第三章 星祭りと領主の依頼
第十三話 一生のお願い
そういえば、お礼を考えていなかった。
唐突に、ナズナはそんなことを呟いた。
フレイのことを考えていた。
あれからもフレイは、何度もナズナの元に足を運んでくれている。
ただ会いに来て欲しい、それだけのために。
やはりそれは探偵の仕事内容でいいのかと何度も疑問を抱いた。けれど探偵である彼がいいと言うのだから、それでいいのだろう。そう考えたものの、ナズナは彼が帰るたびに何か忘れているような気がしていた。
それが唐突にわかったのだ。
礼だ。報酬だ。ナズナは彼に依頼をしながら、その見返りを一切渡していなかった。それがもやもやとした気持ちを生み出していたのだ。
探偵という職業は本の中でしか知らなかったが、仕事というからにはきちんと報酬を支払うべきであることは、箱入り娘であるナズナでもわかる。
(あ……でもわたし、お金持ってないじゃん)
しかし、思いついたはいいが、次なる問題がナズナを襲った――お金を所持していない。
全くないわけでなかった。小遣いはルナールから少しばかりもらっている。が、それはすぐに欲しいものに使ってしまっていた。花や便箋、髪飾りなどのアクセサリー。最近では自分の服を選ばせてくれるようになったため、小遣いで好きな服も購入していた。
将来のためにお金を貯める、という発想がなかったナズナ。それをこんなに後悔したのは初めてだ。貯めていれば、フレイにあげられたかもしれないのに。
(もしこのままお金が払えなかったら、依頼ってなくなっちゃうのかな……)
今のところ、彼は回数関係なく会いに来てくれているが、それがいつまで有効なのかはわからない。
突然終わる可能性は十分にある。そのときの依頼の更新時には、お金が必要かもしれない。ナズナは急に不安になった。
「誰か、話聞いてくれないかな……」
こういうとき、ナズナが真っ先に相談するのは世話係のリートスだ。けれど彼は、教会が襲われてから教会の修復や、魔物に襲われた町民の心のケアなどで忙しくしており、洋館に来る回数が少なくなっていた。相談する機会がない。
では、他に誰に相談できるだろうか。ナズナは頭の中で洋館の人たちを順番に思い浮かべていく。
(まず、ルナール様は絶対にないでしょ。んで、ミーチェは多分貸してくれないし、ロッシュもあんまり手持ちがないみたいだし……シアンさんは怒ると思う……。フォル様には言えるわけがない……!)
となると、残りは一人――ナズナはベッドから飛び起きた。
「よし、ネジェのところに行こう!」
幼馴染のネージュは、洋館の中でも比較的話しやすく、またナズナに怒るようなことも滅多になかった。
夕飯を済ませた後のこの時間、彼は部屋にいることが多い。
暇だとナズナの部屋に遊びに来ることもあるが、今日は来ていなかったため、ナズナは彼の部屋に向かった。
一度図書室に降りてから、エントランスの階段で二階に上がる。ネージュの部屋は北東の角部屋だ。
ノックすると、返事はすぐに飛んできた。
「誰だ?」
「ネジェ、わたしだよ、ナズナ」
答えつつ扉を開ける。中にはネージュと、もう一人男性の姿があった。
ソファに座るネージュの傍に立ったその男性は、名をロッシュと言う。ナズナが姉と慕うメイド、ミーチェの実の兄だ。年齢は三十代前半。
白いシャツに燕尾服を身につけた彼は、紫色の髪を持ち、ミーチェと同じ朱に近い赤色の瞳を有している。
普段、ルナールの手伝いをしながらネージュの身の回りの世話をしているロッシュは、ナズナを見やると姿勢を正し、人懐っこい笑みを浮かべた。
「ナズナ様でしたか。そんなとこ立ってないで、こっちにどうぞ」
促され、ナズナは部屋に入った。
ネージュの部屋は物が少なく、その少ない家具のほとんどが赤色で染まっていた。造りはナズナの部屋のものと同じのため深い茶色をしているのだが、絨毯やベッドの布団、カーテンには赤が選ばれているのだ。
初めて入ったときは驚いたものだ。執事長ルナールもネージュの赤好きには困ったような顔をしていたが、当主であるフォルクスが許しているため、変えるように言うことはなかった。結果、このような部屋が出来上がっている。
ネージュは赤いソファに深く座り、魔法の杖を磨いていた。魔法を使う際の必需品であるそれは、ネージュの大切な武器でもある。毎日丁寧に手入れをしているのだろう。
ナズナは自身の生成魔法で杖を作れてしまうのだが、他の魔法使いはそうはいかない。だからみな、自分の愛状を持っていた。
ネージュの隣に腰を下ろして、ナズナは手入れをする彼の手元を見つめた。
