていたからだ。それは広範囲に広がり、ワンピース下半分を赤く染め上げている。

 怪我しているのでは、足を踏み出したフレイの腕をレイシスが掴む。違う、と声がかかった。


「別の血だ。リリーのじゃない」

「別の血……?」


 オウム返しのように問いかけ、フレイは見開いた目でもう一度赤を見た。

 よくよく観察すれば、その血は乾いており、リリーが痛みを訴えている様子もなかった。


「よかった……」


 安堵の息を漏らす。心臓に悪い。


「リリー。痛いところはないな?」


 確認のためにレイシスが訊けば、リリーは首肯した。


「うん」

「そうか、ならいい。よし、村に戻るぞ。足元に気をつけてな」

「わかった」

「リリーちゃん、何かあったら俺が支えになるから」

「……だいじょうぶ」


 フレイにそう答え、リリーがレイシスの後に続いて歩き出す。足を取られた際、すぐに手を貸せるよう、フレイはリリーの後ろに着いた。何故かワンピースの背中、肩甲骨の部分にだけ、縦に二つ、裂け目が付いていた。

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