第十六話 魔法教師レイシス・ヴィルデ
魔法には属性というものが存在する。
種類は七つ――炎、水、風、地、雷、氷、光だ。
魔法使いの身体には生まれつき魔力が流れているが、その魔力には基本属性はない。無属性、といったところだ。そこに属性を与え、形にすることで魔法は発動する。
形にするにはイメージ力、それから杖という媒体と、詠唱という言霊を必要とした。
ジュピター地方では、詠唱は独自の言葉を用いるべきだとされており、魔法使いによってその詩は違う。ネージュが大剣の詠唱を「カロット」としているように。
そして属性の与え方は、万物の力を使うとされていた。つまり、自然に溢れる元素を引き寄せ、利用するということ。川や湖など、水の多いところでは水属性の魔法が、暖炉や蝋燭など火があるところでは炎属性の魔法が使いやすくなる。他地方では精霊の力を借りる、とも表現されている。
補足だが、引き寄せやすい元素も魔法使いによって異なり、それはその者の性質や魔力の質に関与していた。ネージュは生まれつき炎の元素に愛され、レイシスは風の元素を引き寄せやすい体質をしているなど――閑話休題。
それが魔法使いの中での常識であり、魔法学で必ず習うことだった。ナズナも、レイシスからとっくに教わっている。
けれどその知識は、ナズナにとっては意味のないものになっていた。
魔法使いの常識は、『月の子』には通用しない――杖と詠唱が不要ということが、一番の特徴だろう。
ナズナが持つ月神の魔力は、イメージや願いだけで魔法を作り出すことができた。更にその魔法は、万物の力を利用せずとも他属性に変化させられる――レイシス曰く、万物と似た性質を持っている、らしい。
だからこそナズナは、幼い頃から杖と詠唱なしで魔法を使うことができ、しかしイメージ力が足りずに、発動した魔法を暴走させてしまったのだった。
――だが、今は違う。
「前回の復習からだ。俺と同じように魔法を使ってみろ」
杖を振ったレイシスは、短い詠唱で水の玉を作り上げた。それを空に飛ばす。そして、落ちて来た球を風の刃で斬った。
どちらも初級魔法だ。ナズナも同じように杖を振る。
「デルフィニウム!」
ナズナの詠唱は、花や木の名前を使っている。
詠唱に使ったデルフィニウムは、古き魔法言葉でイルカを意味する青色の花のことだ。水をイメージするとき、ナズナはこの花を一番に思い出す。
月神の魔力はイメージに従って、水属性に変化し、拳ほどの玉を作り出した。
この詠唱すらもナズナには必要ないものであったが、こちらもレイシスから使うよう言われていた。詠唱は、イメージ力を補助してくれるからと。レイシスの助言は正しく、おかげでナズナは、彼の指導を受けてからこうしてきちんと魔法を扱うことができている。
「アネモネ!」
水の玉を空に飛ばした後、ナズナは次に風魔法――アネモネは風を意味している――を詠唱した。
風の刃を生成し、落ちて来た水の玉に命中させる。ぱっと水が弾け、地面に染みを作った。
それを見届けると、レイシスは軽く顎を引いた。
「よし。コントロールは問題なしだな。次は炎、行くぞ」
「はいっ」
魔法を使うのは楽しい。幼い頃に暴走させてしまった炎の魔法も、今は恐怖を抱くことなく使うことができた――「マネッチア」と詠唱された炎魔法が、杖の上で大きく燃え上がる。詠唱通りの、赤き花の様に。
けれどまだ、その魔法は若干の危うさを持つ。
というのも、ナズナはレイシスが現れるまで、魔法を使うことを禁じられていたのだ。
クレイス家がナズナに魔法を使わせなかった理由は二つある。一つは、魔力暴走でキャシーを焼いてしまったナズナ自身が、魔法を怖がっていたため。そしてもう一つは、当時クレイス家に、『月の子』に魔法を教えられる人材がいなかったからだ。
先に記した通り、『月の子』の魔力は特殊だ。少しでもコントロールを誤れば、感情が魔力に影響してしまえば、それはどんな魔法を発動させてしまうかわからない。キャシーを焼いてしまったのはまだ被害が少ない方で、ナズナが持つ魔力は洋館一つを吹き飛ばしてしまうほどの威力も併せ持っていた。
だから執事長ルナールは、ナズナに魔法の使い方を教えられ、かつ暴走した魔法を食い止められる人物を見つけ出せるまで、魔法の使用を禁止していたのだ。
「炎も問題なし、か。じゃ、その炎を大きくしてみろ。鳥のような形にして、空に飛ばす」
「魔法鳩みたいな感じですか? こう、かな」
「うおっ!? ちょっ、待て待て待て! でかすぎだ! 木が燃えるぞ!」
「わあ!? ご、ごめんなさい!!」
――ナズナは、それでもいいと思っていた。魔法を使わなければ、誰も傷つけることはないと。
だがそう思うのとは反対に、もやもやとした気持ちも抱いていた。
