第十二話 新たな仕事
扉を開くと、天井から吊り上げられた光魔石のランプがフレイたちを照らした。
フレイが借りている部屋は、入ってすぐのところにリビング、右手に小部屋がある。その小部屋を仕事部屋として使っていたフレイは、そちらに女性を案内した。
「すまないが、少しここで待っていてくれるかな。これを片付けてくるよ」
腕に下げたままだった荷物を示す。
客人は仕事部屋に入りながら、もちろんだと笑った。
「急に押し掛けたのはこっちなんだ。気にせず行ってきてくれ」
「すぐに戻ってくる。ああ、飲み物だけど、紅茶でいいかな」
「コーヒーはないのかい?」
「コーヒー……は、ないな。すまない」
「そうかい、残念だね。ではお任せするよ」
「わかった」
女性の許可を取ると、フレイは一旦リビングの端に備えられた小さなキッチンに向かった。
買ったものを氷魔石によって冷やされた冷蔵庫や、壁にかけられた戸棚にしまう。花はひとまずテーブルの上に置いておき、ショルダーバッグを椅子に下ろし、鍋でお湯を沸かした。
「コーヒーか……」
フレイは紅茶を好んで飲むため、部屋にはコーヒー豆やコーヒーを淹れるための道具が一つもなかった。そもそも、ジュピター地方にはコーヒーを飲む文化がない。扱っているカフェは数えるほどで、売っている店も少なかった。フレイ自身も、コーヒーの苦みは口に合わないと感じている。
しかし今回のように、コーヒーを好む者がいるのは事実。
(今度ユレイネスに行った時にでも買ってくるか)
そう考え、忘れないように手帳にメモをした。
お湯が沸くと、ティーポットに茶葉を淹れ、熱湯を注いだ。しっかり蒸らしてから、慣れた手つきでカップに注ぐ。淡い赤色が白いカップを彩った。
トレイに乗せ、仕事部屋に運ぶ。
開けたままにしていた扉から中を覗くと、客人は部屋の入り口に立ったまま、興味深そうに部屋の中を見渡していた。
「待たせたね。座っていてもよかったのに」
「いやなに、つい部屋に魅入ってしまってね」
フレイの仕事部屋は、本と書類で溢れていた。
壁を覆うように置かれた本棚には様々なジャンルの本がびっしりと並び、中央のテーブルにも何冊か積まれている。そして、奥にある横長の棚には、ノートやメモ帳がたくさん置いてあった。
すべて探偵の仕事で使うものだ。大切な物は引き出しや木箱にしまっているため、この客人には見られていないだろうが、じろじろと眺められるのはあまり心地のいいものではなかった。まあ、このような部屋に案内するフレイも悪くはあるのだが。
「座ってくれ。話を聞こうか」
フレイはテーブルにトレイを置くと、自分は奥側の木の椅子に腰を掛け、女性をソファに勧めた。紅茶を差し出し、ノートを一つ手に取る。依頼ノート、と書かれたこのノートには、今まで受けた依頼内容が書かれていた。新しいページを開き、フレイは羽ペンを左手に持った。
女性はというと、言われた通りソファに座ると、改めてと言ったように胸に手を当てた。
「まずは自己紹介からかな。私の名はアルバ。ここから東にあるカルムって村の出身だ。テイエースに訪れた際に君の噂を聞いてね、ここにやって来たというわけだよ。仕事は研究者。魔法について研究をしている。ああ、ついでに言うと人間だよ、魔法使いではなくて、ね」
笑みを浮かべながら自身のことを話す女性アルバは、口調も相まって不思議な雰囲気を醸し出していた。それは、来ている服も関係していると思われた。
初めて見た時にも印象的に思ったが、彼女は上下真っ白という特徴的な装いをしていた。白いパンツに白のシャツ。その上に白のジャケットを羽織っている。
年齢は、三十半ばくらいだろうか。
そんなアルバは、自分の身なりなど気にする様子もなく、むしろ見てくれとばかりにソファの上で足を組んだ。鮮やかな赤の唇が弧を描く。
「探偵さんは? 人間であってるかい?」
「ああ、人間だよ」
息をするように、フレイは嘘をついた。
というのも、フレイはこの探偵業を人間として行っていた。そちらの方が動きやすいからだ。
人間と魔法使いが共存しているこの国だが、魔法使いを嫌っている人間は少なくはなかった。そういった人たちを、フレイは何度も目にしてきた。逆に、魔法使いは人間を敵視することがあまりない。そのため、人間として他人と接した方が仕事がしやすかった。
「君は人間なのに、魔法の研究をしているんだね」
