第十五話 外での魔法授業

 ネージュからお金を借りて、数日が経過した。

 あれからフレイは一向に姿を現さない。それはナズナの心に寂しさを生み出してはいたが、代わりにとばかりに鳩を模した手紙が一枚、窓から舞い込んできていた。

 手紙には、別の依頼が忙しくてなかなか会いに来られないと書かれていた。それから、その詫びにと町の様子が記してあった。

 七月に入り、町中が星祭りで賑わっていること、他地方からの出店が溢れ、見たことのないお菓子が売られていることなど。事細かに綴られたそれは外に興味を持つナズナに向けられたもので、読めば読むほど心が温かくなった。

 そんな、手紙を読み直した昼下がり。

 昼食後、ナズナは部屋でじっと、教師を待っていた。

 平日の午後は、魔法学校の教師が訪れ、魔法学と実技を教わることになっている。だというのに、十三時を過ぎても、教師レイシスは部屋にやって来ていなかった。

 せっかく昼寝をせずにちゃんと机の前で待っていたというのに、待ちぼうけを食らっている。ナズナは部屋の柱時計を見上げると、手紙を置いて眉を吊り上げた。


「遅い。レイシス先生、何してるの」


 いつもは早すぎるくらいなのに。

 立ち上がり、ナズナは廊下に出た。彼の姿を探すように廊下の窓から門の方を見下ろす。

 高い塀に囲まれたこの洋館には、同じくらい高い門が正面口に建てられている。その門の先、町へと視線をやった。

 いつもはバラの色で染められている町は、青一色に様変わりしていた。

 手紙にも書かれていた、星祭りの影響だ。

 ジュピター地方には、秋に収穫祭、冬に聖夜祭、春には花祭りなど、様々な祭りがある。そのなかでも、七月に行われる星祭りは夏の代表的な祭りであり、幻想的な光景が見られると有名だった。

 その光景の一つが、この青い町並みだ。

 ジュピター地方では、星祭りでアストランティアという花を使うため、町の至るところにその花が飾られていた。

 『星に願いを』という花言葉があるアストランティアは、月神が愛したと言われる花だ。いくつか品種があり、赤や白、ピンク色の花弁を咲かせるのだが、七月に咲くアストランティアは青色をしていた。月神が月の魔力を注いだから、と言われている。その品種を、人々は“アストランティア・ルナブルーム”と名付けた。

 月の魔力を貯めるアストランティア・ルナブルーム――通称ルナブルームは、独特なフォルムをしている。半球状の形をした花びらに見える部分は総苞(そうほう)と呼ばれる葉であり、その中心に小花が密集していた。まるで大きな星の中に小さな星が集まっているかのような花は、青い魔力の光を灯し、幻想的な姿を見せてくれる。

 七月七日までの間、ルナブルームの青に包まれた町は、まるで星の海に沈んでいるかのような光景を作るのだ。

 ただ、その星の海のような、という表現は人々の想像でしかない。何せ空に結界が張られてから、星の姿は見えなくなってしまったのだから。

 さて。そんな幻想的な青の町並みを見渡し、ナズナは鳶色の髪を一つに結んだ教師を探した。洋館前の広場から、その先、町の南側まで目を凝らす。だが、彼の姿は見つけられない。


(学校の授業が伸びてるとか……はないか、もう十三時いちじ過ぎてるし。いつもは遅刻なんかしないんだけどなあ)


 どうして気合が入っているときに限って……ナズナは肩を落とす。

 部屋に戻って予習復習でもしようかと考えたが、なんだがやる気が削がれてしまった。かといって何をするかも思いつかず、ナズナは窓を先をじっと見つめた後、ふと思い立って階段へと足を運んだ。

 一階に下り、図書室を通り過ぎてエントランスに出る。

 昼のエントランスには誰もいなかった。洋館から抜け出すわけではないが、なんとなく周りへと目をやってから、ナズナは正面の扉を引いた。

 ふわっと、柔らかな風がナズナの金髪を揺らした。青い月の光と、乾いた風は初夏を思わせる。外に出て石畳の階段を降りると、ナズナは暖かな空気をいっぱいに吸った。


「お、ナズナ様!」


 声をかけられたのはそのときだ。明るい声がナズナの名を呼ぶ。

 一瞬先生かと思ったが、違った。大きな手を振って西の庭から歩いて来たのは、筋肉質な大柄な使用人――ロッシュだ。百九十センチはありそうな高身長に、相変わらず使用人服が似合っていない。

 彼は朱色の瞳を丸くし、ナズナを見下ろした。


「どうかしたんすか? 確か今は授業の時間、でしたよね?」

「そうなんだけどね、先生が来ないんだよ。だから、ちょっと迎えに来てみたってわけ」

「ああ、そうだったんすね。オレはまた、授業をサボるために抜け出したのかと思いましたよ」

「えっ! ち、違うよ! 確かにそんなときもあったけど、今日は気合が入ってたの!」


 抗議するようにロッシュを見上げると、彼は冗談っすよ、と八重歯を見せて笑った。その人懐っこい笑みを向けられると、怒っていたはずのナズナもつい笑顔になってしまう。


「ロッシュは何してたの? いつもはルナール様の手伝いをしてるよね?」

「ああ。今は休憩中なんです。んで、庭の整備を手伝おうかと」

「庭の整備?」


 よくよく見れば、彼は左手に分厚い本を持っていた。しかもそれは、ミーチェに頼んで商人から購入してもらい、図書室に置いていた花の図鑑だった。花の種類と、育て方などが載っている。

