第二十四話 嫌いな風と、糸の先へ

 護衛は必要ない。そう言い切ったフレイだったが、早くも自分の発言に後悔していた。

 いや、後悔ではない。クレイス家の魔法使いに護衛をしてもらうことに、抵抗があったのは本当だ。だからつい、必要ないと即答してしまったが……一人で魔物の元に向かうのは、少々心許なかった。

 だからと言って、今更フォルクスに頼みに戻るわけにも行かず。洋館から出たフレイは考え込みながら、なんとなしに広場に足を運んだ。

 星祭りを迎えた町は、昨日にも増して活気だっていた。

 町を彩るバラの代わりに飾られた青い花――アストランティア・ルナブルームが至る所で輝き、テイエース全体を青く染め上げている。月の光を貯めるそれは、人の願いを星に贈る花送りに欠かせない花。あと四日後には淡い光と共に空へと舞い上がるだろう。

 早くも最終日に向けて、広場にはたくさんのテントが張られていた。星祭りならではの商品が売られている――星形をしたお菓子にアイス、食器にアクセサリーなど。他地方から訪れた人がテントに引き寄せられ、目を輝かせていた。その手にはフラワーバスケット。中身はもちろんルナブルームだ。

 そんな町中に時折、目を光らせた魔法使いが通りがかる。彼らは最近できた部隊、魔法討伐隊のメンバーだ。魔物の被害が多い今、町に魔物が現れないよう、警備を行っていた。

 リーダーはクレイス家の息子であり、フレイの友でもあるネージュ・ラパン。先ほどは気に入っているという教師と魔法で戯れていたようだが、その後、仕事に戻ったのだろう。洋館から箒に乗って出て来る白の髪を見つけた。ネージュはフレイには気づかなかったようで、そのまま通り過ぎていく。

 そして。彼が出て来たということは、魔法の訓練とやらを終えた教師も現れるということで。

 予想通り、洋館の門に目を向けると、疲れた様子で歩く影があった。思わず顔を顰めてしまったのは、彼が見知りすぎた人物であり、あまり顔を見たくない男でもあったからだ。

 レイシス・ヴィルデ。魔法学校で一番腕の立つ教師であり、フレイの隣人であり――睡眠を妨害してくる男だ。

 レイシスはネージュと魔法を繰り広げていたからか、杖を手にしたままだった。だらんと下げた腕と、ローブの端の焼けた跡から、激しい乱闘が繰り広げられていたであろうことはわかったが、どちらが勝ったのかまでは推測できなかった。

 しかし、フレイは知っている。彼が、ネージュとやり合えるくらいに強いことを。レイシスの魔法の腕は見たことがなかったが、以前ネージュが先生には勝ったことがないと言っていた。

 ――おそらくその魔法の腕は、フレイの行く先でも使える。


「……」


 これからフレイが向かうところは、魔物の居場所だ。もしかしたら棲家があるかもしれないし、群れをなしているかもしれない。運が悪ければ、無事では済まない可能性もある。フォルクスにも伝えたが、フレイは魔物と戦えるほどの強い魔力は持たなかった。

 それに、今のフレイには金の糸の先に早く辿り着ける足もない。歩きや馬車で行くことは可能だが、時間がかかってしょうがない。その点レイシスは、そのどちらに置いて最も適任であった――そう、感情を押し退けた脳がフレイに囁いた。


「……おい、お前」


 仕事に私情は挟まない。使えるものはなんでも使う。それがフレイのやり方だ。今までもそうして探偵業をこなしてきた。

 ――だからそう、これは仕事のためだ。


「ん? 何か――お前は……」


 なるべく感情が表に出ないよう、無表情を意識して話しかけると、レイシスはフレイを見て驚きと怯えの反応を見せた。その頬には湿布が貼ってあった。昨日の夜、何度目かのフレイの拳が炸裂したところだ。しかしそれはこの男が悪い。