「ああ、そうなんだ。母が魔法に興味を持っていてね。人間というのは、持てないものにこそ興味を持つものだろう? 共に魔法道具や魔法機械を発明しているんだよ。ああ、最近は自然から生まれる魔石が魔物にも――」
「すまないがアルバさん。依頼の話を聞かせてくれるかな」
長くなりそうなアルバの話を遮る。アルバは申し訳なさそうに片眉を下げた。
「ああ、すまない。こういう話になるとついね。さて、依頼だけれど、探してほしいものがあるんだ。私の子供だよ」
「子供?」
「そうさ。私にはまだ七歳の可愛い娘がいてね。今その子が行方不明なんだ。一か月半ほど前、カルムが魔物によって滅ぼされたという話は知っているかい?」
ジュピター地方の最東部にある小さな村、カルム。探偵であるフレイはもちろん、その話を知っていた。
四月二十五日。真夜中。魔物の襲撃によって、カルムは一晩で滅んだ。二日後にクレイス家が調査のために訪れたが、その時にはもう、誰一人生き残ってはいなかった。いたのは魔物のみ。その魔物は、クレイス家が処理したとされている。
「知ってるけど……君は、その村の生き残りなのか?」
「はは、そう言われるとなんだか特別な気分になって来るねえ。まあ、その通りだよ。命からがら逃げて、しばらく近くにある町に逃げ込んでそこで療養していたんだ。私も魔物に襲われてね。背中に傷があるんだけれど、見るかい?」
「遠慮しておくよ」
即答した。人の、しかも女性の傷を見て楽しむ趣味はない。
フレイは紅茶を一口、続きを促す。
「それで、その時に娘さんがいなくなったと」
「その通り、さすが探偵さんだね。村に領主さんが入っただろう? ああいや、領主さんの息子さん、だったかな。その時に村の死んだ人たちがテイエースに運ばれて、教会によって火葬、埋葬された。私は運よくそこに立ち会えて、一人一人の顔を見ることができた。が、そこに娘の姿はなかった」
アルバは俯く。その表情は見ることができない。悲しんでいるのか、涙をこらえているのか――だが妙な違和感がフレイの胸に引っかかった。
その違和感を探る暇もなく、眉間に皺を寄せたアルバが拳を握り締めた。
「おそらく、娘は生きている。だが、領主さんたちは調査に出てくれなくてね……。仕方がないさ、忙しいのだろう。魔物の被害は増えつつあるからね」
「それで俺のところに来たというわけか」
「ああ」
頷いて、アルバは肩にかけていたバッグから四角い機械のようなものを取り出した。丸い突起が付いているそれを見て、フレイは僅かに眉を上げてしまった。それは現在、フレイも持っているものと同じ――写真機だった。
アルバは取り出した写真機についている画面を、フレイの方にやった。視線を落とす。
そこには、赤い長髪と翡翠色の瞳を有した幼き少女が写し出されていた。十歳くらいだろうか。どこか不安げな表情の彼女は、首から金のネックレスを下げている。
「この子が私の娘だよ。名はリリー。可愛い子だろう?」
「……ああ。この子が行方不明なんだね。ほかに特徴は?」
「おや、この写真だけでは足りないかい?」
「情報はあるに越したことはないからね。手掛かりは何もないのかな。当時、どんな状況だった?」
「そうだねえ。突然のことであまり覚えてないが、私は彼女に遠くに逃げるよう言ったよ。遠く、見つからない場所にね。それくらいかね……あ、いや。もう一つあったよ」
アルバは今度はジャケットのポケットから何かを取り出した。
金色のそれは、写真に写っていたリリーが付けていた、金のネックレスだった。
「これは私がリリーに贈った物だ。魔物に襲われた時に落としたんだろう、逃げる途中で見つけたんだ。こんなものでも手掛かりになるといいのだけれど」
「彼女の所持品か……預かっても?」
「もちろん。きっとこれを見たら私のこともわかるはずだよ。あぁ……あの子村から出たことがなかったから、どこで独りぼっちになっているのか……心配だよ」
困ったようにアルバは言う。口の端を歪めて。
彼女から聞ける話はここまでのようだった。
あとは、調査あるのみだ。ひとまず、カルム村魔物襲撃事件について調べてみるかと、フレイは考える。
一か月半ほど前の話だ。覚えている人は多いだろう。クレイス家に話を聞く――探りに行くのもありかもしれない。あそこは情報の山でもある。
「わかった。その依頼、引き受けるよ」