 頷いたロッシュは、視線を西へと向けた。


「シアン様が他のメイドと一緒に庭に花を植えてたんすよ。梅雨も終わったし、夏の花で庭を埋め尽くすんだとか」

「え、そうなの? いいじゃん!」


 この洋館には、西側と東側に一つずつ庭が作られている。東側は魔法の訓練用にと平地にされていたが、西側は広々とした庭園が作られていた。ナズナのお気に入りの場所の一つでもある。

 そこは今、梅雨の雨のせいでなかなか整備ができていなかったためか、少し荒れていた。ロッシュはシアンたちと共にそれを綺麗にしていたのだという。


「また綺麗な庭が見られるんだね。ねえ、どんな花を植えるって言ってた? もう買っちゃった?」

「確か、サルビア、ペチュニア、マリーゴールドって言ってたましたよ。どれも種からだと遅いから、花屋で購入して来たって。今植え替えているところで、後は咲き終わった春バラと、これから咲く夏バラの手入れをするんだとか。あ、そうだ、ナズナ様。シアン様があんたに聞きたがってましたよ、庭に小さな池があるから、そこでスイレンも育ててみようと思うのですが、どうでしょうかって」

「いいと思う! 絶対きれい!」 


 ナズナは両手を握って全力で賛成した。色とりどりの花が咲き乱れる庭を想像し、楽しみだな、と身体を左右に揺らせば、ロッシュは満足げに笑みを深めた。


「よし! んじゃ、シアン様に伝えて、ナズナ様のご期待に応えられるような庭、作って見せますわ」

「うん、楽しみに待ってる! けど……わたしも一緒に庭仕事したかったなあ」

「はは、また機会がありますよ。それにほら、先生、来たみたいっすよ」


 やんわりと断って、ロッシュは玄関の方を指差した。そちらを見れば、洋館から出て来るレイシスの姿があった。彼の顔がナズナの方を向く。半開きになった口が、あ、と言っているようだった。


「ほんとだ。じゃあ、わたしは戻るね。ロッシュ、庭仕事頑張って!」

「へい!」


 ふざけたように返事をするロッシュと笑い合って、ナズナは教師の元に向かった。

 やっと現れた魔法教師レイシスは、足を止めてナズナを待っていた。ナズナは彼の前に行くなり、頬を膨らませる。


「レイシス先生遅いです! 今日はちゃんと部屋で待ってたのに! ……って、その頬どうしたんですか!?」


 しかし、言葉は途中で驚きに変わった。

 レイシスの頬に、手のひらくらいの大きな湿布が貼ってあったのだ。腫れはないようだが赤くなっているのが見て取れる頬は、近くを通りかかったメイドもぎょっとするほどの目立ちようである。

 眉を上げたレイシスは、これか、と湿布に手を当てた。


「これはな……あー、なんでもない、気にするな」


 何を考えたのか、レイシスは渋い表情を見せたが、怪我の理由は話さなかった。けれどどこか気だるげな雰囲気を纏っており、なんだか疲れているようにも見える。

 心配になり、ナズナはレイシスの顔を覗き見た。


「先生、もしかして体調悪い?」

「いや、体調は大丈夫だ。身体の方はな。精神的にはよくないが」

「精神的にって……何かあったんです?」

「ちょっと呼び出されてな」

「誰に?」

「ルナール様に」


 出てきた名前に、ナズナはますます疑問符を浮かべた。


「ルナール様に? なんで?」

「俺もなんでって思ったよ。けど、行って納得した。なんでも、俺に教師をやめて、魔物討伐部隊に入ってほしいんだと」


 魔物討伐部隊。現在ネージュが隊長を勤め、魔物退治と町の見回りをしている特殊部隊のことだ。そこに、レイシスも勧誘されたのだという。

 ナズナは驚きながらも、レイシス先生なら勧誘されてもおかしくないと納得した。

 レイシスはただの教師ではない。一流の魔法使いでもあった。本人は否定しているが、彼は稀に見る魔力量を保持しており、上級魔法をいくつも使いこなすことができた。ルナールが目をつけるのも無理はない。