釈然としないような、満たされないような、そんな気持ち。
今ならその理由がわかる。自分の手から発せられる魔法を見て、ナズナは思い知った。
わたしは魔法が好きなんだと。魔法に魅せられていたんだと。
友達を焼いてしまった力だが、初めて自らの手で生み出された魔法を目にしたとき、何とも言えない感情が心の底から湧き上がって来た。その興奮や感動を、ナズナはどうしても忘れられないのだ。
『月の子』としての性なのだろうか。この両の手は、幼い頃からずっと、魔法を生み出すことを望んでいた。
そんな、忘れられない想いを抱きながらも、魔法を使えないでいたとき、レイシスは現れた。
連れてきたのはネージュだった。
レイシスは、ネージュが通う魔法学校で教師をしていたため、見つけ出すことができたという。
彼の膨大な魔力の量と、一流とも言える魔法の腕はすぐにルナールの目に留まった。
執事長の行動は早かった。レイシスは説明もないままナズナと邂逅。機密である『月の子』の話を持ち出され、あれよあれよという間に、ナズナ専属の魔法教師に任命させられた。
そのときにはもう後戻りはできなくなっており、後になってレイシスが愕然と頭を抱えていたことを、ナズナは覚えている。
だが、ナズナにとってレイシスとの出会いは感謝でしかない。
ルナールが認めたレイシスの能力は、ナズナの魔法を引き出し――こうして暴走しそうになっても止めてくれるのだから。
「な、なんとか消し止められたな……」
「はああ……びっくりした。炎の魔法って難しいんですよね。イメージしやすいのかな……?」
「それもあると思うが、相性がいいのかもしれないな」
「相性が、いい?」
ナズナの炎を消し去り、少し焦げてしまった足元を見やりながら、レイシスはまた、ナズナの知らない知識を教えてくれる。
「ああ。月神の魔力のことはすべて憶測になってしまうが……月は四つの色を持っているだろう? それは四元素の色とも言われている。金は地。青は水。赤は炎。銀は風だ。おそらく『月の子』は、その四元素と相性がいいんだと思う」
「でも、わたしの魔力は元素を使わないんですよね?」
「ああ。だが、使用と引き寄せは違うぞ。お前が使おうとしなくとも、元素が勝手に引き寄せられ、干渉してしまうんだろう。俺が無意識に風の元素を集めてしまうようにな。だから、暴走しやすいのかもしれない」
「へええ……レイシス先生はそういうのに詳しいんですね」
「ただの憶測だ。大したことはない」
「ありますよ! 先生だから、わたしに魔法を教えられるんです。『月の子』の魔法は、誰にでも導けるものじゃないって、ルナール様やリートスが言ってました」
当主フォルクスも執事長ルナールも、世話係のリートスだって、ナズナに月神の力の使い方を教えられなかった。そう考えれば、レイシスは唯一の存在だと言える。
きっと彼は、膨大な魔力を持っているが故に、その扱い方に多大なる努力をしてきたのだろう。だからこんなにも、魔法と魔力に精通している。ナズナは尊敬を目をレイシスに向けた。
「魔法使いは十二歳から魔法を教わるけど、わたしはいつになるかわからなかった。でも、レイシス先生が来てくれたおかげで、こうやって楽しく魔法、使えてます。本当に、ありがとうございます!」
「あー、なんだ。そう言われると照れるな……俺も、そんな風に言ってもらえる教師になれてるようで、よかったよ」
「ふふっ。あ、じゃあ先生。そろそろ、中級魔法や上級魔法を教えてくれてもいいんじゃないんですか? わたし、初めのときみたいに暴走しなくなってきましたし!」
「調子に乗るな。お前、さっき炎をうまく操れていなかっただろ。中級ならまだしも、上級はまだ早い」
「えー。こんなにもやる気に満ちてるのに!」
「はあ……実技だけじゃなく、歴史や魔法学の授業にも、そのくらいのやる気出してもらいたいんだが」
「え。い、いやあ、それはちょっと……」
杖を後ろ手に、ナズナはレイシスから視線を逸らした。実技魔法は楽しいが、机に座って行う授業は苦手である。
それに、歴史や魔法学などはいつでも勉強できた。それこそ、レイシスがいなくとも、図書室には大量の資料がある。それよりも、今はレイシスがいるのだから、貴重な庭での授業を行いたい。
ナズナは杖をレイシスに掲げた。
「次! 次に行きましょ、先生! わたしは早く、目を惹くような、強くて綺麗で美しくて、誰もを魅了するような魔法が使えるようになりたいんです!」
「抽象的すぎるな……どんな魔法なんだそれは。まあいい。魔法は使えば使うほど上達するからな。よし、じゃあ今日は今まで以上に魔法を使うぞ。準備はいいな?」
「はいっ」
弾むように返事するナズナに呆れたような笑みを見せて、レイシスは杖を構え直した。杖先を地面に向けて、詠唱を口にする。
