第二十一話 魔物調査
危なかった――そう、フレイは胸を撫で下ろしていた。
この洋館に来た理由がバレるところだった。
ナズナが言い当てたように、フレイはクレイス家に調査に来ていた。
もちろん、依頼のためだ。
約一ヶ月前、フレイはアルバという女から、娘を探して欲しいという依頼を受けた。
その依頼は、思ったよりも難航していた。
依頼を受けた後、フレイはすぐに襲われたというカルム村に出向いたのだが、行方不明の少女を見つけることはできなかった。
近くの村や町で情報を集めてみたが、目にした者にさえ出会えなかった。知り合いの情報屋の手も借りているが、それでも未だに行方はわからない。
だが、全く手がかりがないわけでもなかった。
テイエースに戻る度に、ナズナに会うため洋館に訪れていたフレイは、毎回メイドたちの噂話に聞き耳を立てていた。それから魔物に襲われたベッセル教会に赴き、魔物を見たという人と接触した。そこでわかったことは、カルム村に現れた魔物は特殊で――しかもその魔物はベッセル教会をも襲っていた――、その情報をクレイス家が公にしていないということだった。
領民に不安を抱かせないため、と言われればわかる気もするが……フレイは何か隠しているのでは、という疑いを抱いた。その魔物について調べれば、何かが見えてくるかもしれない。
そんな勘のようなものを頼りに、今日、クレイス家内部の調査に乗り切ったわけだが。
「……鍵がかかってる」
情報が多いであろうと推測し、向かった執務室は鍵がかかっていた。ガチャ、と、ドアノブはフレイの訪れを拒む。
領主にしか見られない書類があるのだ、当たり前だろう。
フレイは特に驚くこともなく、ヘアピンもとい愛杖を手に取った。
「今日のおやつはビターチョコレートクッキーかな」
慣れた魔法で杖を鍵に変え、鍵穴に差し込む。
フレイ得意の鍵開けの魔法は、見た鍵穴に合った鍵を作りあげることができる。
クレイス洋館内部とて例外ではなく、扉はフレイの意思に従って奥へと開いた。
中は薄暗く、紙とインクの匂いがした。目を凝らすと、左手にある執務机に、大量の書物が置かれているのが見えた。その机を囲む三方の壁には背の高い本棚。右側の壁には大きな窓があったが、木の陰になっているためか、月明りはほとんど入ってきていなかった。
扉を閉めたら何も見えなくなってしまうだろう。フレイは先に明かりを灯すことにし、ランタンを探した。
不意に、左の脇下を何かが通過したのはその時だ。はっとしてそちらに目をやれば、それは執務室の机へと走っていき、声を発した。
「ストロベリーキャンドル」
花の名だった。続いて赤い光が灯り、フレイはその声が詠唱だったのだと知る。
部屋が柔らかな魔法の火で照らされた。彼女はその火をランタンに灯すと、振り向いてフレイを招いた。
「フレイさん、早く、こっちです」
「ナズナさん!? なんで……」
「いいから早く! 閉めて閉めて!」
囁くような声で強要され、フレイは慌てて後ろの扉を閉めた。誰かが近づいていたのか、扉の隙間から僅かに足音が聞こえた。無意識に息を殺す。
ナズナに目をやると、彼女はフレイが扉を閉めたことを確認するなり、執務机の書類に目を落としていた。急いで追いかけて来たのか、その腕にはルナブルームのバスケットが提げられたままだ。
音を立てないように気を付けながら、フレイはナズナに近づいた。
「ナズナさん」
「うわあ……難しい文字ばっかり。フォル様、毎日これを見てるの……?」
「なんで着いてきたのかな」
少しだけ咎めるような声になってしまったのは否めない。けれどフレイは、ナズナには来てほしくなかった。
これからフレイは、領主の書類を無断で観覧するのだ。仕事のためとは言えど、それがよくないことは百も承知である。こんな幼い少女に見られるものではないと、良心が言っていた。
しかしナズナは、そんなフレイの心情なぞ知らんという顔で、む、と口を尖らせた。
「フレイさんがわたしよりもこっちを優先するからです」
「君ねえ……」
「いいじゃないですか。ここの調査ならわたしはお役に立てます。あとわたし、他の魔法使いの気配に気づけますし」
「……ナズナさん、なんか怒ってる?」
「怒ってないです」
いかにも怒ってますという雰囲気を発しながら、ナズナは書類を漁りだした。
はあ、とフレイは溜息をつく。
ここまで来てしまっては、今更彼女を追いだすわけにはいかなかった。それで誰かに見つかってしまっては元も子もない。諦めてフレイは、彼女と共に情報集めをすることにする。
「それで。君は俺がなんの資料を探しに来たのかわかってるのかな」
「えっ……あー、えと。知らない、です。なにを探しているんですか?」
丸い瞳が素直にフレイに問いかける。
「……魔物についての資料だよ」
仕方なく、フレイは彼女にカルム村に現れた魔物の資料を探しているのだと教えた。それから、首を傾げ続ける彼女に、魔物に襲われた子供を探しているのだということも伝える。
子供は未だに行方不明。得た情報は、村を襲った魔物がクレイス家が隠すほど特殊ということのみ。それを調べたところで子供が見つかるかは定かではないが、情報は多いに越したことはない。些細なことが解決の糸口になることはよくある。