「ありがとう、助かるよ。お代だけど、これで足りるかな」
と、そう言ってアルバはバッグから巾着袋を取り出した。男性の拳よりも大きく膨らんだそれは、テーブルに乗せると重たい音が鳴った。
フレイは目を見開いた。アルバと巾着を交互に見て、中を確認する。中には、大量の銅貨と銀貨が入っていた。
「な……こんな大金、受け取れないよ」
「受け取ってくれ。大切な娘だ、金には代えられない。これでも足りないくらいだよ」
「……わかった。必ず見つけ出すよ」
彼女の気持ちを受け取り、フレイは堅く頷いた。
「楽しみにしているよ。では、そろそろお暇しようかな。あ、そうだ探偵さん。依頼人との連絡は普段どうしているのかな」
「手紙で報告してるよ」
「なるほど、手紙か。今は宿に泊まっているのだけれど、手紙は届けられるのかい?」
「問題ないと思う。宿に手紙を送れば、君の部屋まで宿の者が届けてくれるはずだ」
「そういうものかい。じゃあそれで頼むよ。宿の名は〈ネムの木〉で、部屋番号は〈蕾〉……だったかな」
アルバが立ち上がる。
宿名と部屋番号、それから依頼内容を軽くメモすると、フレイも彼女を見送るために席を立った。
向かいの紅茶は一滴も減っていなかった。
仕事部屋の扉を開け、彼女を先に通す。礼を言って部屋を出たアルバは、ふとその視線を仕事部屋の中に戻した。
気になるものでもあるのだろうか。その目はきょろきょろと何かを探して――フレイへと向けられた。
「ところで探偵さん」
不思議そうに、彼女は首を傾げる。
「先ほどから流れているこの曲だけど、どこから流れているのかな。これは探偵さんの趣味かい?」
「……」
実はというと、アルバから依頼の話を受けている時、場違いな曲が流れ始めていた。それは隣の部屋に接する壁からに滲み出るかのように仕事部屋を占拠し、終始二人の周りを踊っていた。
――そう、隣人だ。さっき注意したばかりの隣人が、何を考えているのか曲の音量を上げ始めたのだった。挙句の果てにノリノリの歌声とコールまで聞こえてくる始末。
フレイは額に青筋を立て、拳を握り締めた。それでも、表情だけは変えないように努める。何でもない風を装って、アルバを玄関へと促した。
「そんなわけないだろ。これは隣人の趣味だよ」
フレイのその様子に気づいたのか、アルバはふ、と笑った。
「だと思ったよ。君には不似合いだからね」
「悪かったね、騒々しくて。隣人にはきつく言っておくよ」
「私は気にしてないけれど……隣の者は随分と陽気な趣味をお持ちのようだ」
「まったくだよ」
激しく同意した。
アルバを見送るため家の外まで出ると、彼女は「手紙、待ってるよ」と笑って、闇の中へと消えていった。
その後ろ姿が見えなった途端――フレイはバタンと扉を閉め、早足で三階へと戻った。
もちろん、向かう先は隣人のところだ。曲が揺蕩う部屋をキッと睨みつける。
もうここに、フレイを止める客はいなかった。いや、もしもフレイが隣人のところに向かったとしても、アルバは止めなかったかもしれないが……そんなことはどうでもよかった。
フレイは大きく息を吸うと、さて、と再び拳を握った。
「このままでは仕事をするどころか、寝ることさえできないからね」
今回ばかりは遠慮なんかせず、フレイは思いっきり扉をノックした。
それはもう取り立て屋の様に。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン――
「なんだなんだなんだっ!?」
音楽とノックの間に、驚きと焦りの声が交じり合う。
そこに重なるドタバタという慌ただしい音。急いで開けられる扉。
そのどれもがうるさくて――フレイの怒りは頂点に達した。
ぶん、と。大きく拳を後ろに引いたかと思うと――
「ふごぉ!?」
フレイは思いっきり、男を殴り飛ばしていた。
「うるさいって言ってるだろ」
吐き出した言葉は、思っていたよりも低く響いた。
尻もちをつき、頬を押さえた男の唖然とした表情がフレイの瞳に映る。
そのだらしなく、無様な姿にも嫌気がさして。
もう用はないとばかりに、フレイは思いっきり扉を閉めたのだった。
「えぇ……」
後に残された男の小さな声は、扉の音にかき消されて沈んでいった。
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