「氷よ、走れ!」
放たれたのは氷魔法。それは草の上を這い、突進するようにナズナに向かってきた。目を見開いたナズナに、レイシスが鋭い指示を飛ばす。
「俺の魔法に凍らされないように、炎で防御しろ。今度は暴走させるなよ?」
「さっきだってさせてないですよ! でも、了解しました――マネッチア!」
きっ、と。迫って来る氷の波を睨みつけて、ナズナは再び炎魔法を詠った。
――そんな、二人の様子を見ている影が二つあった。
一人は玄関から顔を出した長身の男、執事長ルナール。いつもと変わらず、上質な燕尾服を着こなし、この後出かける予定なのか革のバッグを肩から下げている。
もう一人は逆側の、門から歩いてきた白髪の少年――ネージュは乗って来た箒を杖に戻すと、庭に目をやりながらルナールの隣に並んだ。ルナールの眼鏡が一瞬だけネージュを映す。
「おかえりなさい、ネージュ。今日は早かったのですね」
「レイシス先生が実技魔法の授業をやると、朝ナズナから聞いてな。今日は外でやっているのか」
「ええ、そのようです。貴方は、手合わせの申し込みですか」
「ああ。先生は強いからな。退屈しない。いつか勝ってみせるぜ」
まだ幼げにも見える赤い瞳に、ちらちらと闘志が宿っている。
ふ、とルナールは口元を緩めた。
「彼はネージュにとってもナズナにとっても、よい先生と言うわけですか」
「ルナールにとってもだろう? 魔物討伐隊にあいつは勧誘できたのか?」
「いいえ。残念ながら断られてしまいました」
「なんだ、つまらん」
頭の後ろに両手を回し、ネージュはルナールよりも残念そうに肩を落とした。彼が教師を辞めて討伐隊に入れば、毎日のように顔を合わせ、魔法の訓練ができるのに、と。
庭で弾ける氷と炎を視界の端に、ネージュはルナールを見上げた。
「いいのかい? そんな簡単に諦めて。おれが言ってきてやろうか」
「いえ、貴方が言っても頷かないでしょう。これ以上脅すわけにもいきませんし、今はまだ、よいでしょう。そのうち、またお声がけしますよ」
「あいつがいれば、魔物なんて一瞬なんだがな」
「自由に動ける駒も必要ですよ」
ふふ、とルナールが目を細めて笑う。何かを企んでいるような、楽しんでいるようなその笑みは、他から見たら悪者のようにも映るだろう。共に住んでいるネージュですら、警戒心を抱いてしまうほどだ。何故フォルクスはこの執事長を傍につけているのか。そう首を捻るのは何度目だろう。
「そんなに怖い顔なさらないでください。冗談ですよ」
お道化たように言って、ルナールは今度はナズナを見やった。
ナズナは必死になってレイシスの魔法を防御している。その魔法は時折不安定で、作られる炎は強くなったり弱くなったりしているが、魔法を教わり始めた時よりかは安定していた。それに、魔法に対する恐怖も薄れている。これも、レイシスのおかげだろう。
ナズナの笑顔を目にして、ルナールは僅かに息を吐いた。
「あの子が『月の子』の役割を放り出したらどうしようかと思いましたが、心配はなさそうですね」
「きみが、そうはさせなかったんだろう?」
「ええ、まあ。『月の子』を保護する。それが、クレイス家の使命ですから」
「……」
ネージュは返事をしなかった。ただ淡々と、今を生きるナズナを見つめる。
そんなネージュと、遠くのナズナを交互に見やってから、ルナールは門の方へと歩き始めた。ネージュが振り返る。
「どこに行くんだ?」
「仕事ですよ。星祭りが近いので、教会と打ち合わせを。朝言いませんでしたか?」
「そうだったか?」
「ええ。では、留守は頼みましたよ。ないことを願いますが、魔物が出たら対処を。こちらも、何かあったら魔法鳩を飛ばしますので」
「ああ」
返事を聞き、ルナールが背を向ける。ネージュももう彼に興味はないとばかりに、ナズナとレイシスに意識を戻した。
授業はそろそろ終わるだろうと思われた。ナズナの集中力が切れてきているからだ。
いくら魔法に慣れてきたとはいえ、彼女は本格的に習い始めてから、まだ一年と少ししか経っていなかった。中級魔法を使い続ければ、疲れも出て来るだろう。イメージというのは気力と体力を使うのものだ。魔力が多くとも、集中力がなくなれば魔法は使い続けられない。
ネージュも十二歳くらいまではそうだった。今は軽々と上級魔法を使えるが。
さて――ネージュは頭の上で組んでいた手を解くと、杖を右手に歩き出した。
(次は、おれの番だな)
上級魔法の練習は、やはり手合わせに限る。それも、自分よりも強い相手と。
ネージュは先生に授業を申し込むべく、口角を吊り上げた。
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