ふんふんと頷きながらフレイの話を聞いたナズナは、室内を見渡した。
「なるほど。だから魔物の資料なんですね。それなら、こっちの方かな?」
「ナズナさんは、よくここに出入りするのかな」
「いえ、初めて入ります」
「初めて!?」
予想外の言葉に思ったよりも大きな声が出てしまった。慌てて口を抑え、自分よりも背の低いナズナにぐっと顔を近づける。
「期待しただろ。なんでそんなに自信ありげなんだ」
「えへへ、実は前から入ってみたかったんです。大丈夫です、任せてください」
「何を任せろって? やっぱり俺一人で十分だよ。だから君は――」
「……っ! フレイさん!」
突然、ナズナに腕を引かれた。今度はなんだと目を見開いたフレイは、すぐに扉が開く音を耳にする。
誰かが入って来た。
フレイは慌ててナズナと共に屈み込み――ナズナはフレイを隠そうとしていたのだろう――、執務机の陰に身を潜めた。が、勢いよく引っ張られたため、肩が机の脚にぶつかってしまう。
大きな音を立て、乗っていた紙束が落ちる。
それは、この部屋に誰かがいると知らせるには十分だった。
まずい、とフレイはヘアピンを手に取った。最悪、捕まる前に霧でも発生させてここから逃げようかと考える。
しかしその前に、ナズナがフレイを隠すように躍り出た。
「ご、ごめんなさい、ちょっと探し物をしてて――って、フォル様……!?」
「……!」
思わずフレイは息を呑んだ。目だけを扉に向ける。
彼女が口にしたのは、この洋館の当主の名だった。
ナズナの陰から、フレイはその姿を見る。
青みがかった黒の長髪に、金の瞳を持つ男は、紛れもなくクレイス家当主――フォルクス・クレイスだった。長い睫毛を伏せるようにしてナズナを見下ろし、涼し気な笑みが浮かべている。病弱ゆえか、肌は青白く、全体的にほっそりとしていた。
フレイが得た情報によると、彼の年齢は三十一だ。だが、白シャツに紺の上着、ゆったりとした黒ズボンを履き、胸下まで伸ばした髪を背中に流している姿は、実年齢よりも若く見えた。
黒いブーツで木の床を踏みしめ、部屋の中に入って来たフォルクスは何を言うこともなく静かに扉を閉めた。
ごく自然な行動であったが、部屋の中に閉じ込められたのではという感覚に、フレイは若干焦った。
ヘアピンを手にしたまま、この状況をどう切り抜こうかと息を詰める。
フォルクスは強い。クレイス家の中では一番魔法が強いと言われているほどだ。下手に刺激しては、フレイは反撃する間もなく捕られてしまうだろう。フレイの魔法は彼には敵わない。
そう考えている間にも、フォルクスは机に歩み寄って来た。骨ばった指が扉側に落ちた書類を拾い上げる。ちらりと、金の眼がフレイに向いた。ヘアピンを持つ手に力が籠もる。
「魔物の資料ならここにあるぞ。ルナールがまとめてくれていてな」
「……は?」
だが、フォルクスから掛けられたのはそんな予想外の言葉だった。身構えていたフレイは、思わずぽかんとしてしまう。
(どういうつもりだ?)
普段、人を疑う癖のないフレイだが、この時ばかりは何を考えているのかとフォルクスの表情を窺った。しかし、浮かべられた笑みの裏に何が隠されているのかまでは判別ができなかった。無言で、彼に疑心の目を投げかける。
「フォル様、なんで魔物のことを知って……あ、いや……怒らないんですか?」
警戒し続けるフレイに代わってか、ナズナの方がそう問いかけた。
フォルクスはゆるりと首を傾げる。
「怒る? 何を怒るというのだ? その者を連れていることか? それとも、勝手にこの部屋に入ったことか?」
「えっと……どっちも、です」
「はは、ナズナは正直だな。なに、怒ることではないさ。まあ、まさかナズナが他の奴を連れているとは思っていなかったから、驚きはしたがな」
柔らかい声で、楽しむようにフォルクスは言った。
フレイはその答えに、呆れた息を吐く。
(やっぱり、この人はよくわからないな)
実はというと、フレイは一度だけ彼と顔を合わせたことがあった。ネージュの友として、この洋館に訪れた際に。
滅多に外に出ないため、どういった人物なのか謎に包まれていたフォルクスは、当主としての威厳を持ちながらも、終始穏やかな笑みを灯していた。その姿に虚を突かれたものだ。ネージュは彼を、厳しい魔法の師匠だと言っていたから。もっと厳格な人なのかと思っていた。
フォルクスの姿は、初めて会った時とあまり変わっていなかった。相変わらず、拍子抜けしてしまうほど和やかな表情をしている。
――けれどフレイは、彼が見た目ほど優しい人ではないことも知っている。
もはやここまで知られたら、隠れている意味はない。そう判断したフレイは、ヘアピンを前髪に戻しながら立ち上がった。
真正面からフォルクスを見つめる。彼のほうが背が高かったため、立ち上がっても見上げる形になった。
「邪魔してるよ。フォルクスさん」
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