「箒を出せ」


 命令口調でフレイは言った。

 案の定、レイシスは困惑した。疲れの滲んだ顔が、僅かに歪む。

 迷惑だろうか、と考えないフレイではない。こうやって他人を頼るのは本当に稀だ。だが、今回は強く出た。

 こいつにはいつも迷惑をかけられているのだ。同じくらい迷惑をかけてもいいだろうと。


「箒を? どういうことだ?」

「そのままの意味だ。行きたいところがある。箒を出せ」

「なぜ俺の箒で? 自分の箒で行けば……」

「いいから、出せ」

「は、はい」


 有無を言わせぬ口調に、レイシスはこくりと頷いた。

 何故だろう。要求したのは自分なのに、言いなりになる彼に苛立ちが募った。


「箒を」


 短い詠唱一つ。レイシスが杖を箒に変える。彼が跨るのを確認すると、フレイはその後ろに着き、同じように柄に座った。

 行くぞ、と言う声に、レイシスの魔法ローブを掴んで身を固くする。するとレイシスを中心に風が巻き上がり、フレイの足は宙に浮いた。身体が地面から離れる。

 湿った風が、フレイの銀髪を撫でる。一瞬だけ下を見てしまい、揺らいだ身体に息を呑んだ。掴む手に力を入れる。


「……お前」


 ちらりと振り返り、レイシスが意外、と言ったように眉を上げた。


「高いところが苦手なのか」

「違うよ。ほら、早く向かってくれ」

「行き先を聞いてない。何処へだ?」


 ああ、そうだった――フレイはポケットから金のネックレスを取り出す。それは洋館を出てからここまで、ずっと西の空へ糸を張っていた。

 方角を教えようとしたフレイは、ふと問いかけた。


「お前、ここから出てる金の系、見えるか?」

「金の系……? いや、見えないが」

「……そう」


 やはりこれは、触れている者にしか見えないらしい。それは、学校一強いと言われるレイシスも同じのようだ。

 少しだけ、苛立ちがなくなった。ネックレスを彼の背中に押し当てる。


「なっ……これは、なんだ?」


 驚きに目を見張るレイシス。フレイは彼の後ろから、金の系が示す先を指差した。


「その魔力を追ってくれ」


 何かを感じ取ったのだろうか。レイシスはそれ以上問いかけることなく無言で頷くと、箒を飛ばし始めた。一つに結わかれた鳶色の髪が、目の前で揺れる。

 風を切り、風を纏う箒の上で、フレイは口を引き結んだ。

 一年ほど前から、フレイは風が好きではない。けれど、風に守られたその空中は、酷く懐かしい香りがした。


 金色の魔力の跡は、ジュピター地方最西端の森の中へと向けられていた。その森のさらに西には、月に照らされた海が広がっている。

 月は地上にも、柔らかな青の光を注いでいた。テイエースを過ぎた眼下に流れるは農場と、横幅の広い川。先ほど通過した村の住民と思われる人もちらほらと見える。あ、とフレイたちを見つけてはしゃぐ子供に、フレイは軽く手を振り返した。


「ランタンに、灯を」


 レイシスが呟く。視線を前に戻すと、レイシスが自分の髪の毛を一本抜き取り、それをランタンに変えていた。火を灯したランタンを箒の柄にぶら提げる。杖を箒に変えたまま、上級魔法である変化の魔法を軽々と使う姿にフレイは驚いたが、それよりもと彼の肩を強く引いた。