ハシバミで造られた杖は持ち手部分に金の細工が施してあり、その細工の中に『ネージュ・ラパン』と名前が彫られていた。ネージュにしか使えない杖だ。きっと、当主がネージュのために特注したのだろう。
ネージュは杖についた汚れを綺麗に拭き取ると、布と共にロッシュに手渡した。ロッシュはそれを両手で受け取り、ベッド頭の棚にある収納箱に丁重にしまう。布は持ったまま、彼は頭を下げると静かにネージュの部屋を出て行った。
「で、何か用か?」
ロッシュがいなくなると、ネージュは隣に座ったナズナへと視線を送った。作業に魅入っていたナズナはそこではっと我に返る。
「うん。あのね、聞きたいことがあって」
「なんだ?」
「ネジェはさ、どうやってお金稼いでるの?」
「は?」
まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。ネージュはナズナの顔をまじまじと見返した。
「金が必要なのか? なんのために?」
「何のためって聞かれたら困るんだけど……ちょっと」
理由は言えなかった。勝手に侵入してきた探偵の依頼の報酬のためにだなんて、口が裂けても言えない。
ネージュはやはりというべきか不審げな目を向けてきた。その口がまた何かを聞いてくる前に、ナズナは質問を重ねる。
「ネジェは仕事始めたんでしょ? 最近、学校以外でも家にいないもんね」
洋館の中から出られないナズナだが、洋館内でメイドたちが話していることは耳にしていた。
その話によると、最近クレイス家は魔物討伐隊なるものを結成したらしい。なんでも、魔法に自信がある魔法使いたちを集め、増えつつある魔物の被害を抑えるのだとか。今まではルナール、ネージュ、ミーチェ、ロッシュの四人が対処していたが、手が回らなくなっていた。教会が襲われたのも、その証拠だと言えるだろう。
「ああ、魔物討伐隊の隊長になってな。学校が終わった後、隊の奴らと訓練して、それから町の外の見回りをしている。仕事、とは感じていなかったが……そうか、あれは仕事なのか」
「お金もらってないの?」
「金は……そう言えばもらっていないな。あれだ、おれはここの息子ってことになっているだろう? ロッシュたちとは違うのかもしれん。だが、金は好きに使っていいとフォルから言われている」
ネージュはルナールやミーチェ、ロッシュとは異なり、この洋館の息子だ。血は繋がっていないが、当主フォルクスはそういう風にネージュを扱い、ルナールたちも次期当主として接していた。ネージュはどちらかといえば、ルナールたちに報酬を与える立場なのだ。
「じゃあさ、もしもネジェやフォル様がミーチェたちにお金を払えなくなっちゃったら、どうなるの?」
「そんなことはないと思うが……金が払えなくなったら使用人は出て行くんじゃないか? ここにいる意味はないしな」
「……やっぱり、そうだよね……うぅ」
ナズナの不安は当たっていた。
つまり、ナズナが報酬を払えなければ、フレイはナズナと共にいる意味がなくなるということ。
このままではまずい。彼とはまだ離れたくない。ナズナは渋面を浮かべた。
一緒にお菓子を食べて、本を読んで、フレイが旅していたという他地方の話をもっと聞いていたい。彼といる時間はとても楽しく、幸せだった。失いたくない。
ナズナはネージュの手を取った。
「ネジェ一生のお願い! お金貸して!」
「きみ今日はおかしくないか!?」
驚きの声と共にネージュは再びじっとナズナを見返した。訝しげな赤い瞳はナズナに真意を問いかけている。一体何がしたいのだと。
それもそうだろう。ナズナはこれまで、硬貨をねだることなど一切なかった。ナズナ自身も、こんなにも欲しいと思うのは初めてだ。だから困っている。
しかし同時に、理由も話さずお金を貸してもらえるなどと、そんな都合のいいことがあるとも思っていなかった。その辺の常識は備わっているつもりだ。
ネージュの手を離し、ナズナはうーんと考える。ルナールに見つからず――彼に知られたら絶対に怒られるからだ――、お金を稼ぐ方法はないかと。
そして思いつくことは、どうしてもネージュには理解し難いことになってしまうのだ。
「じゃあネジェ、わたしを雇うってのはどう?」
「はあ?」
本日何度目かの疑問符をネージュは言葉に込める。何を言っているんだこいつは、といった顔をされたが、構わずナズナは手を合わせた。
「なんでも手伝うよ。さっきのロッシュみたいに布だって持ってくるし、部屋の掃除もする」
「きみにそんなことさせられん」
「なんでよ、大丈夫だよ。ミーチェに教わるし、ロッシュが何をしてるかも知ってるから」
「そう言われてもなあ」
「いいじゃんいいじゃん。ルナール様には言わないよ。ミーチェたちにも秘密にしてくれるようにお願いして――」