「入るんですか? 魔物討伐部隊」

「いや、断った。俺は教師だ。教師は魔物退治なんかしないだろ?」

「それはそうですけど……よくルナール様のお誘いを断れましたね」

「どういう意味だ。俺にも人権くらい存在する」


 呆れたように、若干焦ったようにレイシスはそう口にした。

 それもそうだ。ナズナはまた頷く。討伐部隊に入ることは義務でも強制でもない。けれどナズナはどこからか「残念です」というルナールの声が聞こえた気がした。


「ルナール様はがっかりしてそうですね。でも、先生が教師をやめないでよかったです。魔法、まだ教わっていたいですから」

「ぜひルナール様にもそう言ってくれ。……と、授業遅くなって悪かったな。早速始めるか」


 そう言うと、レイシスは踵を返して東の庭へと足を進めた。ナズナは慌てて彼の背中を追い――向かった先を見て、あれ、と首を傾げた。


「先生? そっちは庭ですけど」

「ああ。ちょうどいいから今日の授業は外に変更だ。ここの庭を借りていいと許可をもらったから、今日は一限目からは実技魔法の授業を行う」

「え……えぇー!?」


 ナズナは驚きの声を上げて足を止めた。あまりの声量にレイシスが仰け反る。


「な、なんだ。嫌だったか?」

「逆です! え、本当にいいんですか?」

「ああ……こんな嘘ついてどうする」

「そ、そうですよね……わ、わ。やった、外で訓練!」

「そんなに喜ぶことか?」

「はい! それはもう! だってだって、庭で魔法を使わせてくれるなんて久しぶりで!」

「大袈裟だな……」


 レイシスが若干引き気味にそう言ったが、ナズナは全く気にならなかった。外で魔法を使う、ということはそれほどまでにナズナを感激させていた。

 いつも、実技魔法は地下の訓練場で行っていた。

 ナズナは魔力のコントロールが苦手だ。ここに来る前に魔法を暴走させたことがあるのもそうだが、レイシスに出会った十五歳のとき、最初に行った実技魔法の授業でも魔力を暴発させていた。幸い、魔法壁がある訓練場だったため、洋館にもメイドたちにも被害が及ぶことはなかったが……それ以来、万が一を考えてルナールは庭での訓練を許可しなかった。

 それは理解できていたのだが、ナズナはいつか、開放感のある外で魔法を使ってみたいとずっと思っていた。

 その願いが今日叶う。あのルナールが、外での授業を許してくれたのだ。それはナズナを一気にやる気にさせた。


「早速始めましょ! 今日はなんの魔法を教えてくれるんですか? あ、飛行魔法とかやりませんか?」

「飛行魔法? ああ、そういえばお前は、飛行魔法を習っていないんだったか」

「はい。飛行魔法は十二歳で取得しなきゃいけないんですよね。でもわたしまだ箒に乗れなくて。空、飛んでみたいんですよね」


 外で訓練すると聞いて、ナズナが最初に思い付いた魔法は飛行魔法だった。名の通り、空を飛ぶ魔法のこと。

 魔法使いであれば、最初に覚える魔法の一つでもある。杖で箒を作り、空を飛んでいる魔法使いは、町の至るところで見ることができた。

 彼らのように、自由に空を飛びたい。

 ――しかしその願いは、ナズナには叶えられないものであった。


「……悪い」


 落ちて来た謝罪に、ナズナははっと我に返った。

 レイシスは、言葉を探すように視線を彷徨わせていた。その口が選んだのは、ナズナを気遣う言葉。


「俺は飛行魔法を教えていないんだ。それくらい初歩的な魔法であれば、独学でも学べると思うぞ」


 それが考えられた言葉であると気付かないほど、ナズナは馬鹿ではない。ナズナは慌てて首を振り、頭を下げた。


「ごめんなさい、レイシス先生……わたし、嬉しくてつい。先生を困らせました」

「いや、気にするな。俺こそ、自由に教えてやれなくて悪いな」


 レイシスの方も、もう一度謝罪を口にすると、ナズナの肩を軽く叩いた。顔を上げたナズナに不器用な笑みを見せ、気にさせないよう、自然な流れで話を戻す。


「それより、やる気を出すのはいいが、あまり感情を動かしすぎると魔法に影響が出るぞ。魔法を使う時にはいつも冷静に、と言ってるだろ?」

「あ……そうでしたね」


 言われて、ナズナは胸に手を当てて大きく深呼吸をした。庭を囲う緑の匂いをいっぱいに吸い、昂った感情を落ち着かせる。気付かぬうちに溢れ出ていた魔力が、身体の中に収まっていくのを感じた。

 『月の子』とあってか、ナズナが所持する魔力量も多い。気を抜くと、気づかぬうちに魔力を外へ漏らしていることが多々あった。


「よし、それでいい。お前は魔力量が高いからな。強い感情を抱くと、その魔力は目や口から漏れる。なるべく平常心を保つことだ」

「あんまり、怒ったり憎んだりしちゃいけないんですよね。負の感情は、魔力に強く影響するから」

「ああ。お前は喜びも、って言いたいところだが……まあ、そこまでは言わないことにするか。んじゃ、始めるぞ」


 軽く声をかけると、レイシスは羽織っていた魔法ローブの内側から杖を取り出した。彼の杖はネージュよりも長めで、持つ部分には銀の飾りがついていた。

 ナズナも真似するように杖を手に持つ。ナズナの杖は生成魔法で作り上げたものだ。本来ならナズナに杖は必要ないのだが、魔力をコントロールしやすくなると、レイシスに持つことを勧められていた。


「お願いします!」


 杖を構え、授業の開始を促す。頷いて、レイシスは魔法を発動させた。

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