「おい、お前、髪……」

「髪? ああ、森に入るには明かりが必要だろ? ランタンに変化できるものが俺の髪しかなかったからな」

「他にもっと、あるだろ。石とか木の枝とか。降りればその辺で拾える」

「……? 髪でも変わらないだろ?」

「なんでお前はそう……もういいよ」


 言いかけて、フレイはやめた。言っても無駄だと思ったし、こんなことをいちいち気にする自分にも腹が立った。

 魔法で作られたランタンが、音を立てて揺れる。息を吐いて視線を落とせば、深そうな森が近づいているのが見えた。その森は過去、魔物が出たとされる場所だった。


「村があるな」


 誰にともなくレイシスが言う。視線を追って森の南側に目を移すと、彼の言う通り、森と川の間に小さな村が見えた。しかしその村の建物は、跡形もなく崩れ去っている。


「……カルム村だ」


 フレイは目を細めた。

 そう、その村は――フレイの依頼人、アルバが襲われた村だった。

 金の糸は、町を通り過ぎ、森の中を示している。まるで魔物が、森に帰っていったかのように。 

 あの森が、人型の魔物の棲家なのだろうか。


「とりあえず町に降りるぞ」

「ああ」


 箒がゆっくりと下降する。

 川が近いからか、湿気を多く含んだ空気が身体に纏わりついた。じっとりとする、嫌な空気だと思った。

 レイシスは村の、川に面している方の出入り口に箒を降ろした。

 ネックレスをポケットにしまい、箒から降りる。レイシスの隣に立ち、フレイは改めて村を見た。

 きっと、人がいた頃は水と自然に溢れた綺麗な村だったのだろう。

 紫と白のクレマチスに覆われた柵が村を囲い、井戸の近くには洗濯物が干してあった。そばに大きな畑があり、その奥の公園には石でできた小型噴水が見える。人が住んでいたことが見て取れた。

 しかし――それらはもう、壊されている。


「酷いな……」


 レイシスが顔を顰めた。深い緑色の瞳は、血に染まった洗濯物を見つめていた。


「ああ……ひどいよ」


 クレマチスの柵は、無残に倒されていた。焼けた跡が今もなお残っている。

 井戸には爪のような傷に、血痕。レイシスが拾った子供の服は土と赤に塗れ、畑は荒されていた。公園の噴水も、半分以上が吹き飛んでいる。

 初めてこの村に調査に来た時、あまりにも惨い光景にフレイはしばし息ができなかった。

 ここで、人が殺された。魔物によって。半分は死に、そしてもう半分は行方不明。一体ここでどんな悲劇が巻き起こったのか。謎を解くためにも、フレイは糸が示す森へと歩き出す。


「お前は何を追ってるんだ?」


 その時、レイシスが問いかけてきた。振り返ると、真剣な瞳がフレイを見つめていた。彼の視線は、次にネックレスに移される。

 そういえば事情を話していなかったと、ここに来て気がついた。


「魔物だよ」


 隠す必要もなかったため、フレイは素直に答えた。魔物が近くにいるとわかっていた方が、彼も対処がしやすいだろう。

 平然と言って退けたフレイに、レイシスはやはり怪訝な表情を見せた。何を言っているんだ、と言った顔だ。つり目に無表情のため凄んでいるようにも見えたが、頬に湿布が張ってあるからか様になっていなかった。


「本気で言っているのか?」

「本気だよ。なんで嘘を付く必要がある」

「いや、嘘だとは思っていないが……お前、魔物と戦えるのか?」

「……戦うつもりはないよ」


 迷った末、そう返した。

 フレイはただ、魔物を見つければいい。魔法鳩を飛ばし、フォルクスに報告すれば、あとは彼らが処理してくれるはずだ。

 その間にリリーを見つけることができれば、フレイの目的も達成できるのだが……ここで考えていても仕方がない。まずは行動をしなければ。

 フレイは話を打ち切り、改めて森に向かった。

 水の含んだ土を踏み、壊れた木の家の横を通り過ぎる。魔物がここを襲ってからもう何日も経っているというのに、まだ血の匂いが残っている気がした。なるべく飛び散る赤を見ないようにしながら、森の中に入る。

 土の上に伸びた根を跨いで生い茂る枝と葉を潜ると、視界は一気に黒く染まった。奥が全く見えない。見上げても、辛うじて月の光が入って来るのみ。頭上はほぼ暗い緑に覆われていた。

 フレイは光を灯すべく、ヘアピンに手を伸ばそうとした、が。


「何のために用意したと思ってる。これを使え」


 ふわりとした光が唐突に右横に現れた。差し出されたそれは、魔法の火で灯されたランタン。隣を見れば、追ってきたのだろう、レイシスの姿があった。


「お前……」

「着いて来るな、とは言うなよ? 魔物がいるかもしれないこんな森の中に、一人置いていけるわけがないだろ。それにお前、魔物のことを想定して俺を選んだんじゃないのか?」


 図星で言葉に詰まった。

 その通りだ。使えると思ったのは事実。つい、置いていこうとしてしまったのは、日ごろの行いが悪いからだ、レイシスの。


「……行くよ」


 だから、一言だけ声をかけて、フレイはランタンを受け取った。

 レイシスは息を漏らし、フレイの後に続く。零れたその息は呆れか失笑か。歩き出していたフレイにはわからなかった。

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