「だが、きみは『月の子』だろう?」
ナズナの声を遮るように、ネージュは言った。
どきりと心臓が跳ねた。嫌な跳ね方だった。喉の奥のところが、心臓の周りが、急に苦しくなった気がした。
言葉を詰まらせたナズナに、ネージュは一瞬だけしまった、という顔をした。けれど後戻りはできないと思ったのか、そのまま続ける。
「『月の子』は、クレイス家の保護対象だ。将来の王女であり、仕える相手なんだと。フォルとルナールは、きみがコズモス地方に行くまで守っているのだとおれに言った。おれはそれに倣っている」
「……」
ナズナは俯いた。ナズナがこの洋館内で動こうとすると、必ず『月の子』という単語が飛び出す。
それはナズナの運命であり、枷であり、この国で一人しか得られない冠でもあった。ナズナはそれを光栄に思わなければならなかったが、今のナズナにとっては邪魔でしかなかった。その単語はナズナを縛り、自由を奪う。
(いつも、そればっかり)
何度も脳内で繰り返し反発し、受け入れざる終えなかった状況と感情に、ナズナは再び苛まれる。心が嫌だといい、脳が受け入れろと諭す。
これを言ったのがルナールだったのなら、まだ頷けていただろう。彼には耳にタコができるほど、頭に刷り込まれるくらいに繰り返し言われていたからだ。だからこそナズナは彼を苦手になったのだが……まさかここで、ネージュに言われるとは思っていなかった。
ナズナは酷く悲しくなり、同時にムッとした。なぜだろう、わからないけど口を尖らせた。これが拗ねるという行為だったということに、ナズナは後になって気づく。
「じゃあ、命令だったら?」
ナズナは強めの口調で、そんなことを言っていた。
「『月の子』は王で、クレイス家が仕えないといけない存在なんでしょ。これが『月の子』としての命令だったら、ネジェは聞いてくれるの」
ネージュはというと、再び予想外の反応に絶句していた。慌てたように瞬きを繰り返す。
「きみ、自分が何を言っているのかわかっているのか」
「わかってるよ。どうなの、聞いてくれるの?」
感情をぶつけるかのようにナズナは問いかける。
問いかけて、その問いかけが頭の中で響いて。
「あ……っ」
目の前でネージュが戸惑いに瞳を揺らしたとき、ナズナははっと息を呑み込んだ。
(違う)
慌てて否定する。
違う、こんなことを言いたかったんじゃない。
(わたしはただ、ネジェと友達でいたいだけなのに)
それなのに、どうしてこんなことを言ってしまっただろう。熱を持った頭が、急激に冷えていく。発した言葉に、ナズナはすぐに後悔した。
こんなの、自分から離れようとしているものではないかと。
(あのときと一緒だ)
ふと、昔のことを思い出す。
幼い頃、ナズナがこの洋館に来たばかりの時――ネージュはナズナが特別な客人だと聞いてか、ナズナのことを「ナズナ様」と呼んでいる時期があった。
それがナズナは嫌だった。ミーチェやロッシュにそう呼ばれることにも抵抗があったが、同い年の、唯一この洋館で距離が近くなれそうだと思った相手に、敬称で呼ばれることは他のどんなことよりも嫌だった。
ナズナは懇願した。様は付けないでほしいと。友達のように呼んでほしいと。
だが、ネージュは否定した――「それは、おれが決めることじゃない」
そう言った彼に、ナズナは癇癪を起こした。
――さまってつけるのやめないと、ナズナここから出て行っちゃうから! ネージュなんか嫌い!!
完全なる脅しだった。
あの頃と、ナズナは何も変わっていなかった。
これは子供の癇癪と同じだ。言うことを聞かせるための、単なるわがまま。こんなことをしたって、ネージュをまた困らせてしまうだけ。
湧き上がっていた怒りと悲しみは萎み、ナズナは先ほどの発言を消すように首を横に振った。
「ごめんネジェ、今のなし……なしにして!」
「……」
「……ネ、ネジェ……? あの、怒ってる……?」
ネージュからの反応はない。赤い瞳は、何か考え事をするかのように下に向けられていた。
呆れさせてしまっただろうか。どう返せばいいのか迷ってるのだろうか。それとも、やっぱり怒っている?
感情の見えない表情にナズナの不安は膨れ上がっていく。
その沈黙が永遠にも感じられた時――ようやく彼は、ゆっくりと視線を上げた。びくりと身体を揺らしたナズナの桃と、彼の赤が交じり合う。
「それだ」
「……え?」
だが予想に反して、彼の目は輝いていた。
「きみ、何故今までそれを使わなかったんだ」
発せられたのは、そんな、期待に満ちたような問いかけだった。
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